「やっぱ、無理があったみたい」

文字数 6,555文字




(これからここに通うことになるんだなぁ……)
 わたしは校門から続く並木道を眺めた。
 このキャンパスには入試で一度訪れていたけど、その時とは気持ちが全然違う。
 あの時は案内図と首っ引きでキャンパスの風景を楽しむ余裕なんかなかったけど、今度は無事合格しての初登校、これから四年間ここで学ぶんだと思うと感慨深いしここで学べることが素直に嬉しい、受験を頑張った自分をほめてあげたい気持ちにもなったよ。
 地元の国立大学、かつては『駅弁大学』だなどと揶揄されたこともあったけれども、そもそも国立大学に低レベル校なんてない、この大学も旧帝大系のような超難関とは言えないまでも高校時代真面目に勉強し、かつ予備校や塾で試験に備えて来なければ合格はおぼつかない。
 自分で言うのも何だけど、小学校の頃から真面目によく勉強する子だと言われて来たし、中学、高校でもしっかり勉強して来た。
 地頭が良い方だとは思わない、でも真面目にコツコツと勉強する根気なら人に劣らない自信がある、だからこの大学に入れたんだと思ってる。

 今日は入学に向けてのオリエンテーション、講堂に向かう新入生を見渡せば、自分と同じように真面目にこつこつ努力して来たんだろうな、と思える顔が並んでる。
 だけど……。
 講堂で隣の椅子に腰掛けた娘はちょっと異質だった。
(わぁ……ギャルじゃん……)
 髪型はストレートロングだが明るい金髪、厚化粧って言う程じゃないけどアイラインは上下に入れていてつけまつげもバッチリ、口紅も真っ赤だ。
 服装こそ紺色のスーツに白いブラウスとおとなしめだけど、ブラウスの胸元は第二ボタンまで外していて胸の谷間が見えちゃってるし、スカート丈も極端に短い。
 教育学部だから女子の割合が高いんだけど、図書室が似合いそうな娘が揃ってる中で彼女だけはカフェとかバーとかが似合う感じ。
(ここの新入生……だよね……)
 正直、(ちょっと嫌だな)って思った、真面目に勉強してこなければ入れないはずの大学なのにギャルっぽい娘がいることにちょっと違和感があったんだ……でも人を見た目で判断するのは良くないなと思い直した。
 学長や学部長の挨拶が終わると履修科目の説明とか始まる、すると彼女も熱心にメモを取り始めた。
(ふぅん、やっぱ真面目なんだ……)
 そう思ったが、少し経つと『チッ』と舌打ちが聴こえてちょっとビクっとした、すると小声で話しかけられた。
「ねぇ、ペンとか余分に持ってない? ボールペン書けなくなっちゃってさ……」
 舌打ちはともかく、別に変なことを言ってはいない。
「うん、あるよ、これでいい?」
「うん、充分、ちょっと借りるね、アリガト」
 それまではちょっとぶっきらぼうな印象だったけど、ニコっとすると全然印象が変わる。
(うわ、可愛いじゃん……ってか綺麗だな……)
 そう感じた、で、この短いやりとりの間に彼女と隣り合ってる違和感はすーっと消えて行った。

「これ、アリガト、マジ助かった」
 オリエンテーションが終わると彼女はペンを差し出して来た。
「いつでもいいよ、今日まだ要るかも知れないでしょ?」
「でも、いつ返せるかわかんなくない?」
「あなた、クラスは?」
「Gだけど」
「あ、おんなじ、だったらまたすぐ会えるよ」
「ヘェ、マジそうなんだ、あたし中田優香、ヨロシク」
「あ、あたしは田中優子……」
「へ? どういう字書くの?」
「優しいって字」
「へえ、なんか名前似てるね、同じ優が入ってるし」
「名字の方も中田と田中、ひっくり返しただけみたいだよね、それで同じ大学の同じ学部、クラスも一緒だなんてなんか奇遇だよね」
「ホント、それな」
 二度目の笑顔……なんか、優香のペンが書けなくなって良かったな、と思った。
 同じ高校からこの大学の教育学部に入ったのはあたしだけ、知り合いがい一人もいない中で初日から友達が出来たなぁって思って嬉しかった。

 当然帰りも一緒。
「優子は地元の高校から?」
「うん、そうだよ、優香は?」
「あたしは東京」
「へぇ」
 ちょっと意外……こっちから東京の大学へ行く子は結構いるけど東京からこっちの大学へって珍しいんじゃないかな……。
「前はこっちに住んでたとか、親戚がいるとか?」
「別に」
「……」
「何で? って聞きたいんでしょ? 別にいいよ」
「そう? 何で?」
「単純に親元離れたかったんだよね、なんか息が詰まるって言うかさ……学費も自分で何とかしたかったんだ、今の時代だと高校は半分義務教育みたいなカンジだけどやっぱ大学は違くない? でもさすがに東京の国立に受かる学力なくってさ、ここが丁度良かったんだよね、東京からの距離も良いカンジだったし」
「ふうん……」
「なんか納得できないってカンジ?」
「ううん、親から離れてみたいなって気持ちはわたしにもあるよ、でも実行に移しちゃうのはすごいよ」
「そうかな?」
「そう思うよ、ってことは独り暮らし?」
「まあね」
「それってなんかちょっと憧れるかも」
「でもアパートボロいよ、古いし狭いし」
「そうなんだ」
「それでも良かったら来る? まだ引っ越したばっかであんまり片付いてないけどさ、コーヒーくらいは出せるから、インスタントだけどね」
「行く行く」

「ボロいっしょ」
 部屋に招き入れられると優香が笑う。
 確かに……かなり古いアパート。
 和室の6帖と小さなキッチンだけど、キッチンの床は古びた板張り、流しも相当古い感じ……。
「でもさ、不動産屋に案内された時に『ああ、ここに住むんだ』って感じたんだよね、家賃や立地にも文句なかったし、即決した」
「そうなんだ……」
 言われてみると不思議じゃない気もする、優香は見た目ギャルっぽいけど案外古風な感じもあるし。
「独り暮らしってどう?」
「まだ一週間も経ってないけど思ったよりも大変だね、朝起きてもご飯できてないし、洗濯はコインランドリー行かないといけないし……でも、それがホントだとは思う」
「それがホントって?」
「ウチらもう十八じゃん? 選挙権与えられてるし、バイトするにも無制限じゃないけど高校の時よりすっと選択肢多いしさ、実際お酒とタバコくらいじゃん、制限されてるの」
「そうだね」
「完全に大人扱いってわけじゃないけどさ、八割方大人と認められてるんだと思うんだよね、だったら自分の面倒くらい自分でみなきゃって思ってさ」
「耳が痛いかも……」
「いや、別にそう言う意味で言ったんじゃないよ、それぞれの考え方あって良いと思うしね、あたしは独立したいって思っただけ、家で親に養われてたらああしろ、こうしろって言われても従うっきゃないじゃん? それが嫌だったら独立するっきゃないってことだよ」
「なんか、大人だね」
「背伸びしてるだけかもよ、、学費は奨学金借りてるし、生活費も自分で稼ぐつもりだけどさ、敷金や礼金とひと月分の家賃と生活費だけは親に出してもらってるし、足りなくなったら言えとも言われてる、まだその辺は二割子供だけどね」
 そう言って笑う。
「え? でもバイトで生活費稼ぐって無理じゃない? 家賃もあるなら結構な額になるでしょ?」
「まあ、学校行きながらだから大変は大変だろうね」
「バイト、もう始めてるの?」
「おとといからだけどね」
「どこで?」
「ガールズ・バー」
「ガールズ・バー?」
「そ、ガールズ・バー、知らない?」
「一応知ってるけど……」
「誤解されないために言っとくけど風俗じゃないよ、カウンターを挟んでお酒出したり話し相手になったりするだけ、露出度の高い衣装とか着せられる店もあるみたいだけど、ウチは健全だと思うよ、この服、制服だし」
「あ、そうなんだ」
「まあスカート短いから脚とか胸元とか見られるし、棚からボトル出す時はお尻見られてるんだろうけどね、お客さんの隣に座ったり触られたりはナシ、一応バーテンってことになってるからね……まだカクテルの作り方とか先輩に教わりながらやってるけど」
「へぇ……」
「でも時給はコンビニの倍以上貰えるんだ、あたし資格とかスキルとか持ってるわけじゃないしね、短いスカートは高校時代から穿いてるし、見られるの嫌だったらそんな恰好してないわけじゃない?」
「まあ、そうかも……優香はスタイル良いもんね」
「女の武器使うってちょっとズルい気がしないでもないんだけどさ、自活のためにはそれっきゃないと考えれば、まあオッケーだよね、ま、さすがに風俗はカンベンだけどさ」
「ふぅん……なんかカッコいいよ」
「アリガト、そう言ってもらえると嬉しいよ」
「でも……問題はないの? ガールズ・バーでバイトするって」
「学校に知られてもってこと? 大丈夫、学生課に確認したから……風俗だとさすがにマズいらしいけどガールズ・バーはギリギリセーフだって、二十歳になるまでは勧められても飲んじゃダメとは釘刺されたけどね」
 そう言って笑う優香は輝いて見えた……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 その日以来、優香とは特別に親しくしてる、優香も『親友』と呼んでくれているし。
 まあ、キャンパスでは優香は目立つから連れ立って歩いていると振り返られる。
 はっきり言って『えっ? ギャル?』って視線なんだけど、私は優香がしっかり自立しているって知っているので全然気にならなかった、というよりわたしは目立たない存在なので却って嬉しいくらい。
 その後に出来た友達に優香のことを話すと、ガールズ・バーのくだりで一瞬引かれるんだけど、奨学金を借りて仕送りなしでやっていることを話すと『すごいね!』ってなる、まあそれなりにレベルが揃っているから実情を知れば優香を色眼鏡で見ることもないんだよね。
 そうやって優香もキャンパスに溶け込んで行ったよ。

 一方で優香にはバイト仲間の交流もあるんだよね、そっちの方にはあたしはちょっと馴染みにくい感じ。
 いろんな事情でお金が必要で勤めている娘もいるけれど、遊ぶお金欲しさで勤めている娘ももちろんいるわけで、やっぱりそんな娘は大抵思いっきりギャルしてる。
 わたしは……小さい頃からずっと『本をたくさん読む大人しくて真面目ないい子』で通って来たし、そんな自分に何の疑問も不満も抱いて来なかったんだけど、優香と仲良くなってその交流関係に踏み入れてみると、自分が通って来た道はまっすぐで平坦で面白味がないものだったなぁって思っちゃう。
 親や周囲の大人が敷いたレールとまでは言わないけど、指差されたレールの上を何の考えもなしに進んで来ただけだったんじゃないかって……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「優子、どうしたの? その髪」
「変? やっぱり似合わない?」
「そんなこと……ないけど……」
 夏休みを目前にしたある日、わたしは思い切って髪を明るい茶色に染めてみたの。
 親はもちろん周囲の大人も友達もびっくりしてたし、優香も例外じゃなかった。
「ずっと黒髪だったから飽きちゃっただけだよ」
 わたしはそう言ったけど、本当は変わってみたかったんだ、周囲に『優子にもこんな一面があったんだ』って思って欲しかった。
『似合わない』ってはっきり言って来る人はいなかったけど、一番似合わないって思ってるのは自分だったのかも……。
 逆に『似合う、似合う』って言ってくれたのはガールズ・バーのグループ。
 それまでは彼女たちと一緒にいても私だけ浮いているって感じてたからなんだか馴染めた気がして、日が経ってくると自分でも茶髪に違和感がなくなって来てた。
 そうやって彼女たちと交流して一緒に遊んだりもするようになって来たの。
 ひと夏をそうやって過ごして、自分でも『変われた』って思ってた。

 でもね……。
 やっぱりちょっと無理があったみたい、ううん、髪の色ばかりじゃなくて彼女たちに溶け込もうとしていることが。
 わたしもアルバイトしてお小遣いは自分で稼ぐようにしてたけど、やっぱりコンビニやファーストフード止まりなんだよね、ガールズ・バーはおろか居酒屋の店員に応募する勇気もなかった。
 相変わらず親元で暮らしていたし、学費も出してもらってた。
 どうしても『良い子』から抜け出せなかったんだ、精一杯背伸びしたつもりでいてもね。
 だんだん苦しくなって来るのが自分でもわかってた、わたしには親元を飛び出す勇気もなければ自分で生活費から何から稼ぎ出そうって心構えも持てなかったから。
 それなのに『それっぽく』振舞おうとするのはなんか違うんじゃないかって……。
 もちろん遊ぶお金欲しさにガールズ・バー勤めをするなんてこともね。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「優子……やっぱり優子にはその方が似合うよ」
 夏休みが終わってキャンパスに戻る時、私は元の黒髪に戻してた、それを見た優香はなんだかほっとしたようにそう言ってくれた。
「優香みたいに自立してみたいと思ったし、外見的にも自分を主張してみたいって思ったんだけど、やっぱ無理があったみたい」
「うん、無理しなくていいよ……あのね、あたしは優子みたいに素直でいられないんだ、ああしなさいこうしなさいって言われると『何でよ』ってなっちゃう、だから髪を染めてそう言う仲間と付き合って来たし、親元からも飛び出したんだよね、それでも生活しなくちゃいけないから無理して働いてるんだよ、素直じゃないから突っ張るしかないわけ……あたしは素直で自然体でいられる優子が羨ましいんだ、だから優子と仲良くしてるし、一緒にいるとなんかホッとするって言うか身構えないでいられるんだ、正直言うとね、優子は優子なんだから優子らしくしてて欲しかったんだ」
「やっぱ茶髪は似合わなかった?」
「う~ん、可愛かったと思うよ、でもね、やっぱり優子らしくないな、どこか無理してるなって思って、それが自分のせいかもって思うとちょっと心苦しい気がしてたんだ」
「そっか……私はこれでいいんだね」
「そう思う」
「小学校の先生になるのが目標で教育学部に入ったんだよね、その目標は子供の頃からずっと変わってない、で、いつかは良い人と出会って結婚するんだろうなって思う、相手は先生かもしれないしそうじゃないかもしれないけど、お金持ちだったりイケメンだったりじゃない気がするの、でもきっと優しい誠実な人で、その人の子供を産んでお母さんになって、一緒に一生懸命育てて行くことになるんだと思う……なんかそんな未来が見えちゃうとつまんない人生のような気がしてそれに逆らいたくもなったんだけどさ、胸に手を当ててよく考えてみたんだ、そんな人生をあたしは望まないんだろうか? 平凡で穏やかな人生じゃ満足できないの? って……そしたらね、気づいちゃったんだ、ちっとも嫌じゃないって、ちょっとくらい退屈でも平穏で幸せならそれで充分だって……だからそんな自分を受け入れることにしたんだ」
「うん、優子はそれで良いと思う、そうやって地に足を付けて歩いて行けるって言うのも一つの才能なんだと思う、たぶんあたしは優子とは違う人生を送るんじゃないかって気がするけど、なんか変な方向に向かって行っちゃいそうになった時、優子を思い出して、優子と逢って話したら道を踏み外さないで済むんじゃないかみたいな……」
「わたしがそれほどの者かどうかわからないけどね」
「ううん、きっとそうだよ、だからすっと親友でいてくれる?」
「もちろんだよ、地道な人生だって決断しなきゃいけないことってきっとあると思うんだ、そんな時優香を思い出して、優香と逢って話したら決心がつきそうな気がする、だからこっちこそずっと親友でいて欲しいな」
 そう言って両手を握り合ったんだ。
 
 こうやってわたしの『茶髪騒動』は終わったんだけど、わたしと優香の物語は終わらないよ、多分どちらかが一方でも生きてる限りね。
 わたしと優香の人生のレールって真っ直ぐ並んで伸びて行くものじゃない気がする、絡みあったり離れたり……でもお互いに相手を見失うことはない、みたいな……。
 そんな親友と出会えたことは幸福だし、ちょっと背伸びしてみたりしたことはきっと私にとって必要なことだったんじゃないかって。
 だから、今度わたしが髪を染めることがあるとしたらそれは白髪染めだね、きっと。
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