第12話 成長しない男の子

文字数 1,722文字

 昼休み終了のチャイムが鳴っても、会長と捺は議論を交わしていた。
 共に慌てた様子は見当たらない。
引きかえ、楓は分針が動く度に時計に目をやる。五回。しだいに秒針すら目で追っていた。
 
 生徒会室は中央棟の二階。ここから一階に下りて、渡り廊下を一つ、二つ……更に階段を一つ二つ……楓は遅刻を覚悟し始める。
 
 先に戻ると宣言すればいいだけなのだが、彼にはそれができなかった。早い段階から時間を気にかけていたくせして、ぎりぎりになっても言わない。
 集団になってしまったら、自分からは抜けられない性格。誰かが言い出すまで、じっと黙っている。つまらなくても、いたくなくても、用があっても言い出せない。
 これが楽しければまだいい。仲間内なら許容できる。
 だけど、そうじゃなかったら苦痛でしかない、嫌になる。一人のほうがマシだと思ってしまう。
 結果、不足する経験。人付き合いに慣れないまま――

「悪いけど、先に戻らせて貰うよ? うちらはあんたらと違って、校舎が遠いかんね」
 
 だからこそ、千代子には伝わっていた。
 追従するように、楓も生徒会室を出る。

「ったく、相変わらずだねあんたは。折角、見直していたのに」
 
 見放されたように溜息を吐かれ、楓は申し訳なさから俯く。

「……すいません」
「そこ。そうやってすぐ謝るとこも……」
 
 それすらも注意の対象になり、
「はぁ……」
 追加された。

「うちら相手だけなら、別にいんだけどさ。仮にも、先輩で異性だし? けど、違うだろ?」
 
 千代子の言い草はわざとだと理解していても、楓は沈んでいく。

「そうやって言いたいことも言わないで溜めこむから、爆発すんだよ」
 
 見透かされている気恥ずかしさよりも、成長していない自分自身に楓は居た堪れなくなる。
 中学の時とまったく同じ。
 言い返したい、否定したいことが頭の中でぐるぐると回り、様々な感情とごちゃ混ぜになるも吐き出せず――手が出る。

「あんたが口下手なのは知ってるけど、このままじゃ後々きついよ? わかってくれる優しい人が、いつもいてくれるとは限らないかんね」
 
 語尾に籠る哀愁から、紅葉を思い浮かべる。既に一人いなくなった。それも一番長く、いてくれると思っていた人が。

「んな目で見るな。図体だけはもう、大人なんだからさ」
 
 心の中では感謝をこめて、楓は頭を下げる。昔と変わらない扱いが嬉しかった。もう、そんな風に接してくれる人なんて、ほとんどいなかったから。
 楓が教室に戻った時には既に担当教諭の姿があったものの、チャイムは鳴っていなかったので、特に注意は受けずに席へと着く。
 横目で三津が物問いたげにしていたが、上手く説明できないと保留させた。

「今日、捺さんも来るから」
 
 それだけで納得したのか、三津は視線を外した。午後の授業は食品衛生学。集中しないといけないのに、どうも上手くいかない。

「これ、わかる人?」
 
 黒板には様々な食中毒の事例――その時の原因食材を訊いているようだ。

「森永ヒ素ミルク事件はミルク!」
「具体的に答えようか?」
 
 真っ先にクラスの誰かが答え、笑いが溢れる。誰に当たるかという緊張感が緩和して、好き勝手に喚きだす。

「ねぇ、O-157ってカイワレ大根じゃない? ほら、一時期なくなってたじゃん」
「カネミ油症……? 油?」
「雪印は覚えてる。牛乳だって」
 
 正解から間違い、及第点に至るまで様々な回答が飛び交う中、楓は沈黙に徹していた。答えはわかっているのに言えない。つい先ほど千代子に指摘されたこともあり、この程度で劣等感に苛まれる。

「森永ヒ素は粉ミルク」
 
 しかも、隣の席に座っている幼馴染があっさりと口にするものだから、更に落ち込んでいく。共にクラスでは浮いた存在ではあるが、三津はきちんと発言できる。
 中学で無理矢理クラス委員に任命されそうになった時も、丁重に断っていた。対して、楓は否定の言葉が見つけられずに、引き受けてしまった。
 何度も何度も。ストレスに耐えきれず、暴れてしまうまで自分の意見を押し殺していた。
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