第5話 調理実習

文字数 4,116文字

 楓と三津が出会ったのは、小学校の集団登校。
 紅葉は勿論のこと、千代子も一緒であった。

「おはよう、楓、みっちゃん」
 
 だから、こんな風に鉢合わすのは珍しくなかった。楓と三津は丁寧に会釈し、そのまま三人で駅まで。
電車に乗り込むと、千代子が脈絡もなく切り出した。

「しかし、楓。おまえ、モテモテだろう?」
 
 唐突な質問に楓はついていけず、あたふたとしだす。

「だって女子ばっかじゃんウチ。絶対モテるってあんた。教えてみ、何人に告白された?」
「えーと、期待に添えなくて残念ですがされていません。それ以前にモテてもいません」
「あれ? そうなの。みっちゃんがいるからかな?」
 
 知らないですよと楓は返すも、
「そうかもしれないです」
 三津は乗っかった。
 
 下手に否定するよりも、そのほうがいいと判断したのだろう。三津に目で訴えられ、楓は余計な言葉を飲み込む。
 三人は他愛のない話しをしながら登校し、
「それじゃ、うちはこっちだから」
 千代子は右へ、楓たちは左へと進む。

 食物科と保育科――学科ごとに校舎が違っていた。

 正門から直線上にあるのが、職員室や事務室などがある中央棟。そこから右――グラウンド側に普通科と保育科。反対の武道場側にデザイン科、食物科と計五つの棟が立ち並んでいる。
 しかし、渡り廊下が設けられているのは一階のみ。増築を重ね、徐々に校舎を増やしてきた結果、移動には不便な造りとなっていた。
 教室に着くなり、楓は三津から実習の説明を受ける。

「二~四時間目を使うんだけど、間に合わなかったら昼休みはないから。ちなみに、放課後まで持ち越す班もある」
 
 最後の緩んだ口調で、自分たちにその心配はないと楓は安心する。

「二時間目は講義実習室で、三クラス合同で先生が作るのを見たり、説明を聞いたりするだけ。そのあと、第一第二実習室に分かれて作業開始」
「講義実習室って、あのでかい鏡が置いてあった?」
 
 校内案内は停学前に受けていたので、楓の記憶にも残っていた。手元が見えるよう、上方に設置された鏡と、放射状に並んだ長椅子と長机。

「だから、一時間目が終わったらダッシュで着替えにいって、そこに集合。始まる前にレシピくらいは写しておいたほうがいいからさ」
 
 言われた通り、楓は一時間目が終わると同時に走り出した。他の生徒たちも、負けじと駆けだす。見慣れた光景なのか、走るな! ではなくて、怪我するな! と教師の注意が飛ぶ。
 実習室は、上履きから専用のスリッパへと履き替え。衛生上の理由。服装も、白の上衣とストライプのズボンといったコックコート。胸元に黄色いスカーフを巻いて、仕上げに白のサロンと帽子を身につける。
 
 楓は身支度を終えると、包丁セットを手に更衣室を出る。と、正面に三津の姿。待っていてくれたのか手を上げ、
「こういうのって、男のが早いんじゃない? 普通」
 嫌味を飛ばしてきた。

「しかも、スカーフ酷い」
 
 笑いながら、着こなしについて文句。もとい、指摘を続ける。
 講義実習室につくと、他の班員は揃っていた。軽く挨拶だけして、楓たちも席に着く。

「スカーフ直してあげる。さすがに、それはない」
 
 ノートを開いて、やる気満々だった楓は反応が遅れた。三津は返事を待たずして、解き、綺麗に折りなおしていく。

「別にいいのに」
 
 反論は虚しく、三津は楓の首にスカーフを巻きつける。器用に手を動かして、
「はい、完成」
 違いは一目瞭然だった。

 楓はこみ上げてくる熱に翻弄され、目線があちこちに飛ぶ。どうせ周囲は板書に夢中だと思い、油断。ぶつかった。瞬間、物凄い勢いで逸らされる。
 本人は、見ていないふりを決め込んでいるのかもしれないが、結んだ髪が揺れている。隣のテーブルに座っていたのは、塩谷であった。
 
 ――同じ食物科だったのか。
 
 楓が抱いた感情はそれだけ。慌てる彼女の姿を見て、楓は冷静さを取り戻し、ホワイトボードに目を向ける。
今日は西洋料理。フランス語と日本語の両方でレシピが記載されていて、写すのには手間がかかりそうだった。
 だがそれはフランス語がわからない場合であり、楓には当てはまらなかった。料理やお菓子の材料であれば、基本的に把握している。

 触り慣れた筆記体で、易々と遅れを取り戻す。
 
 他の生徒たちは発音がわからず、アルファベットでしか単語を紡げない。例えば卵の『Oeuf』。楓なら『ウフ』とインプットしてして手を動かせばいいが、他の生徒はオーイーユーエフ……と理解不能な情報かつ、容量が多くなる。
文字数が多ければ多いほど、その差は顕著に表れ――誰よりも早く、楓は作業を終えていた。

 今日のメインメニューはオムライス。中身はお馴染みのケチャップではなく、バターライス。玉ねぎのアシェ〈みじん切り〉を炒め終えると米を投入し、透明になるまで火を通す。そこにブイヨン、香り付けのローリエを入れ炊飯。
 講義が始まると専門用語も混ざり、生徒たちは更に混乱をきたしていく。メモに没頭して、肝心の手元や技術を見落としたり、聞き慣れない言葉に慌てて待ったを掛けたりと、日本料理の時にはなかった騒々しさ。
 
 質問が飛び交い、私語ではないお喋りで満ちていた。
 しかしまだ、学生。講義が終わった途端に口が踊りだす。各実習室に移動して、作業開始までに無駄を挟む。
 
 一方、楓たちは迅速だった。てきぱきというよりも、淡々と進んでいく。自己紹介すらも味気ない。楓は山内と瀬川に名乗り、向こうも返して、よろしく。
 作業中は楓と三津であっても、馴れ合いを感じさせなかった。
 元より、さほど仲良くない。と、思っているのは本人たちだけなので、二人のやり取りを間近で拝見していた山内と瀬川には、疑問で仕方なかったのだろう。

「二人ってどういう関係なの?」

 実習後、唐突に瀬川が訊いてきた。実習室の後方は食事スペースになっており、最後の晩餐に出てくるような長い机が三本並んでいる。そこに四人は座っていた。
 瀬川はぺったんこになった髪が気になるのか、何度も手を伸ばす。
 その行為を、
「不衛生」
 隣の山内が嫌味っぽく窘めるも、
「そんな長くないから、問題ないって」
 慣れているのか、瀬川はさらりと流して、前にいる二人に好奇心満々の眼差し。

「で、どうなの?」
「どうって……? 小学校からの同級生だけど」
「つまり、恋人じゃないんだ?」
 
 やけに弾んだ響きに楓は嫌気がさす。
 一度だけ三津を見るも、どうでもよさげ。

「そういう、おまえらは?」
 
 楓は首だけで質問に答えると。お返し。

「佐藤君たちと一緒。小学校からの同級なんだ」
「俺と瀬川と……あと、あのちっちゃいの――自称一五〇センチの塩谷がな」
 
 行儀悪く、山内はスプーンで遠くを指す。生徒の隙間。低い位置に顔が見えた。

「自称一五〇センチって、また怒られるよ?」
 
 瀬川の注意は口だけだった。頬は緩んでおり、目元は優しい。それが急に、楓を覗き込んできた。身を乗り出し、鼻を鳴らす。

「……えっと、なに?」
 
 謎の行動に、楓は身を引く。
 山内と三津も、瀬川に奇異の視線を浴びせ、距離を取っていた。

「えっ? なに?」
 
 この空気を作った自覚がないのか、瀬川は不安そうに往復させる。

「いや、おまえ。いきなり佐藤に向かって鼻鳴らしてたから」
 
 それに負けたのは山内。事実のみを口にした。

「えっ! ちょっと、二人ともそんな離れなくても」
 
 必死の弁明に心打たれたのか、三津はスプーンを置き、

「ごめん、私……匂いとかそういうフェチの人って無理なんだ」
「……悪いけど、おれも無理だから」
 
 便乗する形で楓も申告する。嘘ではない。中学時代、私物がなくなるという事態に二人は何度も出くわしていた。理由は言わずもがな。想像に難くないし、他人に聞かされることも、直接その現場を目撃した経験もあった。
 なにも置いておけなくなり、残ったのは机と椅子。その、嫌悪感を抱く行為に、恍惚な表情を浮かべている人間……ただ、ゾッとした。怒りを通り越して、恐怖しか覚えなかった。
 その思い出が彷彿されてか、二人は一気に落ち込んでいく。

「いやっ違うから! 私、そういう人違うから!」
 無我夢中で瀬川は否定していた。場違いな声量に何人かの生徒が引かれ、注目される。
「えーと、えっと……」
 舌をもつれさせながら、瀬川は何度も前方――実習に励んでいる生徒たちに目をやり、
「実はその……」
 視線も口も迷いながらではあったが、白状しだした。

美音(みね)……ていうか、塩谷さんが佐藤君からなにか甘い匂いがするって聞いてて……」
 
 前触れもなく、三津が鼻を鳴らす。楓の首元。視線を下ろすと間近に顔があり、楓は身動き一つ取れなくなる。
「あー、なる」
 納得したのか、三津は定位置に戻った。
「お菓子の匂いじゃん」
 
 楓には嗅ぎ取れない。
 それよりも、三津のほうが甘い匂いだと思った。

「楓、よくお菓子作ってるから。その移り香だと思う」
「へー、そうなんだ。お菓子かぁ」
 
 誤解の解けた瀬川は胸を撫で下ろしていた。

「てか、どうして塩谷はそれを知ってんだ?」
 
 きちんと話は聞いていたようで、山内が疑問点をつく。

「――おれに、ぶつかったから」
 
 楓は未だ根に持っていた。即答。
 不機嫌な様子から、
「あー昨日の」
 三津は見抜いたようだ。

「えっと……そのことは、美音も申し訳ないと思っていたみたいで」
「あっ、そう……」
 
 感情は込もっていなかった。含ませたのは思惑。楓は三津に流し目を送ると、好きにすれば? そういう顔をしていた。
 楓は放課後の予定を訊ねる。瀬川と山内はクラス委員会。塩谷はおそらく、暇だとのこと。

「ならさ、ちょっと頼まれてくれる?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み