スカイツリーで見た夕日

文字数 3,451文字

 
 

 僕は大学四年、専攻は社会学。
 昨年暮れに就職の内定は貰ったし、夏休み前に卒論のテーマも決めて、担当教授からもOKを貰っている。
 要するにあと一年、かなりの余裕を持って学生最後の一年を楽しめる境遇にあるんだ。
 羨ましいって? 自慢じゃないけどこの三年間まじめにコツコツやって来たんだからそれくらいのご褒美はあってもいいだろう?

 で、夏休み後にキャンパスに戻ると、同じゼミに彼女が居たんだ。
 名前はスーリン、東南アジアの小国……同じアジア人だから何とか国名くらいは知っているけど、欧米人ならまずほとんど知らないような小国からの留学生だということだ。
『スーリン? それはファーストネーム? それともファミリーネーム?』って聞くと。
『ただのスーリンよ、家族や親しい友人はスーって呼ぶわ』だって……。
 まあ、その時、(ああ、スー・リンなのかな?)と思った、僕もスーって呼んで良い? って聞くとニッコリ笑ってくれたからそれ以上突っ込んで考えなかった。

 彼女も卒業後の進路は決まっているし、母国の大学の卒業規定はもうクリアしてるそうで、留学は『見聞を広げるため』なんだそうだ。
 彼女は実にフランクな性格、それに育ちが良いのか実直で鷹揚、付き合いも良いからたちまちゼミの人気者になった。
 彼女、日本人と顔立ちがあまり変わらないけど、やはりちょっと違うところもある。
 スーの顔立ちはくっきりしている割に雰囲気はふんわりとしてる、それを生かそうとするなら、眉はもう少し自然にぼかして、口紅ももう少しピンクっぽいものを選びそうな気がする。
 いや、女性のメイクについてあまり考察したことないんだけど、どことなく違和感を感じたんで考えてみたんだ。
 でも、ゼミの他の女の子も同じ意見だったから、あながちハズレじゃないと思うよ。
 要するに、少し大人っぽく見せたいのか、それともスーの国での美的センスなのか、スーのメイクははっきりしている、で、その割にちょっとだけカタコトの日本語が可愛らしくて、その落差がまた魅力的なんだな。

 え? うん……まあ、白状するよ。
 一目ぼれって感じではなかったけど、徐々に、徐々に惹かれて行ったよ、スーに。

 まあ、スーの国はあまり裕福とは言えない国みたいだけど『見聞を広げるため』だけに短期とは言え留学できるってことは、スーの家はかなり裕福なんだろう。
 鷹揚で屈託のない感じは育ちの良さから来ているんだろうな、でも人を見下すような感じはまるっきりないから性格の良さも折り紙付きだな。
 実際、ゼミ仲間で遊んだり飲んだりする時、スーは出しゃばらないのに存在感があるんだ。
 で、学生時代最後の夏が逝くのを惜しんで、ゼミのみんなで海に出かけた時の写真。
 赤いチェックの……なんて言うのか知らないけどキャミソールとショートパンツが繋がってるような服にオフホワイトのリボンがついた小さめのストローハット、ふと振り向いた時にパチリとやった写真が妙に可愛くて、僕は自分の机に密かに飾ってる。
 もうね、キャンパスで会うたびに、机の写真を眺めるたびに、僕はスーに惹かれて行ってしまったんだ。

 秋も深まってもうすぐ冬休みって頃のこと。
 その日、ゼミに顔を出したのは僕とスーの二人だった。
 チャンスだと思ったよ、スーは男どもにも女の子にも人気があって、中々二人っきりになれなかったからね。

「今日はこれから予定ある?」
「ううん、これだけ」
「お茶でも飲まない?」
「うん……あなたの予定は?」
「僕もこれだけ、昨日は夜遅くまで論文頑張って書いてたから、今日はこれからオフのつもり」
「だったら……ねえ、スカイツリー案内してくれない?」
「これから?」
「遅い?」
「いや、良いよ、じゃ行こうか」

 そんなわけで半日デートが実現したってわけ。
 せっかくだから、と言うわけで、浅草の観音様とか仲見世とかも案内して、スカイツリーの展望台に上ったのはもう夕暮れ近かった。
 
「夕日がきれい……」
「スーの国では? もっときれいなんじゃない?」
「私の国は山に囲まれて海とかないし、高い建物もないから」
「そうかぁ……」
 なんか気の利いたことを言いたかったんだけど、スーが僕の肩に頭を預けてくれると、何にも考えられなくなっちゃった。
 そのまま一時間くらいかなぁ……高層ビル街に落ちてゆく夕日を見ているうちに、ビルに、そして家々に灯りが点って行く。
「こう言う夜景って国では見られないの、やっぱり日本に来て良かった……」
「そっかぁ……」
 相変わらず気の利いたことが言えなかった、だって春になれば卒業、スーも母国に帰ってしまう、その前にどうしても伝えたいことがあるんだけど、どう切り出して良いかわからなかったから……。
 でもね、思い切って肩に手を回したら、スーはもっと寄り添ってくれたんだ。
 そのことにちょっと勇気をもらって、思い切って言ってみた。
「今年のクリスマス、良かったら僕と一緒に過ごさない?」ってね。
 ……でも、色好い返事はもらえなかった。

「ごめんなさい、もう国に帰らなきゃいけなくなったの……」
 
 もし断られたら……と思ってなかなか言い出せなかった緊張がプツンと切れて、残ったのは脱力感だけだった。
 はっきりとノーと言われたわけじゃない、スーも僕と一緒にクリスマスを迎えることは嫌じゃないみたいなんだけど、事情がそれを許さない……いや、方便だとは思わなかったよ、そういう駆け引きみたいなことをする娘じゃないってことは良く知ってるから。
 だから、こうも言ったんだ。
「そう……また日本に来れる?」ってね。
 でもスーはなんだか淋しそうな顔をするだけだった。
 あんな顔、一度も見たことなかったな……。

 で、しばらくして、冬休みに入る前にスーは慌ただしく帰国して行った。

「おい、見たか? あのニュース」
「ああ、びっくりした」

 大きなニュースじゃない、東南アジアの小国のニュースだから。
 でもゼミの皆はその国の名前にはピンとくるから見逃さなかったんだ、もちろん僕もね、

 それはスーの国の国王が亡くなったというニュース。
 そして葬儀の様子を写した写真にスーも写っていたんだ、『スーリン王女』としてね、あの特徴的なイヤリングもそのままだったから見間違えようがない。
 そう、スーはスー・リンじゃなくて、ただのスーリン、王族ゆえに姓はなかったんだ。
 そして王女様だったわけ。
 この夏、お兄さんである王子夫妻に男の子が出来て、スーはちょっと肩の荷を降ろせたんだ、もしお兄さんに男の子が出来ないとスーが王子を産まないと血筋が途絶えることになる、だからそれまでは国を離れることもできなかったんだ。
 でも無事に王位継承者が生まれたんでスーは念願の留学を果たせた、だけどそれも束の間、国王が亡くなった今、お兄さんが国王になり、スーは、いや、スーリンは呼称こそ王女のままだが、お兄さんをサポートして様々な公務をこなさなくちゃいけなくなった、だからもう日本に戻ることもできなくなったってわけ。
 
 伝統的な民族衣装に身を包み、伝統的な形に髪を結い上げたスーリン王女、あのちょっとアンバランスに見えたメイクもしっくりとして、一層綺麗に見えた。
 でも僕にとっては日本にいた時のスーの方が可愛く見えたけどね。
 国に帰らなくちゃならなくなった、と言った時の淋しそうな顔……日本での生活が楽しかったからってこともあるだろうと思う、でも、きっと僕とクリスマスを過ごしたいって思ってくれてたんだろうと思う……僕の欲目かもしれないけど。

 
 あれから五年。
 ここのところ、スーリンの国と日本の関係が親密になっている、国が日本企業を誘致し、日本企業もそれに応じて進出している、まあ、今まで付き合っていた国々に問題が多すぎたってこともあるけど。
 スーリン王女がそこにどれくらい関わっているのかはわからないけど、もしかしたら短くとも王女が日本で過ごした日々、とりわけスカイツリーから眺めた夕景、夜景が少しくらい影響してるかもしれないな。
 その時、王女の肩に回されていた手に関する記憶は関係ないだろうとは思うけどね……。
 



(終)
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