ラスト・ショット

文字数 4,686文字

 

 僕はカーリング・ストーン。
 誰だい? 漬物石だなんて言うのは、カーリング・ストーンって言うのはスコットランドにあるアレサクレイグと言う小さな島で採れる花崗岩が最高とされていて、ご多分に漏れず僕もその島の石で出来てるよ。
 島から切り出された僕はカナダの会社に運ばれて、カーリング・ストーンって役目を与えられたってわけ。
 カーリング・ストーンってのは8個がワンセット、僕はAの1を刻印された黄色いハンドルを付けられて、はるばる日本に送られて来たんだ。
 
 日本にやって来た僕は長野って地方にあるスケートリンクに備え付けられた。
 あ、カーリング・ストーンってチームや選手個人の持ち物じゃないんだ、試合はリンクに備え付けのストーンで行われる、練習もそうさ。
 まあ、20キロもあるから、それを8つも持ち運ぶって現実的じゃないだろ? 海外遠征なんてことになれば運賃もバカにならないよね。
 
 自慢じゃないけど、僕はちょっと特別なストーンなんだぜ。
 僕を作ったカナダの会社には何人も職人がいるんだけど、その中で一番のベテラン、ストーンを50年以上作り続けて来た名工さんが引退するに当たって『最後に100%満足の行くストーンを作ってみたい』と願い、会社もその人の功績をたたえるためにその願いを聞き入れたんだ。
 彼は材料を吟味し、時間をかけて丁寧に削り出し、磨き上げて僕を作り出したってわけ。
 まあ、だからと言って銘が刻まれてるとか、特別な価格が付けられたと言うこともなくて、8個セットの内のひとつなんだけどね。
 会社は僕を売らないで事務所に飾っておくつもりだったらしいけど、名工さんは『ストーンはカーリングで使われるためのもの、試合で使われてこそ最高のストーンの意味がある』って言ってそれを断ったんだ。
 僕もガラスケースの中で退屈しているより、試合に使われる方がずっといいな。
 
 このリンクをホームにしているのは『チーム・ナイヤガラ』
 僕の生まれ故郷、カナダとアメリカの境にある有名な滝の名前だけど、僕がカナダで作られたことに因んだものじゃないよ、この地方特産のブドウの品種の名前さ。
 甘くて美味しいらしいんだけど、僕は食べられないのが残念なんだ。
『チーム・ナイヤガラ』のメンバーは、ファーストのいずみさん、セカンドの直美さん、サードの美紀さん。 リザーブのこずえさんはまだ高校生、次世代のエースとして期待されてるんだけど、4人と一緒に練習して、その試合ぶりを間近で見ることで勉強中ってとこ、そして『チーム・ナイヤガラ』のキャプテンは由紀子さん、名スキップとして名高いんだ。
 僕は彼女のお気に入りさ。

 前に由紀子さんが砲丸投げの選手と話しているのを聞いたことがあるんだけど、砲丸にもよく飛ぶのと飛ばないのがあるらしいんだ、砲丸って鉄製だから均質だろうと思うんだけど、やっぱり名工が作ったものは芯の位置がぴたりと真中に有るらしい、それが飛びに影響するらしいよ。
 カーリング・ストーンは花崗岩製、天然石だから完全に均質ってわけには行かないよね、僕を作った名工は素材を吟味するだけじゃなくて、重心の位置がぴたりと真中に来るように削り出したんだろうね、回転軸がズレないで綺麗にカーブするんだって。
 名選手ともなると、そんな微妙な芯のズレも感じ取ることができるんだね、そんな名選手のお気に入りだってのは僕の自慢さ。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 今日は2か月後に開かれる冬季オリンピックの代表選考会を兼ねた大事な大会、会場は『チーム・ナイヤガラ』のホームリンクでもあるここさ、長野では一番立派なリンクだからね。
 由紀子さんを中心とした『チーム・ナイヤガラ』はもちろん優勝候補、でも北海道と青森にも強豪チームがあって、三つ巴の代表争いになるだろうって言われてる。
 そんな大事な大会、どうしたって固くなるよね。
 百戦錬磨の由紀子さんですら、たまに小さなミスを犯しちゃう。
 でも固くなるのはどのチームも同じさ。
 で、勝負の行方を左右するような大事なショットになると、由紀子さんは必ず僕を選んでくれる、そして『お願いね』って言って撫でてくれるんだ、それが彼女のルーティンで、そうすると気持ちが落ち着くんだって、由紀子さんは美人でも有名だから僕も嬉しいけどね。
 まあ、『チーム・ナイヤガラ』が順調に決勝まで進んだことに、僕もちょっとは貢献できてたのかな。

 決勝の相手は、青森の強豪を破って勝ち上がって来た北海道のチーム。
 試合は一進一退、エンドごとに勝負の行方が行ったり来たりする大接戦になった。
 だけど、第5エンドでセカンドの直美さんにミスショットが出て、3点差を付けられちゃった。
 そんな緊迫した中、ちょっと緊張が緩むのが『もぐもぐタイム』さ。
 リザーブのこずえさんがニコニコしながらナイヤガラ・ショコラをみんなに配り始めると小さな歓声が上がったよ、ナイヤガラのショコラは結構な高級品だから、ナイヤガラをチーム名にしてても中々口にできないみたいだけど、だからこそ、その爽やかな甘さはみんなの気持ちをほぐすのに一役買ったみたい。
 少し青ざめてた直美さんも、由紀子さんに二つ目のショコラを勧められて笑みをこぼした、もちろん由紀子さんの配慮が嬉しかったんだろうね。
 由紀子さんって、気持ちの入ってないプレーでミスした時とかは厳しいんだけど、仕方がないミスは責めないし、むしろそうやって労わり、励ます優しさを持った女性なんだ、素敵だろう?
 
 ナイヤガラ・ショコラのおかげもあってか、『チーム・ナイヤガラ』は徐々に挽回して行ったんだけど、第9エンド、先攻の北海道チームの8投目が終わった時、1点差を付けられてた。
 カーリングのルールって、ハウスと呼ばれる的の中心に一番近くストーンを止めたチームだけが得点する仕組み、相手チームはそのエンドの得点がゼロになる。
 そして相手チームの、ハウスの中心に一番近いストーンよりも内側にあるストーンの数が得点になるんだ。
 
 最後のショットはもちろんフォースでスキップの由紀子さん。
 相手チームの赤いストーンがハウスの中心、ボタンと呼ばれるポイントの真上にあり、そのすぐ前に黄色いストーン、すぐ後ろに赤いストーンがあって、その三つはほとんど一直線に並んでる。
『チーム・ナイヤガラ』が勝利するには、手前の黄色いストーンを動かさずに、ボタン上の赤いストーンに当てて弾き出し、そのすぐ後ろの赤いストーンもなるべくボタンから離れたところに追いやる必要があるんだ。
 当然大きくカーブするショットが必要になるよね。
 由紀子さんが手にしたのはもちろん僕さ、そしていつものルーティンで撫でてくれたんだけど『お願いね』がなかったんだ。
 さすがの由紀子さんも緊張で忘れちゃったのかと思った、だとしたらちょっと拙いよね。
 でもそうじゃなかった。
 由紀子さんは僕を撫でた後、チュッとキスをしてくれたんだ、そして『お願いね』。
 そりゃもう、僕としては最高に張り切らなくちゃいけないね……と言っても僕が出来ることは正確に滑ることだけ、由紀子さんのショットと、いずみさん、直美さんのスイ―ピングが頼りさ。

 由紀子さんの指示を聞いて、いずみさんと直美さんがリンクに滑り出して行った。
 いよいよだ。
 由紀子さんが、左足を前に出して低い姿勢を取り、ハックと呼ばれる足掛けを右足で蹴って滑り出した。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 良いよ、スピードはばっちりさ、後はスピンの加減を間違えないで……。
 由紀子さんの細くて長い、きれいな指が、ホッグラインの僅かに手前で反時計回りのスピンを掛けながら僕のハンドルを離れた……うん、スピンの加減も完璧、ここから僕のビクトリー・ロードの始まりさ。
 スピードもスピンも完璧だったから、いずみさんと直美さんはブラシを構えたまま僕の少し前を滑って行く。
「まだよ、まだまだ!」
 由紀子さんの凛とした良く通る声がリンクに響き渡る。
 緊迫した決勝戦の最後の一投、敗退したチームのメンバーも含めて観客全部の眼が僕に注がれていて、固唾を飲むようにして見守ってる、そんな中で由紀子さんの声だけがリンクに響き渡る。
 向う側のホッグラインを過ぎた頃からスピードが落ち始めて、スピンが効いて来て僕は少しずつ左にカーブを切り始める、このままでもボタン上にある赤いストーンの真ん中に当たりそうだ。
 でも、コツンと真中に当たっただけじゃボタン上のストーンしか弾き出せない。
 もうちょっとだけ強く、右側に当たらないと……でもあまり芯から外れると、弾いたストーンが手前の赤いストーンに当たっちゃう、もうちょっとだけスピードが欲しい。
「今よ!」
 由紀子さんが叫ぶと、いずみさんと直美さんが猛然とスイープを始めた。
「もうちょっと! もうちょっとよ!」
 そう、『もうちょっと』だよ。
 このままスイープをやめてもボタン上の赤いストーンをはじき出すことはできるし、それは手前の黄色いストーンにも当たらない、でも僕にはもうひとつの使命があるんだ、すぐ後ろの赤いストーンを手前の黄色いストーンよりボタンから遠ざけると言う使命がね、逆転勝ちには2点必要なんだから。
(ここだ! このまま進ませて)
 僕がそう思ったのと同時に由紀子さんの声が飛んだ。
「ストップ!」
『チーム・ナイヤガラ』は出来ることを全てやってくれた、後は僕に任せて!

 コツン。
 僕はボタン上の赤いストーンのちょっと右側に当たった。
 紅いストーンはスルスルと離れて行く、よし! これでこのエンドの得点は『チーム・ナイヤガラ』のもの、でもこれだとまだ1点、同点で延長戦になっちゃう。
 紅いストーンのやや右側にに当たったことで、僕も右側にコースを変えた。
(来るな! 来るな!)
 後ろの赤いストーンの声が聞こえた気がしたけど、それを聞き遂げるわけには行かないな。

 コツン。
 僕は後ろの赤いストーンの真ん中より僅かに左に当たった、彼はイヤイヤをするようにスピンしながら離れて行く……。

『やったー!』
『やった! やった!』
 全てのストーンが静止すると、いずみさんと直美さんが飛び上がった。
 僕はボタンの後ろ端に乗って止まり、ふたつの赤いストーンはボタンの外側にある赤いゾーンまで進んで止まった、もうひとつの黄色いストーンはボタンと赤いゾーンのちょうど境目、これで2点! 逆転勝ちだ!
 由紀子さんと美紀さん、こずえさんも滑って来て僕を取り囲むようにして輪を作って抱き合ってる、最高だよ! この瞬間に輪の中心にいるために僕は生まれて来たんだ! 
 そして、『チーム・ナイヤガラ』の美女5人はリンクにかがみこんで一斉に僕にキスしてくれたんだ……僕は世界一幸せなストーンだな……掛け値なしにそう思った。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 あれから1か月。
 もちろん『チーム・ナイヤガラ』はオリンピック本番に向けて今日も練習中さ。
 そして由紀子さんの手にはもちろん僕。
 オリンピックについて行けないのが残念で仕方がないけど、彼女たちならきっとメダルを首にかけて戻って来ると信じてる。
 あの逆転勝ちでチームの結束は更に強くなったしね。
 そして、その結束の象徴は僕なのさ。
 なぜって。
 あれから毎日、練習が終わると、棚の上に片付けられた僕に5人が代わる代わるにキスして行ってくれるからね…………羨ましい?  
 
 
 

 
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