自称2.5枚目の俺が一瞬だけ2枚目になった時のこと

文字数 5,476文字



「なんだよ? そのコスプレは?」
「このキャラクター、知らない?」
「いや、知ってるけどさ……」
 実際、そのキャラクターのことなら知っていた。
 俺自身はさして漫画好き、アニメ好きと言うほどでもないのだが、コミック研究会の友人がいて、そいつが『古典的名作であり、今に続く萌えキャラの原点だ』と言って貸してくれたので一通り読んでいたのだ。
「かなり刺激的な格好だってことだよ」
「そう思ってくれるの?」
 そう思わないわけはない、スク水姿は何度も見ているがビキニスタイルは初めて見たし、思っていた以上に『たわわ』だ……緑色のウィッグも、本来おとなしめの顔立ちに似合っているようないないような……いや、悪く言っているんじゃない、違和感がむしろ新鮮に見える。
「このキャラを知ってるなら話は早いわ、どう? これから鬼ごっこしない?」
「鬼ごっこ?」
「そう、鬼ごっこよ」
「原作、読んだことあるぜ」
「そう、地球の存亡をかけた鬼ごっこよ」
「大学の文化祭だぜ、大げさだな」
「でもあたしにとっては同じくらい大切な鬼ごっこなの」

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 羊(よう)は幼馴染、それこそ公園デビューの砂場からの付き合いだ。
 まあ、その頃の記憶なんてないから、気づいた時にはもう当たり前のようにそばにいたと言うわけだ。
 家も近所なので幼稚園も一緒、二人とも普通に公立に上がったから小・中学校も一緒だったし、それなりに仲良くもしていた。
 小学校5~6年生ともなると女の子たちは『恋バナ』に華を咲かせ、男の子たちも気になる女の子の噂話など始める。
 俺は自称『2.5枚目』、友達に言わせれば『せいぜい2.9枚目くらいだろ?』らしいが、女の子たちの恋バナにもちょくちょく名前が挙がっていることは羊から聞いて知っていた。
 自分でも能天気でおちゃらけた奴だと言う自覚はある、ついつい会話の尻にオチを付けたくなるし、自前の一発ギャグもひとつやふたつではない。
 顔は悪くないと思っているし運動神経もまずまず良い方だと思うが、特に優等生でもないし、楽器が弾けるとか絵が上手いとかの特技もない、背丈も低い方、でも俺の周りには常に笑いがあるし、それなりの人気者だという自負もある。
 だから『2.9枚目』、恋バナに名前が挙がって来ても三番手、四番手と言ったところ、それも納得していた。
 羊は『あたしは中(あたる)ちゃんが一番だよ』と言ってくれていたが、羊は身近過ぎて『へぇ、そうなの? サンキュー』と言った程度の嬉しさしかなかった。

 高校は地元の公立に進んだ、偏差値的に言えば中よりちょっとだけ上といったところ。
 羊は俺より成績が良かったからもうワンランク上の高校でも充分狙えたと思うのだが、俺と同じ高校を選んだ。
 もっとも、通学に便利でウチの中学から結構な人数の生徒が進む高校だったから、それを不思議とも不自然とも思わなかった。
 高校に進んだ頃から俺は背が伸びて体つきもがっちりとして来て、小学校から続けて来たサッカーでもレギュラーを取れるようになった。
 すると、女の子の俺を見る目がちょっと変わって来た。
『普段は面白い男子』だけど『ゴールを目指して競っている時の真剣な顔はカッコ良い』らしい、そして『その落差が良い』のだとも、つまり2.9枚目から2.5枚目に格上げになったと言うわけだ。
 羊とは毎朝同じ駅から同じ電車に乗って通学していたのだが、俺にとって羊はあくまで『幼馴染』、気安く何でも話せる相手、例えるなら食べ慣れたカレーライスのような感じで、舌に馴染んでいるけれど特別なごちそう感はなかった。
 だから『誰それに告られた』とか『誰それとデートした』なんて平気で話していたし、羊も『良かったじゃない』とか言っていたものだ。

 俺が志望した大学は俺にとってはちょっと難しいレベルだった、高2の秋の大会が終わった頃から勉強に身を入れ始め、高3の春の大会で敗退してからは夏を待たずに部活から引退して本格的に準備して何とか手が届いた。
 羊はと言えば、もうワンランク上の大学を志望していたものの入試に失敗して結局俺と同じ大学に入学を決めたのだが、高校卒業を間近に控えた頃、俺は羊と仲良しだった娘から意外なことを聞いた。
『羊はね、わざと第一志望落ちたんだよ』と。
 つまり、教師や親からは『充分狙えるんだから狙いなさい』と言われてワンランク上の大学を受験するにはしたが、わざと実力を出さなかったと言うことらしい。
「なんでだよ、そんなことあるわけないだろ?」
 大学受験にはかなり力を入れていた俺には、大事な入試で手を抜くなどということはちょっと理解できなかった、それは試合でわざとゴールを外すようなものだ。
「なんでって……胸に手を当ててよく考えてみなよ」
 その娘は謎かけめいた言葉を残しただけで、それ以上言わなかった。

 大学ともなると、同じ駅を利用していても毎日同じ電車に乗り合わせると言うことはない、せいぜい週に数日だ。
 そんな中で、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「わざと第一志望落ちたって聞いたけど、本当なのか?」
「う~ん……どうだろ……」
 羊はそこまで言うと、しばらく黙っていた。
「どうなんだよ?」
「わざとって……わけじゃないよ、でも気乗りしてなかったのは事実だな」
「なんで?」
「こっちの大学には中がいるから……」
「俺のせい?」
「別に中のせいだなんて言ってないよ、でもあたし……」
 それっきり黙ってしまったが、俺もそれ以上は突っ込めなかった。
 ただ、それまではごく当たり前のカレーライスだった羊が、ちょっと高級な欧風カレーレベルになったことは間違いなかった。

 我ながら煮え切らない男だと思う、おちゃらけキャラに似合わず……。
 羊の気持ちはわかったつもり、だけど世の中にはカレーライスより魅力的に見える料理はいくらもある。
 例えば鉄板の上でジュージュー音を立てているステーキとか、デミグラスソースがたっぷりかかったハンバーグとか……フレンチやイタリアンのコースまで思いが至らないのはまあ、2.5枚目の身の丈と言ったところかも知れないけど……。
 だが羊の気持ちを知ってしまったゆえに、ステーキやハンバーグに手を伸ばせないでいたのも本当のところ……向うから寄って来てくれても躊躇なく飛びつけない。
 そんな中途半端な気持ちを抱えていたところで、羊から持ち掛けられたのが『鬼ごっこ』だったと言うわけだ。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「もうすぐ10時の鐘が鳴るわ」
 羊は大学のシンボル、時計台を指差した。
 毎正時、その時計台は時刻の数だけ鐘を打ち鳴らすのだ。
「6時間後、4時の鐘が鳴り終わるまでにこの角を掴んだら中の勝ち」
 羊はウィッグについている角を指差した。
「そしたら、中はあたしのことなんか気にしないで誰とでも付き合っていいよ、あたしはそっと身を引くから」
「4時までに掴めなかったら?」
「その時はあたしの勝ち、あたしと本気で付き合って欲しいの……どう?」
「……よし、受けた……」
 俺が中途半端な気持ちでいる以上に羊は切羽詰まった気持ちでいたのだろう、どちらに転んだとしても、お互いの気持ちに踏ん切りをつける意味で悪い提案じゃない。
「それじゃ……でもこの近さじゃ鐘が鳴り始めたとたんに捕まっちゃう、あそこのベンチまで離れてくれる? 10時の鐘が鳴り始めた瞬間に鬼ごっこ開始よ」
「わかった」
 そう言って指定されたベンチまで行って振り返ると既に羊の姿はなかった、人ごみに紛れて消えたらしい。
(あいつ、本気だな……)
 俺は10時の鐘を聞きながらそう思った。

 構内は広いし人出も多い、普通の格好の羊ならば見つけるのは難しいだろう、だが何しろあのコスチュームだ、アニメ研のプラカードも持っているし、写真を撮らせて欲しいとか一緒に写りたいとか言う輩は少なくない、特に人が集まっているところを探せば見つけるのは簡単なはずだ。
 案の定、10分もかからずに見つけたのだが、よほど辺りに気を配っているのか、30mくらいまで近付くと羊は俺に気づいてさっと逃げてしまった。
 俺は羊よりずっと脚が速いつもりだし、追いつけば抱きとめることができるくらいの力もある、5mくらいまで忍び寄れれば捕まえることは簡単なはずだった……もっともトラ柄ビキニの娘に抱きついたら周囲からどんな目で見られるかわからないが……。
 それからは何度トライしても同じ、どれだけ気を付けて近づいても、背後から忍び寄っても羊は俺を察知してさっと逃げてしまう。
(何かカラクリがあるな)
 俺はそう思ったが腹は立たなかった、それだけ羊はこの鬼ごっこに勝ちたいと言うことなのだから。
 
 12時過ぎ、俺は模擬店のやきそばを買って、スタート地点となったベンチに腰掛けた。
 5~60m先に羊の姿が見えていた、思った通り羊は格好の被写体になっていた。
 その時は近所の子たちなのだろうか、小学生くらいの女の子5~6人に囲まれて代わる代わる写真を撮られていた。
(……いいな……)
 俺は素直にそう思った、今は10月、天気の良い日中と言ってもビキニでは寒いはずだ、それでも女の子たちに囲まれて楽しそうに笑っている。
(あいつ、こんなに可愛かったかな……)
 ふとそう思うと、これまでずっと見て来た羊の姿が次々と頭に浮かんで来る。
 砂場での羊……はさすがに記憶にないが、幼稚園で年長の男の子に突き飛ばされて泣いていた姿、俺が怒ってその子に突っかかって行き、返り討ちにされて泣いている顔を心配そうにのぞき込んでくる姿……。
 小学校の時『あたしは中ちゃんが一番だよ』と言ってくれた時、おちゃらけ男子の俺は軽く受け流していたけど、あの時の羊の眼は真剣だった……。
 中学の頃、サッカー部でレギュラーに慣れなかったのに毎試合見に来てくれていたのも気づいていた、チームメートの手前、試合後に声を掛けたり一緒に帰ったりしないことを見越していたのか、試合が終わると羊はそっと姿を消していたが……。
 志望高を決める頃、『中はどこ受けるの?』と聞いて来たけど、あれは同じ高校に行きたいってことだったんだろう……。
 それなのに高校では『告られた』とか『デートした』とか……『良かったじゃないと受け流してくれていたが、どんな気持ちで聞いていたのだろう。
 そして大学……第一志望の試験に『気が乗らなかった』と聞いた後も、朝のホームで高校時代からの定位置だった最後尾に羊が立っていたのは何度か見かけていた、俺は何となく気まずい気がして前の方へ移動してしまっていたが、羊は必ず最後尾に立っていた……いつでも俺を待っていてくれた羊を、俺は避けてしまっていたんだ……。
 ちょっと罪悪感のようなものを感じながらベンチを立ち、ジーンズの尻をはたくと、左の尻ポケットに何やら入っている。
 取り出してみると小型の発信機らしい……。
 カラクリはわかった、30mは電波が届く範囲なのだろう、試しに発信機の電源を切って後ろから近寄ってみると、10mまで寄っても羊に気づく気配はない。
 こうなればもういつでも捕まえられる……だが、今度は俺の方に勝つ気が薄れていた。
 勝てば晴れて自由の身、誰とでも付き合って良いんだと言う……でも本当に付き合いたいのは……。
 まあ、こんなカラクリを仕込んでいたのだから、羊には負けるつもりはなかったのだろうが。
 
(そろそろ冷えて来たな……)
 時計の針は3時55分を指していた、そして羊の姿は視線の先にある。
 日が陰って来るにつれて気温も下がって来た、もうビキニでは相当に寒いに違いない、視線の先の羊もカメラを向けられていない時は二の腕をさするようにしている。

(よし、行くか……)
 俺はベンチを立って羊に気づかれないように背後から近づいて行った。
 発信機の電源は気づいた時に既に切ってあるから羊は気づかない、午後いっぱい受信機は反応していないはずだからカラクリがバレた可能性は考えていただろうが、これだけ人が多い中で後ろから近づかれれば気づくのは難しい。

「羊」
「えっ!?」
 背後からいきなり声をかけると、羊は飛び上がらんばかりにビクッとした。
「捕まえた」
 俺は脱いだジャケットで羊の身体を包み込み、右手で角を掴んだ。
「あ~あ……捕まっちゃったかぁ……」
「発信機とは考えたな」
「やっぱり気づいてたんだ……」
「いつ俺のポケットに入れたんだ? 気づかなかったよ」
「友達に頼んだの」
「そうだったんだ……受信機はどこに?」
「ここよ」
 羊は胸の谷間から受信機を取り出して見せた。
「約束だからね、もう中はあたしのことなんか全然気にしないで良いよ、誰とでも付き合いたい娘と付き合って……」
「そうだな……誰と付き合っても良いんだったよな」
「うん」
「じゃあ、今、俺のジャケットに包まってる娘と付き合いたいな」
「え?」
「なんかさ、あんまり近すぎて俺は羊のことちゃんと見えてなかったみたいだ、今日やっとそれに気づいたよ」
「中……」
「鬼娘さん、俺と付き合ってくれない?」
「……いいよ……」
「電気ショックはなしで頼むな」
 俺はそう言うと正面を向かせた羊を抱きしめて唇を重ねて行った……。

 これでもう俺は羊から逃げられないな……何しろこれだけの人が見てる中でビキニ娘を抱きしめてキスしちゃったんだから、『こいつは俺のもんだ、恋人だ』と宣言したようなものだから……もっとも、逃げる気もないんだけどね。


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