第36話 告白
文字数 3,872文字
久々の部活が終わり、西研メンバーで昼食。
そして、その場で解散となった。
楓はいつものように帰宅すると、待ち構えていたかのように電話が鳴った。
『千代子先輩?』
名前の表示はされていたが、別れたばかりだったので、楓は確認する。
『あぁ、そうだ。ちなみにみっちゃんは?』
『帰りましたけど?』
『今日、みっちゃんが来る予定は?』
『ないですけど……』
『そっ、なら今から行くから。冷たい飲み物用意しといて』
問答無用なのか、千代子は電話を切った。受話器を置いた楓は真っ先に冷房をつけ、飲み物の準備をする。疑問よりも先に体が動く辺り、よく躾けられている。
「どうしたんですか?」
宣言通りにやって来た千代子を座らせ、アイスティーを置いてから楓は訪問理由を訊ねた。
「いんや、ちょいと確かめたいことがあって」
千代子は喉を潤すと、楓を見据えた。
「単刀直入に訊くけど、みっちゃんと寝たよな?」
「な、なんですか? いきなり……」
「いつだったかな……みっちゃんと偶然会ったんだよ。夏休みに入ったばっかだったと思う」
思い出しているのか、千代子は少しだけ間をあけて、
「そん時、キスマークがついてたから」
自分の首筋――虫刺され――証拠を突き付けた。
心当たりがある楓は小さく漏らし、無意識に保身に走る。
「それは……相手がおれとは限らないじゃないですか?」
「誤魔化したいって気持ちはわからないでないけど……」
大きく息を吐き、千代子のトーンが落ちた。
視線は射抜く勢いで楓を捉え、
「あんた、それが最低だって自覚ある?」
本気で怒っていた。
「楓以外にあり得る訳ないじゃん。何年、一緒にいると思ってんだよ」
傷ついたと同時に、楓は傷つけたと思ってしまった。
咄嗟に謝るも、声は擦れて届かない。込み上げてくる熱が意味するものに気付き、必死で堪えようとする。
「あんま他人の恋愛に口出しするのは、好きじゃないんだけどね。紅葉の件があるからさ」
楓の態度に目移りすることなく、千代子は続ける。
「うちさ、相談されたんだ。紅葉に、あんたが……変な気、起こすんじゃないかって」
覚悟していたとしても、傷つく言葉が予想外の人間から放たれ、楓は冷静さを失う。咄嗟にグラスを掴み中腰になるも、標的と目が合った途端に慌てだす。
体裁を整えるというよりも、悪戯がみつかった子供のようにあたふたと。顔は真っ赤で、目には涙。必死に否定を示す動作を繰り返す。
「うちはそれを、あり得ないって思った。だって、楓が好きなのはどう考えたってみっちゃんだったから」
最初から傷つけるつもりだったのか、千代子はペースを崩さない。
「だけど、よくわかんなくなってな。紅葉がいなくなってからのあんたを見てると、あながち間違えじゃなかったのかなって思ったりもした」
その仮定に意味はなくても、後悔を感じられずにはいられないのだろう。
「今日のあんたらを見てると、みっちゃんが可哀そうで仕方がなかった」
いつも通りと判断していた楓には、痛い台詞。千代子には、そんな風に見えていたと思うと居た堪れない。
きっと、そっちのほうが正しいはずだから。
「ただの……」
楓は、正直に告白する。あまりに馬鹿らしくて、情けない……下らない理由を。
「ただの、当てつけだったんです」
自分以外の誰も知りえない、真実を初めて吐露する。
「本気じゃなかった。三津への当てつけだった。だって、だってあいつは……姉ちゃんが好きだったから」
だから、名前で呼ぶようになった。三津の前では『紅葉』と、異性として意識しているように、楓は振舞うようにした。
「小さい頃と違って、話すどころか喧嘩もできなくなってきて……それでも接点を持ちたくて、そんな嘘を、おれは三津に吐いたんです」
勿論、演技だとバレないようにしないといけなかった。それが紅葉に勘違いさせることになるなんて、楓は思ってもいなかった。
「紅葉はそういうのに敏感だから」
フォローなのか、千代子は漏らした。
「しかし、楓にもそういう男の子的な感情があったとはな」
好きな子にちょっかいをかけるのと、なんら変わらない行為。自分が嫌われていることも、相手の気持ちが向かっている先も知っていながら、止められなかった。
「どおりで鈍いはずだ」
「……なにがですか?」
「みっちゃんが、ガチで紅葉を好きだったのは知っている。けど、それは昔の話だ」
断定する千代子に、楓は反感を覚える。
「みっちゃんが今、好きなのはあんただよ、楓」
「違う! そんなこと……ない」
「なんでそう思うんだ?」
「なんでって……あいつがおれを好きになる理由がないから」
想定内の解答だったのか、千代子の瞳には驚きもなにもない。
「やっぱり、あんたは理由を求めるんだね」
ただ、表情は残念そうで、声は非難しているようだった。
「楓がそんなんだから、みっちゃんは好きだって言えないんだよ」
楓の理解は追いついていない。更新された情報はたった一つ。
それが完全に思考を停止……いや、放棄させた。
「あんたの言い分もわかる。確かに、みっちゃんは楓のことが嫌いで、紅葉のことが好きだった。けどそれは……中一までの話だと、うちは思う」
精一杯、記憶を辿る。千代子の答えを否定するために、楓は思い出したくもない過去に目を向ける。
「そこでだ、中一と中二のあんたで何が違うと思う?」
――何も変わっていない。
あの頃から今に至るまで、ずっと弱いまま。上手く話せず、見栄ばかり張って、背伸びばっかしている子供でしかない。
「あんたが、みっちゃんのことをよく知っているように、みっちゃんだって楓のことをわかっている。あんたが好きに理由を求めるのも――」
――そう、見た目以外は何も変わっていない。
「――顔を理由に好かれるのが嫌いなことも」
気付く前に突き付けられた。楓にとって、納得のいく理由を提示されてしまった。
「それで、やっぱり楓は傷つくんだな」
三津の杞憂は間違いではなかったと、千代子は苦笑する。
「楓が告白すれば、みっちゃんは喜んで受けるはずだ。あんたと違って、理由も求めない」
千代子との会話で、楓は自分が最低だと思い知らされた。紅葉の件は自覚があったものの、三津に関しては無自覚だったのでダメージが大きい。
「本当は、楓が自分で気づいて告白するのが一番だったんだけど。あんたは、直接言われないと気づかないみたいだから」
気持ちは簡単には変わらないものだと決めつけ、見誤った。
自分なんかと卑下していたから、思いつきもしなかった。
真っ先に自分を切り捨てていたから……好かれるはずがないと思い込んでいた。
保身と被害妄想から、大切なものを沢山失っていたのだと、楓はやっと気付いた。
「おれは……おれは、どうすれば……」
楓は縋るように見上げるも、
「うちに聞くな。どこまで最低の上塗りをする気だよ」
千代子は振り払う。
「ただ言わせて貰うなら、どんな理由でなら、楓は納得するんだ?」
その質問の答えを楓は持っていなかった。
「楓はなんで、みっちゃんが好きになったんだ?」
千代子は答えない楓に怒りもせず、言い連ねる。
「そんな嫌か? 見た目だけで好きになられるのは」
「だって……」
真っ先に否定の言葉が出た。続いて、失望。
この気持ちは千代子にはわからないと、楓は心の内で歯向かうも、
「けどな、それが普通だ。うちだって紅葉だって、顔から入った。見た目から好きになった。あんたは、それを否定しているって自覚ある?」
それが意味することを……今まで、まったく気づいていなかった。
「信じられないって、軽いって馬鹿にする?」
「そんな……こと、は……ない、です……」
「別に受け入れろとは言わない。けど、割り切りな。あんたは少数派なんだ。そこんとこ弁えてないと……きついよ。これから先、ずっと否定され続けるんだから」
言えなかった。楓は一言も、まともな意見を発せられないでいた。
「そんなのをいちいち相手にしてたら、身が持たないよ。特に、楓は弱いかんね」
千代子は冗談のように歯を見せて笑った。
それが自分に対する気遣いだと理解していても、楓は何も返せない。
千代子は残りの紅茶を一気に飲みほして、
「ごっそさん」
立ち上がった。
「そうだ、楓。紅葉の部屋に行っていい? 貸してたものがあんだよね」
楓が了承して先導しようとすると、
「すぐだから待ってな」
千代子は制した。
宣言通り数分で下りてきて、今度は玄関まで進む。
「今日は、ありがとうございました」
「礼なんていいよ。苛めた自覚はあっても、感謝される覚えはないかんね」
あっけらかんと、いつもみたいに千代子は言い放った。
「できたら三津のことも……」
それに救われた楓は口走るも、
「無理だ」
ねじ込まれた。
「はぁ……。みっちゃんが、あんたの逃げ場所を奪う訳がないだろ?」
絶句する楓に見向きもしないで、千代子は扉を閉めた。
楓は結局、何もわかっていなかった。
そして、その場で解散となった。
楓はいつものように帰宅すると、待ち構えていたかのように電話が鳴った。
『千代子先輩?』
名前の表示はされていたが、別れたばかりだったので、楓は確認する。
『あぁ、そうだ。ちなみにみっちゃんは?』
『帰りましたけど?』
『今日、みっちゃんが来る予定は?』
『ないですけど……』
『そっ、なら今から行くから。冷たい飲み物用意しといて』
問答無用なのか、千代子は電話を切った。受話器を置いた楓は真っ先に冷房をつけ、飲み物の準備をする。疑問よりも先に体が動く辺り、よく躾けられている。
「どうしたんですか?」
宣言通りにやって来た千代子を座らせ、アイスティーを置いてから楓は訪問理由を訊ねた。
「いんや、ちょいと確かめたいことがあって」
千代子は喉を潤すと、楓を見据えた。
「単刀直入に訊くけど、みっちゃんと寝たよな?」
「な、なんですか? いきなり……」
「いつだったかな……みっちゃんと偶然会ったんだよ。夏休みに入ったばっかだったと思う」
思い出しているのか、千代子は少しだけ間をあけて、
「そん時、キスマークがついてたから」
自分の首筋――虫刺され――証拠を突き付けた。
心当たりがある楓は小さく漏らし、無意識に保身に走る。
「それは……相手がおれとは限らないじゃないですか?」
「誤魔化したいって気持ちはわからないでないけど……」
大きく息を吐き、千代子のトーンが落ちた。
視線は射抜く勢いで楓を捉え、
「あんた、それが最低だって自覚ある?」
本気で怒っていた。
「楓以外にあり得る訳ないじゃん。何年、一緒にいると思ってんだよ」
傷ついたと同時に、楓は傷つけたと思ってしまった。
咄嗟に謝るも、声は擦れて届かない。込み上げてくる熱が意味するものに気付き、必死で堪えようとする。
「あんま他人の恋愛に口出しするのは、好きじゃないんだけどね。紅葉の件があるからさ」
楓の態度に目移りすることなく、千代子は続ける。
「うちさ、相談されたんだ。紅葉に、あんたが……変な気、起こすんじゃないかって」
覚悟していたとしても、傷つく言葉が予想外の人間から放たれ、楓は冷静さを失う。咄嗟にグラスを掴み中腰になるも、標的と目が合った途端に慌てだす。
体裁を整えるというよりも、悪戯がみつかった子供のようにあたふたと。顔は真っ赤で、目には涙。必死に否定を示す動作を繰り返す。
「うちはそれを、あり得ないって思った。だって、楓が好きなのはどう考えたってみっちゃんだったから」
最初から傷つけるつもりだったのか、千代子はペースを崩さない。
「だけど、よくわかんなくなってな。紅葉がいなくなってからのあんたを見てると、あながち間違えじゃなかったのかなって思ったりもした」
その仮定に意味はなくても、後悔を感じられずにはいられないのだろう。
「今日のあんたらを見てると、みっちゃんが可哀そうで仕方がなかった」
いつも通りと判断していた楓には、痛い台詞。千代子には、そんな風に見えていたと思うと居た堪れない。
きっと、そっちのほうが正しいはずだから。
「ただの……」
楓は、正直に告白する。あまりに馬鹿らしくて、情けない……下らない理由を。
「ただの、当てつけだったんです」
自分以外の誰も知りえない、真実を初めて吐露する。
「本気じゃなかった。三津への当てつけだった。だって、だってあいつは……姉ちゃんが好きだったから」
だから、名前で呼ぶようになった。三津の前では『紅葉』と、異性として意識しているように、楓は振舞うようにした。
「小さい頃と違って、話すどころか喧嘩もできなくなってきて……それでも接点を持ちたくて、そんな嘘を、おれは三津に吐いたんです」
勿論、演技だとバレないようにしないといけなかった。それが紅葉に勘違いさせることになるなんて、楓は思ってもいなかった。
「紅葉はそういうのに敏感だから」
フォローなのか、千代子は漏らした。
「しかし、楓にもそういう男の子的な感情があったとはな」
好きな子にちょっかいをかけるのと、なんら変わらない行為。自分が嫌われていることも、相手の気持ちが向かっている先も知っていながら、止められなかった。
「どおりで鈍いはずだ」
「……なにがですか?」
「みっちゃんが、ガチで紅葉を好きだったのは知っている。けど、それは昔の話だ」
断定する千代子に、楓は反感を覚える。
「みっちゃんが今、好きなのはあんただよ、楓」
「違う! そんなこと……ない」
「なんでそう思うんだ?」
「なんでって……あいつがおれを好きになる理由がないから」
想定内の解答だったのか、千代子の瞳には驚きもなにもない。
「やっぱり、あんたは理由を求めるんだね」
ただ、表情は残念そうで、声は非難しているようだった。
「楓がそんなんだから、みっちゃんは好きだって言えないんだよ」
楓の理解は追いついていない。更新された情報はたった一つ。
それが完全に思考を停止……いや、放棄させた。
「あんたの言い分もわかる。確かに、みっちゃんは楓のことが嫌いで、紅葉のことが好きだった。けどそれは……中一までの話だと、うちは思う」
精一杯、記憶を辿る。千代子の答えを否定するために、楓は思い出したくもない過去に目を向ける。
「そこでだ、中一と中二のあんたで何が違うと思う?」
――何も変わっていない。
あの頃から今に至るまで、ずっと弱いまま。上手く話せず、見栄ばかり張って、背伸びばっかしている子供でしかない。
「あんたが、みっちゃんのことをよく知っているように、みっちゃんだって楓のことをわかっている。あんたが好きに理由を求めるのも――」
――そう、見た目以外は何も変わっていない。
「――顔を理由に好かれるのが嫌いなことも」
気付く前に突き付けられた。楓にとって、納得のいく理由を提示されてしまった。
「それで、やっぱり楓は傷つくんだな」
三津の杞憂は間違いではなかったと、千代子は苦笑する。
「楓が告白すれば、みっちゃんは喜んで受けるはずだ。あんたと違って、理由も求めない」
千代子との会話で、楓は自分が最低だと思い知らされた。紅葉の件は自覚があったものの、三津に関しては無自覚だったのでダメージが大きい。
「本当は、楓が自分で気づいて告白するのが一番だったんだけど。あんたは、直接言われないと気づかないみたいだから」
気持ちは簡単には変わらないものだと決めつけ、見誤った。
自分なんかと卑下していたから、思いつきもしなかった。
真っ先に自分を切り捨てていたから……好かれるはずがないと思い込んでいた。
保身と被害妄想から、大切なものを沢山失っていたのだと、楓はやっと気付いた。
「おれは……おれは、どうすれば……」
楓は縋るように見上げるも、
「うちに聞くな。どこまで最低の上塗りをする気だよ」
千代子は振り払う。
「ただ言わせて貰うなら、どんな理由でなら、楓は納得するんだ?」
その質問の答えを楓は持っていなかった。
「楓はなんで、みっちゃんが好きになったんだ?」
千代子は答えない楓に怒りもせず、言い連ねる。
「そんな嫌か? 見た目だけで好きになられるのは」
「だって……」
真っ先に否定の言葉が出た。続いて、失望。
この気持ちは千代子にはわからないと、楓は心の内で歯向かうも、
「けどな、それが普通だ。うちだって紅葉だって、顔から入った。見た目から好きになった。あんたは、それを否定しているって自覚ある?」
それが意味することを……今まで、まったく気づいていなかった。
「信じられないって、軽いって馬鹿にする?」
「そんな……こと、は……ない、です……」
「別に受け入れろとは言わない。けど、割り切りな。あんたは少数派なんだ。そこんとこ弁えてないと……きついよ。これから先、ずっと否定され続けるんだから」
言えなかった。楓は一言も、まともな意見を発せられないでいた。
「そんなのをいちいち相手にしてたら、身が持たないよ。特に、楓は弱いかんね」
千代子は冗談のように歯を見せて笑った。
それが自分に対する気遣いだと理解していても、楓は何も返せない。
千代子は残りの紅茶を一気に飲みほして、
「ごっそさん」
立ち上がった。
「そうだ、楓。紅葉の部屋に行っていい? 貸してたものがあんだよね」
楓が了承して先導しようとすると、
「すぐだから待ってな」
千代子は制した。
宣言通り数分で下りてきて、今度は玄関まで進む。
「今日は、ありがとうございました」
「礼なんていいよ。苛めた自覚はあっても、感謝される覚えはないかんね」
あっけらかんと、いつもみたいに千代子は言い放った。
「できたら三津のことも……」
それに救われた楓は口走るも、
「無理だ」
ねじ込まれた。
「はぁ……。みっちゃんが、あんたの逃げ場所を奪う訳がないだろ?」
絶句する楓に見向きもしないで、千代子は扉を閉めた。
楓は結局、何もわかっていなかった。