第3話 西洋文化研究会
文字数 3,156文字
「はぁ……。ノート貸そうか?」
昼休み、隣からありがたい申し出。
それは弁当を食べ終えてから、ずっと言いあぐねていた要請。
バレていたと思うと楓は恥ずかしくて、
「助かる」
ぶっきらぼうなお礼しか言えなかった。
三津は吐息を重ねてからノートを取り出し、
「そいえば……」
思いだしたかのように続けた。
「明日の調理実習。班一緒だから、私ら」
差し出された実習ノート。
先生曰く、卒業後には宝物になるらしいが、現段階ではほど遠い。載っているのは、親子丼とみそ汁のレシピだけであった。
「私らって、他は?」
楓は一応訊いてみた。
どうせ余り者と思っていると、
「山内君と瀬川さん」
案の定、委員長と副委員長。
役職上、仕方ないという空気がありありと感じられる。
「二人とも真面目だから、ストレスはたまらない」
食物科にいる男子は六名で、楓以外は基本的に一緒にいた。
今も教室の隅で固まって談笑している。その中で、唯一眼鏡をかけているのが山内なので、楓の記憶にも残っていた。
ちなみに、瀬川の姿は教室にはなかった。
「それなら助かる」
「あんた人見知りだもんね」
にやにやと三津は指摘する。
楓は否定できずに、
「うるさい」
と、子供じみた反抗。
「ほんと、顔だけなのにね……」
嫌味だが、棘は感じられない。
だから、楓はなにも返せず、眉間に皺を寄せる。
だけど、もう話すことはないと言わんばかりに、三津はそっぽを向いた。
こうなっては無駄だと、楓はノートを書き写していく。どれも一時間分とはいえ、五科目となると時間がかかる。
昼休み中には終わらなかったが、午後は一般科目だったので楓は片手間で作業を続けた。
その甲斐あって、放課後にはノートを返し、一緒に部室へと向かう。
西洋文化研究会――通称、西研。
元は、仲良し三人グループの溜まり場として創られた同好会。そのため、入部希望者が来ないようにと、堅苦しい名前が付けられていた。
それが、今では仇となっている。
楓たちは、この西研を部に昇格させようとしていた。文化祭に参加するために。
それが、約束だったから――
二人は渡り廊下を辿って、中央棟。職員室を横切り、隅っこ――裏門に一番近い、教職員用昇降口の手前で足を止めた。
『西洋文化研究会』と記されたプレート――もとい、紙で作られた表札が貼られた扉。
楓が軽くノックをすると、
「どうぞー」
迎える、明るい声。
開けると、教室よりも一回り狭い空間が広がっていた。
窓際には、シンクやコンロといった調理台。元宿直室。置き土産もあれば、持ち込んだ物もある。レンジ、冷蔵庫、電気ケトル。
寝床さえ用意すれば、いつでも元の姿に戻れる充実ぶり。
中央には、折りたたみの長テーブルが三台。クロスはアンダーにトップと二重に敷かれており、椅子には同じ色合いのカバー。
共に学校にありふれた無骨な備品だが、見事にコーディネートされている。
そこに、保育科三年の天川 千代子が座っていた。
男子と見間違うほどのベリーショート。上はブラウスのみで、規定である濃紺のブレザーどころか移行期間中のカーディガンすら見当たらない。
レジメンタルのリボンタイもだらしなく垂れていて……そのくせ、飲んでいるのは紅茶。
それもペットボトルではなく、お洒落なティーカップ。傍には、ティーコジーが被せられたポット――茶葉から淹れられた本格的なものである。
「お、楓にみっちゃん」
千代子はポットの中身を覗きこんでから、二人分のカップを取りに立ち上がった。
「すいません、やっと復帰しました」
「ほんと、いきなりやってくれたな。これたぶん、普通に待ってたら入部希望者来ないぞ?」
問題を感じさせない口調で、千代子は紅茶を注いでいく。
水色は淡く微かにスズランに似た香り、
「ダージリンですか?」
楓は推測する。
「正解。だいぶ、鍛えられてきたじゃん」
手で促され、二人は腰を下ろす。
目の前の紅茶にまず一口。しっかりと味わってから、砂糖を加える。
そんな二人に、千代子は満足げに外国産のお菓子を薦める。
「ベルギーのなんか、チョコだけで作られたチョコチップだって」
説明を受け、形や匂いを確かめてから、二人は口にする。
楓は小さく一口、三津は大きくいった。
「はい、感想言って~」
「おいしいです。思ったより、甘くない」
「これはカカオ……四〇%より上ですね。一気にいくと苦みも残るし……」
「相変わらずくどいな、楓。細かいのは、パソコンで打つだけにしてくれ」
悪い癖。
お菓子のことになると、楓は口が過ぎる。
「あと、これ迷惑をかけたお詫びです。ちょっと、事故ったんで割れてますけど……」
申し訳なさそうに楓がマカロンを手渡すと、
「さんきゅ。しかし、卒業までにあと何回貰えるんだ?」
千代子は意地悪な物言いをした。
「えーと……その……」
千代子は真面目に考えるなよとひとしきり笑い、
「さてと、もう五月になる訳だが……」
本題に入る。
「中間テストが始まるまでには、部にしておきたい。一学期の活動実績を用意しないと、文化祭の参加は難しいかんね」
既に、学校側が設けた部活紹介の時間は終わっていた。楓の停学。それを理由に、西研は紹介すらして貰えなかった。
そのことに対して楓は謝るも、千代子は気にも留めていない様子。
「あんま、数来ても対応できんし。それに、この状況で来てくれる子のほうがいいじゃん。絶対、仲良くなれそう」
楽観的な考え方に、楓は苦笑しながらも同意した。
「楓も、みっちゃんから聞いたでしょ?」
楓は頷く。
自分の停学中に広まった、ある女生徒と教師の関係。
「宮田先生が辞めたのは、生徒に手をだしたからって、三年と二年じゃ大盛り上がり。若くて人気だったかんね、あの人」
春休み中に退学した生徒は一人じゃないものの、何故か相手は特定されていた。
「まぁ、おかげで? 楓の噂はこっちには全然届いてないけど」
入学早々に停学――新入生集団宿泊研修の際に、二人の男子生徒と喧嘩した挙句、生活指導の先生の胸倉を掴み上げた。
「一年は、楓のほうで持ちきりだけど」
当然の成り行きを、三津がわざわざ口にする。
「となると、この二つの噂が交わる前にカタつけないとまずいね~」
共に、具体的な名前が出ている。佐藤楓と佐藤紅葉 。ありふれた苗字ではあるが、姉弟だと気づかれるのは時間の問題であろう。
「西研も悪く言われてるかんね。同好会のくせに部室を持っているのは、そういう裏があったからだーって」
根拠の無い言いがかりに、千代子は呆れているようだった。
「だから、早く部員を連れてきな。顧問には、当てがあるからさ」
全員が、テーブルに置かれている用紙に目を落とす。
「部になれば……捺 も顔をだすから」
部活申請用紙には五人の名前――天川千代子、佐藤紅葉、甘楽 捺、佐藤楓、三津百花。必要な人数は揃っていた。
線さえ、引かれていなければ――佐藤紅葉の文字に、斜線さえなければ。
修正ペンで消す訳でもなく、残ったままの姉の名前を楓は親指でなぞる。顧問の名前を、穴が開かんばかりに睨みつける。
そういった楓の様子を、二人は黙って見ていた。
千代子は見定めるようにじっと、三津は準じるよう隣に寄り添って――
昼休み、隣からありがたい申し出。
それは弁当を食べ終えてから、ずっと言いあぐねていた要請。
バレていたと思うと楓は恥ずかしくて、
「助かる」
ぶっきらぼうなお礼しか言えなかった。
三津は吐息を重ねてからノートを取り出し、
「そいえば……」
思いだしたかのように続けた。
「明日の調理実習。班一緒だから、私ら」
差し出された実習ノート。
先生曰く、卒業後には宝物になるらしいが、現段階ではほど遠い。載っているのは、親子丼とみそ汁のレシピだけであった。
「私らって、他は?」
楓は一応訊いてみた。
どうせ余り者と思っていると、
「山内君と瀬川さん」
案の定、委員長と副委員長。
役職上、仕方ないという空気がありありと感じられる。
「二人とも真面目だから、ストレスはたまらない」
食物科にいる男子は六名で、楓以外は基本的に一緒にいた。
今も教室の隅で固まって談笑している。その中で、唯一眼鏡をかけているのが山内なので、楓の記憶にも残っていた。
ちなみに、瀬川の姿は教室にはなかった。
「それなら助かる」
「あんた人見知りだもんね」
にやにやと三津は指摘する。
楓は否定できずに、
「うるさい」
と、子供じみた反抗。
「ほんと、顔だけなのにね……」
嫌味だが、棘は感じられない。
だから、楓はなにも返せず、眉間に皺を寄せる。
だけど、もう話すことはないと言わんばかりに、三津はそっぽを向いた。
こうなっては無駄だと、楓はノートを書き写していく。どれも一時間分とはいえ、五科目となると時間がかかる。
昼休み中には終わらなかったが、午後は一般科目だったので楓は片手間で作業を続けた。
その甲斐あって、放課後にはノートを返し、一緒に部室へと向かう。
西洋文化研究会――通称、西研。
元は、仲良し三人グループの溜まり場として創られた同好会。そのため、入部希望者が来ないようにと、堅苦しい名前が付けられていた。
それが、今では仇となっている。
楓たちは、この西研を部に昇格させようとしていた。文化祭に参加するために。
それが、約束だったから――
二人は渡り廊下を辿って、中央棟。職員室を横切り、隅っこ――裏門に一番近い、教職員用昇降口の手前で足を止めた。
『西洋文化研究会』と記されたプレート――もとい、紙で作られた表札が貼られた扉。
楓が軽くノックをすると、
「どうぞー」
迎える、明るい声。
開けると、教室よりも一回り狭い空間が広がっていた。
窓際には、シンクやコンロといった調理台。元宿直室。置き土産もあれば、持ち込んだ物もある。レンジ、冷蔵庫、電気ケトル。
寝床さえ用意すれば、いつでも元の姿に戻れる充実ぶり。
中央には、折りたたみの長テーブルが三台。クロスはアンダーにトップと二重に敷かれており、椅子には同じ色合いのカバー。
共に学校にありふれた無骨な備品だが、見事にコーディネートされている。
そこに、保育科三年の
男子と見間違うほどのベリーショート。上はブラウスのみで、規定である濃紺のブレザーどころか移行期間中のカーディガンすら見当たらない。
レジメンタルのリボンタイもだらしなく垂れていて……そのくせ、飲んでいるのは紅茶。
それもペットボトルではなく、お洒落なティーカップ。傍には、ティーコジーが被せられたポット――茶葉から淹れられた本格的なものである。
「お、楓にみっちゃん」
千代子はポットの中身を覗きこんでから、二人分のカップを取りに立ち上がった。
「すいません、やっと復帰しました」
「ほんと、いきなりやってくれたな。これたぶん、普通に待ってたら入部希望者来ないぞ?」
問題を感じさせない口調で、千代子は紅茶を注いでいく。
水色は淡く微かにスズランに似た香り、
「ダージリンですか?」
楓は推測する。
「正解。だいぶ、鍛えられてきたじゃん」
手で促され、二人は腰を下ろす。
目の前の紅茶にまず一口。しっかりと味わってから、砂糖を加える。
そんな二人に、千代子は満足げに外国産のお菓子を薦める。
「ベルギーのなんか、チョコだけで作られたチョコチップだって」
説明を受け、形や匂いを確かめてから、二人は口にする。
楓は小さく一口、三津は大きくいった。
「はい、感想言って~」
「おいしいです。思ったより、甘くない」
「これはカカオ……四〇%より上ですね。一気にいくと苦みも残るし……」
「相変わらずくどいな、楓。細かいのは、パソコンで打つだけにしてくれ」
悪い癖。
お菓子のことになると、楓は口が過ぎる。
「あと、これ迷惑をかけたお詫びです。ちょっと、事故ったんで割れてますけど……」
申し訳なさそうに楓がマカロンを手渡すと、
「さんきゅ。しかし、卒業までにあと何回貰えるんだ?」
千代子は意地悪な物言いをした。
「えーと……その……」
千代子は真面目に考えるなよとひとしきり笑い、
「さてと、もう五月になる訳だが……」
本題に入る。
「中間テストが始まるまでには、部にしておきたい。一学期の活動実績を用意しないと、文化祭の参加は難しいかんね」
既に、学校側が設けた部活紹介の時間は終わっていた。楓の停学。それを理由に、西研は紹介すらして貰えなかった。
そのことに対して楓は謝るも、千代子は気にも留めていない様子。
「あんま、数来ても対応できんし。それに、この状況で来てくれる子のほうがいいじゃん。絶対、仲良くなれそう」
楽観的な考え方に、楓は苦笑しながらも同意した。
「楓も、みっちゃんから聞いたでしょ?」
楓は頷く。
自分の停学中に広まった、ある女生徒と教師の関係。
「宮田先生が辞めたのは、生徒に手をだしたからって、三年と二年じゃ大盛り上がり。若くて人気だったかんね、あの人」
春休み中に退学した生徒は一人じゃないものの、何故か相手は特定されていた。
「まぁ、おかげで? 楓の噂はこっちには全然届いてないけど」
入学早々に停学――新入生集団宿泊研修の際に、二人の男子生徒と喧嘩した挙句、生活指導の先生の胸倉を掴み上げた。
「一年は、楓のほうで持ちきりだけど」
当然の成り行きを、三津がわざわざ口にする。
「となると、この二つの噂が交わる前にカタつけないとまずいね~」
共に、具体的な名前が出ている。佐藤楓と佐藤
「西研も悪く言われてるかんね。同好会のくせに部室を持っているのは、そういう裏があったからだーって」
根拠の無い言いがかりに、千代子は呆れているようだった。
「だから、早く部員を連れてきな。顧問には、当てがあるからさ」
全員が、テーブルに置かれている用紙に目を落とす。
「部になれば……
部活申請用紙には五人の名前――天川千代子、佐藤紅葉、
線さえ、引かれていなければ――佐藤紅葉の文字に、斜線さえなければ。
修正ペンで消す訳でもなく、残ったままの姉の名前を楓は親指でなぞる。顧問の名前を、穴が開かんばかりに睨みつける。
そういった楓の様子を、二人は黙って見ていた。
千代子は見定めるようにじっと、三津は準じるよう隣に寄り添って――