明日を見据えて

文字数 3,566文字

 毎月投稿している『今月のイラスト』の新作ですが、仲間内でやってるSNS内のお題コミュにも則した作品でもありす。
 お題は「はじめまして」「親愛なる者へ」「狼になりたい」 どれも中島みゆきの歌の題名です。
 中島みゆきの作品は骨太の詩が魅力だと思っているので、題名ではなく歌詞の内容を使っています。
 お題には出ていませんでしたが、缶コーヒーBOSSのCMに使われた「ヘッドライト・テールライト」が好きなので、勝手にお題に付け加えちゃいました。



            『明日を見据えて』


「格闘家になったきっかけ? う~ん、話すと長くなるわよ」
 宏美は両手に持った10kgものダンベルをいとも軽々と上げ下げしながら、ちょっと遠くを見るような目つきで天井を見上げた。

 宏美は最近めきめきと実力をつけて来た女子総合格闘家。
 幼さの残る可愛らしい顔立ちとそれに似合わない迫力のバスト、男性ファンが目を付けないはずもない、デビュー当時から注目を浴びた。
 だが、その頃は人気先行で実力の方はそれに追いついていなかった。
 スポーツ紙や専門誌の取材も受けたが、記事の方はと言えばルックスとプロポーションをことさらに取り上げるものばかりだった。
 そんな中で女性記者のあたしだけは彼女の試合内容を取り上げた。
 その頃の彼女は経験が浅く技術が伴っていなかったが、パワーは光っていたしスピードもある、立ち技に難はあるものの磨かれれば光る素材だと感じていた、それゆえに容赦なく苦言を呈する記事も書いていたのだが、彼女はむしろそんなあたしを信頼してくれてずっと懇意にしてくれているのだ。

「元々は芸能界志向だったの、中学の時にダンス部に入ってね、ステージで注目を浴びるのが快感でさ、勉強は大嫌いだったから中学を卒業したら東京に出たいって思ってた、東京に出さえすれば何とかなるって思ってたのよ、何のあてもなかったのにね」

 高校へは行かず、東京に出て芸能プロに入りたいと言った宏美だったが、両親がそんなことを許すはずもない、高校受験だけはしたがそれはポーズに過ぎず、入試で白紙の答案を出した彼女はその夜、母親のへそくりをそっと持ち出して家出してしまう。
 
「持ち出したお金? 20万だったな……とにかく一番安いカプセルホテルに泊って片っ端から芸能プロに売り込みに行ったわ……結果はまあ、わかるでしょ?」

 田舎からぽっと出の娘……そこそこ可愛らしく、その頃からもうバストは目立っていたが、『得意の』ダンスとてちゃんと習ったものではない、プロの目から見ればお遊戯の延長線上にある程度のもの、どこのプロダクションからも相手にされず、かと言って勝手にお金まで持ち出して家出して来た身だ、帰るに帰れず、持ち出した20万もあっけなく底を尽き、年齢を偽ってメイド喫茶でバイトしながら路上生活を送ることになる。
 
「3か月くらいそうやってたかなぁ、もうね、自分の甘さが身に沁みてわかった……東京には1千万人の人がいるのに誰も助けてはくれないんだもん、当たり前だけどさ……15歳の女の子が路上生活なんかしてりゃ危ないこともあったわ、レイプされそうになったこともあった、無我夢中で暴れてたら偶然金的蹴りが入って何とか逃れられたけどね……梅雨時になると夜は寒いし雨も吹き込んで来るし辛くてさぁ……親に会わせる顔がないのはやまやまだったけど田舎に帰るしかないかなって思った、帰れば畑を手伝うしかないんだけどさ、仕方ない、仕方ないんだって自分に言い聞かせたよ、東京にはあたしを愛してくれる人なんか誰もいない、こんなあたしでも愛してくれるのは親だけなんだってわかったから……でね、なけなしのお金はたいて始発電車の切符買ったの、急行料金なんか払えないから鈍行、始発でも田舎に着くのは昼過ぎなんだよね……でね、もうポケットの中には小銭しかなくてね、お腹ペコペコだったから駅前の吉野家に入ったの、朝の4時頃だもん、お客さんはパラパラとしかいなくてさ、みんな疲れた顔してるの……夜中じゅう仕事して来てこれから帰って寝る人もいただろうし、これから仕事だったんだろうね、まだ寝ぼけたような顔をして牛丼つついてる人もいたわ……なんかね、すっごく侘しい雰囲気だった……誰の助けも受けずに生きて行くのって大変なんだって思った、みんな一人で頑張って生きてるんだなって……でもさ、夢とか希望とかもあの朝の吉野家には全然なかった、誰もが自転車みたいなもん、どんなに疲れていてもこぎ続けてなきゃ倒れちゃう……そう思ったらね、涙がこぼれて来ちゃったの、自分の甘さを思い知ったってこともあるけど、夢を追って東京に出てきたはずなのに現実にはね返されて、親を頼って帰ろうとしているのが情けなくて……そしたら斜め前に座ってた男の人が声をかけて来たの『どうした?』って……」

 その男はあまり真っ当な仕事をしている男ではなかった、有体に言えばキャットファイトのプロモーター……いや、山師と言った方が近い。 いかにも家出少女と言った風体で、可愛らしい顔立ちと大きなバストを持つ宏美は『使える』と思ったらしい。
 キャットファイトに出場することを条件に前借りを認めてくれて、宏美は何とか寝ぐらを得ることができ、昼間はメイド喫茶で働き、夜は際どい水着を着て、男たちが取り囲むブルーシートの上で、時にオイルまみれに、時に泥まみれになりながら戦った。
 だが、そこで宏美は隠れた素質を発揮した。
 アイドルとして売り出すには少しばかり大きすぎる身体、ダンスで鍛えた運動神経、いやいや手伝わされていた畑仕事で培われていたパワー、キャットファイトのレベルではそれらは充分に通用したのだ、それに加えて可愛らしい顔立ちと迫力のバスト、人気が出ないはずがない。

「元々は格闘技に興味はなかったのよね、でも試合に勝って、8割方エロ目当てだとわかってても声援を受けているうちにのめり込んで行っちゃった、だってさ、あの朝、吉野家で自分はひとりじゃ何もできない価値のない人間だと思って泣いてたんだもん、東京の片隅にでも自分の居場所を見つけられた、自分の居場所を自分で確保できたんだと思うと、何だか嬉しくてさ……もっと強くなりたいって思うようになってジムにも通い始めたんだ、メイド喫茶とキャットファイトの合間に時間を作ってね……でもさ、実を言うとキャットファイトでは圧倒的に強くなっちゃったら人気なくなっちゃったんだけどね」

 宏美は可笑しそうに言った。
 お色気格闘技のキャットファイトで人気を失うのは痛手のはずだが、もうその頃にはそんなことはどうでも良くなっていたようだ、宏美のヘッドライトははっきりと本格格闘技の方向を照らしていたのだ。
 キャットファイトで無敵の娘がいる、とどこかで聞き及んだのだろう、女子プロレスの関係者が試合を見に来て、宏美はその場でスカウトされた。
 そして、その団体で5年間プロレスの修行をしてすっかり看板レスラーとなった宏美は、より強い相手を求めて総合格闘技に転向した。
 それから順風満帆と言うわけではない、女子プロレス時代からのファンが付いて来てくれたこともあってデビュー当時から人気は高かったものの、キワモノ扱いされることも少なくなかった、水着のグラビアに登場してからは特に『あんなチャラチャラした女には負けられない』とばかりに叩きのめされることも少なくなかった、失神KOを食らって病院に担ぎ込まれたこともある。
 だが、宏美のヘッドライトは格闘技から逸れることはなかった、勝ったり負けたりしながらもリングに上がり続けて経験とトレーニングを積み重ねて徐々に力を付け、今では大きなタイトルに挑戦できる位置までもう少しと言うところまで来ている。

「ま、そんなところかな……もうこれくらいでいい? スパーリングに入りたいの」
「ええ、充分、記事書いたら載せる前に見せるわね」
「良いわよ、別に、書かれちゃ困るようなことは喋ってないから。 キャットファイト出身なのは隠してないし、別に黒歴史だとも思ってないの、どれもこれもあたしが歩いて来た足跡だからね、ま、強いて言うならお母さんのへそくり黙って持ち出したことかな、でもそれももう時効だよね」

 そう笑って宏美はリングに上がって行った。
 宏美のヘッドライトはまっすぐ前を照らしている、その光の中に前を走る車のテールランプが照らし出されなくなるまで宏美はアクセルを緩めることはないだろう、明日を見据えた彼女の旅はまだ終わっていない……。

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