ささやかな宴 

文字数 2,089文字



「先生、着付け終わりました」
「どれどれ?……うん、とても可愛くできたわ」
 芳子は有希が着付けした着物に最後に少しだけ手を入れてお客さんを送り出した。

▽   ▽   ▽   ▽  ▽   ▽   ▽   ▽

 有希は小学四年生の時に両親を事故で一度に失った。
 その時有希を迎えてくれたのが母方の祖母の雪江、雪江は三十代で夫を亡くし、子供は有希の母親一人だったので長い間一人住まいだった、それゆえに抱きしめるようにして有希を迎えてくれたのだ。

 雪江は夫を亡くした後、独身時代に取っていた美容師免許を生かし、美容院に勤めて娘を育て上げた、そしてその娘が嫁いだのをきっかけに自宅を改装して自分の美容院を開き、それからは一人でその店を切り盛りして来た。
 決して大きな店ではないし繁華街にあるわけでもない、住宅地の中にひっそりとたたずむような店だ、だが地域に密着した美容院として堅実にやって来た。
 普段はそう忙しい店ではないが、年に二回、七五三と成人式の時ばかりは大忙しとなる、有希も着付けを手伝っているうちに自然と憶えたのだ。

 だが、そんな穏やかな日々にも陰りが訪れた、雪江が軽い脳梗塞で倒れ、右手が少し不自由になってしまったのだ、有希が高校二年生の時のことだった。
 普段の生活には大きな支障はない程度ではあったのだが、美容師としては致命的な障害、その時、有希は美容師となって祖母の店を継ごうと心に決めた。
 しかし、それには美容専門学校を卒業しなければならないし、修行も必要だ。
 その時に手を差し伸べてくれたのが、先ほど有希が「先生」と呼んだ雪江の友人、芳子だったのだ。
 それ以来、有希は芳子の店を手伝う傍ら、定時制の美容専門学校に通っている、いわば見習い美容師なのだ。

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 そして今日は成人の日、芳子の店も大忙しだ。
 芳子は髪のセットで手一杯、着付けは有希が担当し、最後に芳子が手直しすると言う分業でこの日を乗り切ろうとしていた。

「ふう……ひと段落ついたわね」
 この町の成人式は午後一時から、昼頃には予約を全てこなし終えてようやく一息つくことができた。
「有希ちゃんもお疲れ様、でももうひと踏ん張りしなくちゃ」
「え?」
「ほら、もう一枚着物が下がってるでしょう?」
「ええ、どうしてなんだろうって思ってましたけど」
「あれは有希ちゃんの分、あなたも今年成人式じゃない」
「え、ええ、でもあたしは見習い美容師だから……」
「だからって諦めることないわよ、もう時間はあんまりないけど、二人でならまだ間に合うわ、さ、始めましょう」
 芳子は有希を半ば押し込むように美容椅子に座らせた。

「さ、着付けも完了、髪の方はちょっと手抜きになっちゃったけどね」
「そんなこと……」
「ほらほら、式まで後十分しかないよ、車で送ってあげるから急いで」
「何から何まで……」
「有希ちゃんが来てくれて助かってるんだからこれくらいわね、楽しんでいらっしゃい」
 芳子は有希を急かすように車に押し込むとアクセルを踏み込んだ……。

▽   ▽   ▽   ▽  ▽   ▽   ▽   ▽

「ただいま戻りました、今日はどうもあり……あれ? お祖母ちゃん」
 夕方、有希が店に戻るとそこには雪江も待っていた。
「孫の晴れ姿だもの、しっかり目に焼き付けておかなくちゃね」
「お祖母ちゃん……」
「さあさあ、ぐるっと一回りして良く見せてあげなさい、今日のスポンサーなんだから」
 美容院をやっていた頃はそこそこのお金はあったが、今は年金だけが頼りの祖母、その中から今日の費用を捻出してくれたのだとわかって有希は目頭を熱くした。
「でも美容院の費用は芳子のおごりでしょ?」
「あれ? あたし、そんなこと言ったっけ? あはは、でもそりゃ当然だよね、他でもない有希ちゃんのためなんだから、よっしゃ、事のついでに写真館の費用もあたしが持つわよ」
「芳子、太っ腹!」
「それ、あたしの体型見て言ってない?」
「怒らない怒らない、その後、どこかでささやかな宴にしましょう、芳子にもおごるからさ」
「この太っ腹をもっと膨らまそうっての?」
 快活に笑い合う祖母と師匠……祖母の店にせよ、芳子の店にせよ、流行の先端を行くような美容室ではない、年配の女性が一人で切り盛りしているような店だ。
 普段は自分の恰好など構わず働いている女性が気楽に入れる店、そんな人たちがちょっとよそ行きに髪を整えたり着物を着せてもらったりできる店、そんな店は必要なんだと有希は思う、そして七五三や成人の日のような日本の伝統を守って行くためにも……。
 
 その晩、そう高級なわけではなく、でもちょっとだけよそ行きな和食店で催されたささやかな宴。
 有希の気持ちがジンワリと温められたのは、三人でお銚子二本だけ空けたお酒のせいばかりではなかった。
 

(終)

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