俺ひとりだけ……

文字数 3,441文字



「あ、お兄ちゃん、今帰り?」
「おう、お前もか?」
「うん」

 仕事帰り、俺が駅の改札を出ると妹の由佳に出くわした。
 由佳は駅前のスーパーでレジを打っている、シフト明けに自分の店で買い物をして帰るところだったらしい。
 横じまのタンクトップに白デニムのパンツ、首周りにはネックレスもペンダントもなく、右手首には髪をまとめるための黒ゴム、髪は染めず、化粧もごく薄く、左手に抱えたスーパーのレジ袋からは長ネギがにょきっと突き出している。
 およそ飾り気のない妹だろう?
 だが、丸っこい輪郭は親しみやすく愛嬌たっぷり、少しばかり目尻が下がり気味の大きな目と大きめの口元が屈託のない笑顔を浮かべているのを見れば、こっちも自然と笑顔になるってもんだ。
 
「レジ袋、こっちへ寄こしな」
「持ってくれるの?」
「ああ、兄妹と言っても男だからな、女の子に荷物を持たせたままじゃ格好がつかないだろ?」
「やった! ラッキー!」
 由佳は俺に長ネギが飛び出しているレジ袋を差し出し、俺はそれを受け取った。 
 その左手の薬指にはきらりと光るダイヤモンド、由佳が身に着けている宝石・貴金属類はそれだけだが、もちろんその指輪はどんなに大きな宝石にも勝る輝きを放っている。
 ちょっと憎らしいくらいにね。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 俺たち兄妹の両親は、俺が高校三年の時に事故で亡くなった。
 知り合いの葬儀に車で出かけて行き、その帰りに急カーブの続く山道でガードレールを突き破って転落したんだ。
 葬儀の帰りとは言っても運転席の父からアルコールは検出されなかった。
 父は要領が良いタイプではなく稼ぎもあまり良い方じゃなかったが、真面目一方の性格だったから酒気帯び運転などするはずがない、そして山道でスピードを出し過ぎてハンドル操作を誤るような真似をするはずもない。
 おそらくは対向車線からはみ出して来た車を避けようとしての事故だったのだろうと思う、だが他車との接触の跡もなく、その時間帯に通行していた車も特定できないとあって自損事故として扱われた。
 その時、妹の由佳はまだ小学六年生だった。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 俺と由佳は歳が六つ離れている、それだけ離れていると喧嘩をした記憶もほとんどない。
 小さい頃は今よりもっと丸っこい愛嬌のある顔で、俺の後にチョコチョコついて来る由佳を、俺は割とかわいがってやった方だと思う。
 そして、悲劇に見舞われて泣いてばかりの妹は俺が守ってやる他はなかったし、そうするのが当然だと思った。

 その頃俺が通っていたのは公立の工業高校、野球の名門校だったので選んだ学校だった……小、中学校時代野球ばかりであまり勉強していなかったせいもあるんだが……。
 どのみちレギュラーにもなれていなかったので俺は野球部を辞め、隣町の旋盤工場でアルバイトを始めた。
 高校の社会研修の際にお世話になった工場だが、社長が……社員は『親方』と呼んでいたが……高校野球ファンだったこともあって可愛がってもらい、卒業後もそのまま就職させてくれた。
 幸い、家は祖父の代からのものでローンなどはなかったものの、高校出の初任給では兄妹が暮らして行くには足りない、自損事故と言う扱いだったので賠償金もなかったしね。
 だが生命保険と僅かな貯蓄を少しづつ切り崩して足りない分を補って行けば、なんとか暮らして行ける見通しはつけられた。
 俺が働いて食わせなければ由佳は児童福祉施設行きだ、俺は懸命に働いて由佳を中学、高校と通わせ、由佳は学校に通いながらも炊事を始めとする家事をこなし、俺たち兄妹は力を合わせて生きて来た。
 ようやく暮らし向きが楽になったのは、由佳が高校を卒業してスーパーに就職してから。
 それからの五年間はまずまず幸せに暮らして来た。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 そんな由佳が婚約したのは三月ほど前のことだ。
 相手は俺の中学時代からの親友、孝志。
 俺と孝志は少年野球、中学野球とつうじてのチームメートなんだが、孝志は野球よりも勉強が得意、俺は勉強よりも野球が得意、それでなんとなく気が合ったのかも知れない。
 孝志は中学卒業後、進学高として知られる公立高校へ進学して離れ離れになったが、俺たちは家が近所だったこともあってそれからもちょくちょく行き来し、野球の応援にも来てくれたりして親交は続いていた。
 そしてあの事故……孝志も大学受験で大変な時期だったはずだが親身になって相談に乗ってくれたし、『何とか出来るなら由佳ちゃんを施設になんか入れるべきじゃない』と言い、生活費の計算や、何かあってどうしても金が必要になった時は家を担保にどれくらい借金が出来るのかなども計算してくれ、何とかやって行ける見通しを立ててくれた。
 おかげで俺も漠然とした不安を吹き飛ばして『頑張るぞ』って気持ちを固められたのを憶えている。
 
 その後、孝志は無事に東京の大学に進学し、帰省する度に家に遊びに来ては由佳の手料理を食べては『美味い、美味い』と喜んでいた。
 その頃由佳はまだ中学生だったが、孝志はその頃から由佳に惹かれ始めていたらしい、と言うか、三月前にそれを白状した。
 いつもならラフな格好で遊びに来る孝志が、かしこまったスーツを着てやって来て。
「お兄さん! 由佳さんを僕に下さい!」
 と畳に頭を擦り付けんばかりに頭を下げた時はさすがにぶっ飛んだ、孝志に『お兄さん』なんて呼びかけられるとは想像もしていなかったし。
 まあ、でもわからないでもない。
 由佳は愛嬌のある可愛らしい顔立ちだし性格も明るく素直、中学生の頃から主婦業をこなしているようなものだから家庭的な良い嫁さんになる資質は充分だしね。
 そして由佳も一緒に頭を下げたとあれば認めないわけにはいかないだろう? 孝志がいい奴なことは俺も良く知ってるわけだし。

 しかし、『由佳さんを僕に下さい!』が唐突だったわけじゃない。
 孝志は大学を出てそのまま東京で就職していたんだが、一年ほど前に親父さんがガンに罹ったことを理由に県庁に転職してUターンして来た。
 幸い早期発見だったので三か月ほどで退院して今は仕事にも復帰しているんだが、そう深刻な病状ではなかったことを孝志が知らなかったとは思えない、親父さんの病気を口実にしたとまでは言わないがUターンしたかった理由は他にもあったんだと思う。
 東京での仕事に大きな不満があると言うようなことは聞いていなかったから、少なくともこっちに由佳がいることが理由の一つだったんだろうと考えるのは不自然じゃないだろう? 事実Uターンして来てからは休日ともなれば毎週のようにデートに連れ出していたんだから。

「このネギは何にするんだ?」
「焼きネギの煮びたしよ」
「お、いいね」

 焼きネギの煮びたしって言うのは、一番外側の皮が真っ黒に焦げるまでネギを焼き、その焦げた皮をむいて鰹出汁で煮たもの。
 俺の好物だから嬉しいんだが、孝志の好物でもあるところが少し引っかかる。
 正直に白状すると、由佳が孝志と結婚することにはちょっと複雑な思いがあるんだ。
 もちろん孝志が良い奴だってことは俺が良く知ってる、多分由佳よりも。
 そして由佳はきっと良い嫁さんになるだろうってことも良く知ってる、多分孝志よりも。
 そんな二人が結婚することには何の不安も不満もない……はずなんだが……。
 相手が孝志じゃなくて知らない男だった方が気が楽だったような気がするんだ。
 由佳は大変な時期を一緒に乗り越えて来た大切な妹だし、孝志は小学校時代からずっと親しくしてる大切な親友、その二人をいっぺんに盗られちまうような……俺だけがひとり取り残されるような……。
 まあ、孝志はこの近くに新居を探しているから二人と会えなくなるようなことはないと思う、でも二人の新居にお邪魔して、二人が仲良く暮らしているのを見れば、やっぱり取り残されたような気がするんじゃないかって気もするんだ。

 俺もかれこれ三十間近、今のところ影も形もないが、これから嫁さん探しに精を出すことにしよう、由佳と孝志に負けないような家庭を築くんだ。
 でも、由佳のより美味い焼きネギの煮びたしを作れる嫁さんを見つけるのは簡単じゃないだろうな、って気はしてる。
 まあ、俺の方も孝志が由佳に贈ったのよりでっかいダイヤを買ってやれるかって言うと、それも難しいんだけどね。

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