二丁拳銃のドリー

文字数 6,119文字




「親父! 酒だ!」
 入り口のスイングドアが乱暴に『Bang』と言う音を立てて開けられた。
 元より室内と通りに面したテラスをきっちりと隔てられる代物ではないが、砂埃混じりのつむじ風が酒場の店内を駆け巡ったかのようだ。
 スイングドアを壊しかねない勢いで入って来たのは12人の男たち。
 自らイビル(Evil)と名乗る男をボスとする、悪名高い盗賊団だ。
 折しも駅馬車が到着したばかり。
 酒場は長旅の疲れと乾いた喉をいやそうと一杯引っかけに来た客で満席だ。
「気が利かない野郎だな、ボスが立ってらっしゃるんだ、さっさと席を空けねぇか」
 酒場の中央、カウンターを背にしたテーブルに陣取っていた、でっぷりと太った、駅馬車の旅には似合わないシルクハットにモーニング姿の男が、妻としては妙に若い、胸元が大きく開いている白いドレスに小さな帽子をかぶったレディの手を取り、テーブルに紙幣を一枚置いてそそくさと壊れかけたスイングドアの向こうに消えて行った。
「へへ、中々礼をわきまえたジェントルマンだぜ」
 ジェントルマン相手に凄んだ盗賊はテーブルに置かれた紙幣を鷲づかみにするとポケットにねじ込んだ。
「ボス、どうぞ」
 ボスが鷹揚に頷いて酒場全体を見渡せる椅子に掛けると、それを合図にしたように酒場からは潮が引くように人がいなくなった。
 テーブルに小銭や紙幣を置いて行く者もあったが、どのみち店主の懐には入るはずもない、これ幸いと酒場かりに金を置かずに千鳥足で出て行く者もいた。
「店中の酒をありったけ出せ、お前ら、俺のおごりだ、存分に飲め」
 ボスがそう言うと『ヒャッハー!』と言わんばかりに、テーブルに盗賊共が群がる。
 ボスは『俺のおごり』と言ったが、どのみち金など払ってもらえるはずもない。
『あのぅ、お代を』などと言えば鉛弾のおつりを喰らうのが関の山だ。
 バーテンダーを兼ねる店主は、駅馬車の到着に合わせて酒をたっぷり用意しておいたことを後悔しながらも、カウンターにずらりと並べたグラスに酒を注いで行く。
 シングルだのダブルだのと言った計量は必要ない、こぼれるほどになみなみと注がなければパンチの一つも飛んできかねない、彼は内心深いため息をつきながらグラスを酒で満たして行った。

 盗賊共は、山あいに小屋を建ててアジトとしている。
 駅馬車が通れるのは山と山の間に切り通された道だけ、危険を承知の上でそこを通らざるを得ないのだ。
 そうやって駅馬車を襲って金品を、時には女を奪い、時折街に下りて来ては狼藉を働く。
 もちろん駅馬車も黙って襲われてばかりいたわけではない、腕利きのガンマンを雇って用心棒とするのだが、何しろ相手は山に精通している、身を隠しながら狙撃できる格好の場所を知り抜いているのだ。 どこから狙われるのかわからなければ応戦しても後手に回るばかり、何人ものガンマンが命を落とし、最近では雇われるガンマンもすっかりいなくなった、いくら報酬を受け取っても、命がなくなればその金を使って楽しむこともできないのだから。
 郡政府とて黙って見逃してばかりいたわけではなかった……かつては、だが……これまで何人もの保安官を街に送り込んだが、街に配属されると言うことは長生きできないのと同義語なのだ。
 最近では盗賊団が山を下りて来た知ると、われ先に馬に飛び乗って『パトロール』に出かけてしまう、『パトロール中だったのでどうにもならなかった』と言う言い訳をするためだ。
 そして、実情を知る郡の方でも『それならば仕方がなかった』と認めてしまう、そうしなければ保安官のなり手がいなくなってしまうのだ。

 物の数十分もしないうちに、酒場は盗賊共の宴会場と化していた。
 大声で歌う者、カウンター奥の酒瓶を撃ち抜けるか競う者、殴り合いの喧嘩を始める者もいる。
 店主は深いため息をつきながら、しかし落ち着いた態度でカウンターの後ろに立ち続けていた。
 自分を撃てば酒をサービスする者がいなくなる、そこだけは盗賊共もわきまえていると知っているからだ。
 
 その時だった。
「もうちょっと静かにお酒を楽しめないのかしら、騒がしくて落ち着けやしない」
 L字に曲がったカウンターの隅から声がした。
 薄暗がりになっている上に酒樽の影に隠れて誰も気づいてなかったのだ。
「なんだと?……おう、よく見れば女じゃねぇか、痛い目に合わないうちに出て行きな、それとも俺たちと一緒に楽しむかい?」
「そうそう、たっぷりと可愛がってやるぜ」
 どっと笑い声が起きるがどの目も血走っている、開拓の充分進んでいない西部には女は少ない、とりわけ若い女となればそれはもう『貴重品』なのだ。
「お断りするわ、いい男はそこら中に転がってるわよ、誰があんたたちみたいにむさい男の相手なんかするもんですか」
「なんだと? 優しく言ってやってればつけあがりやがって」
 間近にいた盗賊が女の胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。
 女のいでたちはと言えば、黒のテンガロンハットに保安官が着る様な黒いコート、それも肩に引掛けるのではなく、きっちりと前を合わせている。
「へへへ、ちょっとばかりむさいかも知れねぇが、男の中の男ってのはそう言うもんだ、ご親切にも本物の男の味を教えてやろうってんだ、喜んで教わってる方が身のためだぜ」
 盗賊がそう言ってマントをむしり取ろうとした、その刹那。
「ぐえっ」
 蛇に巻きつかれたカエルのような呻ぎ声を上げて男はその場に膝をつき、身体を丸くして震えている。
 膝蹴りをまともに股間に食らったのだ。
「あらあら、男って決定的な弱点を抱えてるものね、ちょっと膝を上げただけなのにね」
 女は目深にかぶっていたテンガロンハットのつばをクイっと上げた。
 白い肌、青い瞳、鼻筋はすっと通り、赤いルージュも鮮やかな唇、華やかな顔立ちに、テンガロンハットからこぼれ落ちた、ピンクがかった銀髪が更に花を添える。
 ここ、開拓途中の西部にあっては、砂漠に舞い降りたフラミンゴのようなあでやかさ。

「殺すんじゃねぇぞ、アジトに連れて帰ろうじゃねぇか」
 イビルが舌なめずりせんばかりに唇を歪めて不気味な微笑みを浮かべた。
「へい、そりゃぁもう、そのように……へへへ、俺ぁ、そいつのように油断はしねぇぜ」
 二人目の盗賊が膝蹴りを警戒しながら女の右腕を掴もうとした途端、そいつは宙を舞った。
「うげっ」
 腰をしたたかに打ち付けてのたうち回る。
「ほう、妙な技を使いやがる、少しはやるようだな」
 前の二人とは違う、落ち着いた雰囲気の男が立ち上がった、ナンバー2かナンバー3か知らないが、あっさりやられた二人のチンピラとは一味も二味も違うようだ。
「男ならどてっぱらに穴を開けて風通しを良くしてやるところだが、女を撃つ趣味はねぇんだ、女には別の使い道があるんでな、殺しちまっちゃもったいねぇ」
 素早いステップで間合いを詰めて来た男が右ストレートを繰り出して来ると、女はそれを左手で受け止め、右の拳を固めて男の腹めがけて打とうとする、しかし男もさるもの、それを左手で受け止めた。
「中々やるじゃねぇか」
 男は左ジャブを矢継早に繰り出す、女はそれを上体の動きでかわすと、一足跳びに後ろに飛びのき、自ら黒いコートに手をかけると右ストレートを繰り出そうとして来た男に投げかけて視界を奪った。
「このアマ!……お?」
 男はつんのめって膝をつきコートを払いのけて振り返ったが、その眼は女に釘付けになった。
 それもそのはず、黒いコートの下から現れたのは星条旗の赤と青を基調に、星とストライプの白をあしらった水着、どう見ても布地を節約しすぎたトップスの胸元からは、真っ白で豊かなバストが零れ落ちんばかり、ボトムスと言えば、秘密の部分をかろうじて覆っている三角の布だけ、そしてそれば青い紐でそこに留まっているだけ。

「あたしを甘く見るんじゃないよ、二丁拳銃のドリーとはあたしのことさ!」

 膝をついている男と同様、あっけにとられたように目を奪われていた盗賊共だが、その名を聴いてたじろいだ。

『二丁拳銃のドリー』
 目にもとまらぬ早撃ち、そして正確に獲物を撃ち抜くことで知られる賞金稼ぎ。
 そしてドリーにはもう一つの武器があった、今、この瞬間、盗賊共はそれを知った。
 男なら誰でも一瞬目を奪われるその肢体、名だたる悪党もその隙を衝かれて賞金の札束にその姿を変えていたのだ。
 
「二丁拳銃のドリーか……その名を聴いちゃ生け捕りは諦める他はねぇな……野郎ども、構うこたねぇ、殺っちまえ!」
 ボスの一声で盗賊共は一斉に拳銃を抜き、ライフルを構えた。
『Bang! Bang!』
 ドリーは目にもとまらぬ早撃ちで手近の二人に引鉄を引く間を与えずに撃ち抜いた。
『Bang!』
 そして振り返りもせずに肩越しに拳銃を構えると、後ろで拳銃を構えたパンチ男の額に真っ赤な刺青を入れ、素早く後ろに回って男の身体を盾にする。
『Bang! Bang!』
『Bang! Bang!』
 仲間二人の銃弾に、額に刺青男の身体は踊ったが、二人は二発目を撃つことはなかった、刺青男の肩越しにドリーが放った銃弾が二人に死の舞を踊らせたのだ。
 すると、舞っていた男たちの陰からライフルを構えた男二人の姿がドリーの眼に飛び込んで来る、ライフルの弾丸は人間の盾では防ぎきれない、楽々貫通して隠れている者の身体をも撃ち抜く威力を持っている。
『Bang! Bang!』
 ドリーは盾にしていた男の死体を突き飛ばし、素早く床に転がると仰向けのまま続けざまに二発発射し、ライフル男たちそれぞれの左胸を撃ち抜いた。
「こいつ!」
「よくもやりやがったな!」
 あっという間に7人の仲間を撃ち殺された残党は怒りに震えながら突進しようとするが、さすがにボスは冷静だった。
「囲め!」

『Bang!』
『Bang!』
『Bang!』
 その号令ひとつで残りの4人は二手に分かれてドリーを囲もうとするが、ドリーはボスめがけて撃つ、が、さすがにボス、ドリーの動きを読んで弾をかわすと早撃ちで応戦して来た、ドリーはとっさに身をかがめてその銃弾をやり過ごしてもう一発撃ったが、二発目は手元が狂って外してしまった。
 だが、その二発を撃ったおかげで、ボスの隣に居た、幹部と思しき男はその場を離れられなくなり、離れていた二人だけがドリーの両側に回り込んで来た。
『Bang! Bang!』
 二人はドリーの両脇から同時に発射した、しかしドリーはそのタイミングを計っていた。
「ぐあっ!」
「ぐえっ!」
 ドリーは二人が引鉄を引く瞬間、果敢に前へ飛び出して行き、二人は同士撃ちとなってその場に崩れ落ちた。
「あっ!」
 ボスの両側を固めた幹部だったが、同士撃ちを目の当たりにして一瞬の隙が生じた、それを見逃すドリーではない、たちまちドリーの銃弾の餌食となって吹っ飛んだ。
 だが、ボスは手下が次々とやられて行くこの状況にも眉一つ動かさず、隙を見せるようなことはない。
 残るはボスとドリーの一騎打ち……と思われたが、ドリーは背後に殺気を感じた。
 最初に股間を蹴り上げられていた男が立ち上がって銃を構えていたのだ。
『Bang!』
 ドリーは振り返りざまに股間男の額を撃ち抜いたが、その瞬間、ボスに対して隙を見せてしまう羽目に陥った。
『Bang!』
 ボスはその瞬間を衝いて撃って来た。
「ああっ!」
 ドリーは右肩を撃ち抜かれながらボスめがけて一発撃ったが、その銃弾は虚しく棚の酒瓶を砕いただけだった。

「勝負有ったな」
 ボスがせせら笑う。

「いかに二丁拳銃と言っても6連発銃が二丁だ、お前はもう12発撃っただろう? 俺は一丁しか下げていないが、弾はまだたっぷりある……これでジ・エンドだ」
 ドリーは撃たれた右肩からの出血を押さえながらじりじりと下がりながら、倒れた盗賊の拳銃を拾えないかとブーツの先で探る……が……。
「無駄だ」
 ボスは冷酷に言い放つ。
 その言葉通りボスは隙など見せない、ドリーが跳びかかれない距離を保ちながら、膝をついたままじりじりと下がるドリーの額をロックオンしたまま、絶対に外さないだろう距離を保ってじりじりと前に出て来る。
「手下を全て失ったのは痛いが、このご時世だ、代わりになる食い詰め者はいくらでもいる、だが、二丁拳銃のドリーよ、お前はここで終わりだ。

『Bang!』

 店に響き渡る銃声……思わず観念して固く目を閉じたドリーだったが、前のめりに倒れて来たのはボスの方だった、そしてボスの身体の陰に隠れていたのはあの店主兼バーテン、その右手にはまだ煙を上げている銃が握られていた。

「助かった……」
 思わす安堵のため息を漏らすドリーだったが、店主は微笑みを浮かべて銃をカウンターの下へと戻した。
「助かったのはこちらだよ、俺だけじゃなくこの街のみんなだ、あんたのおかげでもう盗賊共を怖れずに済む、イビルがいなくなったからね……それはそうと、その肩の傷はすぐに医者に診せた方が良い」
 店主はそう言って壊れかけのスイングドアを開けて、『誰か、ドクターを呼んで来てくれ、すぐにだ』と叫んだ。
「ありがとう……あ~あ、でも賞金を稼ぎ損なっちゃったな、イビルを倒せば当分遊んで暮らせたのにね」
「いや、イビルを倒したのは、ドリー、あんただったろう?」
「え?」
「11人の手下を全部倒して、しかもイビルの注意をその一身に集めていたんだ、あんなに隙だらけのイビルなら誰だって倒せたさ、ドリー、君の手柄、賞金は君の物だよ」
 店主に抱き起され、その腕の中で微笑むドリー、そして見つめ合う二人……。

 緞帳が降り始め、固唾を飲んで見守っていた観客からは割れんばかりの拍手が、舞台の真ん中で抱き合う二人に注がれた。

「はい、お疲れさん、ドリー、いい芝居だったぜ」
「ありがとう、お客さんも喜んでくれたみたいね」

 パリ9区リシェ通り32番地。
 ミュージックホール『フォリー・ベルジュール』は今日も満席だった。
 劇中でドリーを演じていたのはアメリカ人女優・メアリー・ウィルソン。
 アメリカのレビュー界で人気を博し、ここパリに招かれたのだ。

 フォリー・ベルジュールは格調高い劇場ではない、シニカルな笑いを取るスタンドアップ・コメディ、アクロバティックなサーカス・ショー、緊張感を保った身体の線も露わに鮮やかに舞うソロ・ダンサーのショー、そしてごく少ないかごく薄い衣裳しか身に着けない大勢のダンサーたちが舞踊るレビューで賑わう『大人の社交場』なのだ。
 マネの最後の傑作『フォリー・ベルジュールのバー』では、カウンターに置かれたオレンジの皿によって、モデルの女性が『酒と愛の売り子』であることを示していると言われる。
 
「さあ、メアリー、お客様がお待ちだよ」
「ええ、お待たせしちゃ悪いわね」
 メアリーは血のりが着いた青い上着……上着と言っても肩と腕しか覆っていないが……を脱ぎ捨て、重い二丁拳銃を下げたベルトを外すと、再び緞帳が上がり始めた舞台へと戻って行った。
 今度はコートを付けずに……。
 そして、ウエスタンブーツをはいた脚を高く上げて歓声に応え、軽やかに舞い始めた。
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