奉納の舞
文字数 2,436文字
2016.8の表紙絵に付けたストーリーです。
背景は神戸の生田神社、その由来からストーリーをひねり出しました。

妹の稚菜 とは歳が十二離れている。
私は四年前に結婚し、今は大阪住まい。
ごく普通に通勤・通学に使われる電車を乗り継げば帰れるので、里帰りと言うほど大げさなものではないが、実を言うとあまり帰ってはいない。
たまに用事があって帰っても、近いのを良いことに、用事が済めばそそくさと大阪に帰っっていた。
あまり稚菜 と顔を合わせたくなかったのだ。
可愛らしくて、活発な稚菜 は、ある意味自慢でもあるのだが、ちょっと疎ましくもあるのだ。
そして、その稚菜 を、やはり自慢にして溺愛している両親も……。
私は『出来ちゃった』子だ。
当時二十三歳と二十歳、まだ若かった父と母だが、私を授かったが為に二人は結婚した。
遊びで出来ちゃったと言うわけではない、二人ともいずれは結婚したいとお互いに考えていたそうだ
当時二十歳の学生だった父が女子高生の母に一目ぼれしてナンパした、それが二人の出会いだったが、それはちゃんと恋愛に発展して、それなりの時間をかけて交際を深めて行ったそうだ、私が『出来ちゃった』のも自然の成り行きだったのだろう。
しかし、大卒と言ってもあまり名の通った大学ではなく、営業マンになってまだ一年の父の収入は知れていて、ドラッグストア店員として働いていた母もお腹が大きくなって来ると共働きと言うわけにも行かず、私が生まれればしばらくは育児の為に仕事に戻ることも出来ない。
愛情はたっぷりかけてもらったと感謝しているが、私にはお金はかけられないのが実情だったのだ。
友達があれやこれやと習い事をしたり、塾に通ったりして、なにかしら他より秀でた一面を持っていたのに対して、私は平凡を画に描いたような子供だった、そして、それが多かれ少なかれコンプレックスになっていた……後々になって思い返せばお金がなかったせいばかりではなく、私自身があまり意欲的な子供でなかったせいでもあるのだが……。
私が中学生になったばかりの頃、稚菜 は生まれた。
その前年に父は転職し、前の会社より規模が小さい会社ではあるものの、営業部長を任されるようになっていた、要するに手腕を見込まれて引き抜かれたのだ、収入も格段に増え、家は経済的に随分と潤った。
それまで住んでいた2DKのアパートから3LDKのマンションに引越し、稚菜 は愛情だけでなくお金もきっちりかけてもらえたのだ。
外見も、はっきりと父似で冴えない顔立ちの私に対して、母に生き写しの稚菜 は格段に可愛らしい、名前だって私の照美 はなんとなく野暮ったくて平凡だが、妹の稚菜 は可愛らしいく、凝った感じがする。
私が着せてもらえなかった可愛い洋服を着て、スイミングと日舞を習って活発さとしとやかさを兼ね備え、学校の成績も良かった稚菜 は、私の友達の間でも評判だったが、私は複雑な感情を抱いていた。
そして、名の通った大学へエスカレーター式に行ける中学に入学した時は、自慢の妹であると同時に、すっかり疎ましい存在にもなっていた。
そんなだったから、公立高校を卒業して地元の小さな会社の事務員に納まっていた私を、大阪の取引先の男性が『是非に』と言ってくれた時、私は家を出られることに安堵して、一も二もなくプロポーズに応じた……。
それほど『好き』と言う感情を抱かないままに結婚した私、人より秀でているところは何もないと、何事にもあまり積極的でない私だったが、そんな私を、一回り歳上の夫はとても大事にしてくれ、いつのまにか、私も夫を大切に思うようになっていた。
そんな満ち足りた日々が、少しづつ私を変えてくれたのだろうか、稚菜 が生田神社に奉納する舞を舞うから見に来ない? という母の誘いに、素直にうんと言うことが出来た。
そして、舞を奉納する当日、私は随分と久しぶりに、稚菜 と対面した。
私が家を出た時十二歳だった稚菜 も今では十六歳、昔で言うなら『番茶も出ばな』、娘らしく、美しく成長していた。
正直言って、稚菜 は嫉妬の対象だった、随分そっけなく接してきたと思う。
この四年の間も、全く顔を合わせなかったと言うわけでもなかったが、まともに会話することはなく、挨拶程度で済ませてきたのだ。
しかし、稚菜 の方は、そんな四年間などなかったかのように快活に接してくれて、『お姉ちゃん、お姉ちゃん』と慕ってくれた。
恥ずかしかった……この妹を疎んじていたことが……。
でも、そのことで落ち込むこともなかった……両親も私が稚菜 の晴れ姿を見に来たことを素直に喜んで、歓迎してくれたのが嬉しくて……。
「ねえ、演目はなんなの?」
「生田神社の由来を題材にした創作舞踊なの」
「ふうん、その由来って?」
「日本書紀に書かれている由来でね、神功皇后が外征の帰りに、神戸港まで来たら、船が進まなくなっちゃって、占ってもらったら稚日女尊 が現れて、この地に住みたいので祭って欲しい、って神功皇后に託した、ってお話」
「へぇ、もしかして、稚菜は稚日女尊 の役?」
「うん」
「すご~い、主役じゃない」
「うん……私の名前、稚日女尊 にちなんでつけたんだって」
「そうなんだ、私の照美 とは大違いだなぁ」
「全然そんなことないよ」
「どうして?」
「だって、稚日女尊 は天照大神 の妹だもん……」
背景は神戸の生田神社、その由来からストーリーをひねり出しました。

妹の
私は四年前に結婚し、今は大阪住まい。
ごく普通に通勤・通学に使われる電車を乗り継げば帰れるので、里帰りと言うほど大げさなものではないが、実を言うとあまり帰ってはいない。
たまに用事があって帰っても、近いのを良いことに、用事が済めばそそくさと大阪に帰っっていた。
あまり
可愛らしくて、活発な
そして、その
私は『出来ちゃった』子だ。
当時二十三歳と二十歳、まだ若かった父と母だが、私を授かったが為に二人は結婚した。
遊びで出来ちゃったと言うわけではない、二人ともいずれは結婚したいとお互いに考えていたそうだ
当時二十歳の学生だった父が女子高生の母に一目ぼれしてナンパした、それが二人の出会いだったが、それはちゃんと恋愛に発展して、それなりの時間をかけて交際を深めて行ったそうだ、私が『出来ちゃった』のも自然の成り行きだったのだろう。
しかし、大卒と言ってもあまり名の通った大学ではなく、営業マンになってまだ一年の父の収入は知れていて、ドラッグストア店員として働いていた母もお腹が大きくなって来ると共働きと言うわけにも行かず、私が生まれればしばらくは育児の為に仕事に戻ることも出来ない。
愛情はたっぷりかけてもらったと感謝しているが、私にはお金はかけられないのが実情だったのだ。
友達があれやこれやと習い事をしたり、塾に通ったりして、なにかしら他より秀でた一面を持っていたのに対して、私は平凡を画に描いたような子供だった、そして、それが多かれ少なかれコンプレックスになっていた……後々になって思い返せばお金がなかったせいばかりではなく、私自身があまり意欲的な子供でなかったせいでもあるのだが……。
私が中学生になったばかりの頃、
その前年に父は転職し、前の会社より規模が小さい会社ではあるものの、営業部長を任されるようになっていた、要するに手腕を見込まれて引き抜かれたのだ、収入も格段に増え、家は経済的に随分と潤った。
それまで住んでいた2DKのアパートから3LDKのマンションに引越し、
外見も、はっきりと父似で冴えない顔立ちの私に対して、母に生き写しの
私が着せてもらえなかった可愛い洋服を着て、スイミングと日舞を習って活発さとしとやかさを兼ね備え、学校の成績も良かった
そして、名の通った大学へエスカレーター式に行ける中学に入学した時は、自慢の妹であると同時に、すっかり疎ましい存在にもなっていた。
そんなだったから、公立高校を卒業して地元の小さな会社の事務員に納まっていた私を、大阪の取引先の男性が『是非に』と言ってくれた時、私は家を出られることに安堵して、一も二もなくプロポーズに応じた……。
それほど『好き』と言う感情を抱かないままに結婚した私、人より秀でているところは何もないと、何事にもあまり積極的でない私だったが、そんな私を、一回り歳上の夫はとても大事にしてくれ、いつのまにか、私も夫を大切に思うようになっていた。
そんな満ち足りた日々が、少しづつ私を変えてくれたのだろうか、
そして、舞を奉納する当日、私は随分と久しぶりに、
私が家を出た時十二歳だった
正直言って、
この四年の間も、全く顔を合わせなかったと言うわけでもなかったが、まともに会話することはなく、挨拶程度で済ませてきたのだ。
しかし、
恥ずかしかった……この妹を疎んじていたことが……。
でも、そのことで落ち込むこともなかった……両親も私が
「ねえ、演目はなんなの?」
「生田神社の由来を題材にした創作舞踊なの」
「ふうん、その由来って?」
「日本書紀に書かれている由来でね、神功皇后が外征の帰りに、神戸港まで来たら、船が進まなくなっちゃって、占ってもらったら
「へぇ、もしかして、稚菜は
「うん」
「すご~い、主役じゃない」
「うん……私の名前、
「そうなんだ、私の
「全然そんなことないよ」
「どうして?」
「だって、