続・雨降りの日は……

文字数 5,581文字

 前回の続編になります。
 あれはあれで終わった気でいたんですが、作者自身、二人のその後が気になってw




            『続・雨降りの日は……』

「今年も雨模様だね……」
 梅雨も終わりに近づき、少し蒸し暑く感じられる日。
 テーブルの向かいの席でコーヒーカップを両手で包むようにして飲みながら、早苗がぽつりと言った。
 
 雨の横断歩道で再会してからと言うもの、早苗とはちょくちょく逢っている。
 再会してから数日後、先日の協力会社と打ち合わせがあった時に早苗に電話をかけてランチに誘い、たまには一緒に夕飯を食べたり……デートと言うほどの事はしていないし、何か進展があるというようなこともないのだが……。
 なにしろ、時々ポツリポツリと話す、と言うより言葉の端から零れ落ちる東京時代の事が気になって仕方がない。
 まるで傘を差すべきか、差さないで済ますべきか迷う今日の天気のようだ。
 まったく……降るなら降る、止むなら止むとはっきりしろ、と言いたくなる。
 早苗もそうだ、話すなら話す、話さないなら話さないではっきりして欲しい。
 それに、東京時代を思い出しているらしい時はあんまり幸せそうじゃない、と言うか、何か深く傷つけられたことがあったのは間違いない……と思う。
 イライラすることはわかっているのに逢いたくなる、逢って話をしたくなる、と言うのは、きっと……そう……なんだろうな……やっぱり。

「『今年も』? 『今日も』だろう?」
「ううん、言い間違いじゃない、『今年も』よ」
「どういうことだ?」
 全く、早苗の話はいつもこんな風だ……なぞかけされてばかり、しかも俺はそれをほとんど解けないと来ている。
「今日は七月七日、七夕よ」
「あ、そうか……今年も織姫と彦星は逢えないのか」
「ね? 『今年も』でしょう?」
「そうだな」
 俺としては遥か天上の織姫と彦星の逢瀬なんぞに心を痛める義理もないし、それほどの気持ちの余裕もないんだが……。
「天帝がそう決めたんだっけ?」
「そうよ」
「だったら天帝ってオヤジは相当に底意地が悪いな、七月七日と言ったらまだ梅雨だもんな、晴れる確率はかなり低いぜ」
「そうね……」
 また遠い目だ……頭の回転が速い早苗の事だ、頭の中にはいろんな光景がぐるぐると渦巻いているんだろう、まったく……頭をかち割って中を覗いて見たいくらいだ。
「でも、本来は旧暦の七月七日だから、新暦だと八月なのよね」
「あ、そうか……そう意地悪をしたわけでもなかったか……だとしたら新暦を採用した明治政府のせいか」
「そうとも言えるかもね」
「ああ、そう言えば『五月雨』ってのもなんとなくしっくり来ない気がしてたけど、あれも今なら六月ってわけか」
「そうね、そうなるわ」
「だったらしっくり来るな……行事の日付や季節の言い回しは旧いままで、暦だけ新しくなったからズレちゃったんだな、ボタンを一つ掛け違えたままワイシャツを着ちゃったみたいなもんだな」
「ホント、ボタンを一つ掛け違えると何もかもしっくり行かなくなるのよね……」
 このなぞかけなら俺にもピンと来る……。
「いつ、どんな風にボタンを掛け違えたんだ?」
「え?」
「しらばっくれるなよ、気になって仕方がないんだ、東京にいた頃ボタンを掛け違えたんだろ? だからこっちへ戻って来たんじゃないのか?」
「そんなこと……」
「しらばっくれるなよ、もう一度言うからな……『気になって仕方がない』……んだ、俺がこう言ってる意味、わかるよな?」
「……そうなの?……」
「まさか気がついてなかったなんて言わせないぜ」
「もしかしたらそうなのかな……とは思ってたけど……」
「その『もしかしたら』だよ、そうじゃなかったら、ちっとも会話が弾まないのにこう何度も一緒に飯を食おうって誘うと思うか?」
「……ありがとう……」
「そう言ってくれるなら洗いざらい話してくれるよな? 何時、何処で、誰と、何があったんだ?」
「……うん……」
「で?」
「ありがちな、つまらない話よ……」
「小説やドラマじゃないんだ、実例が沢山あるから『ありがち』なだけさ、一人一人の人間にとっちゃありがちでもなんでもない、俺になら話しても良いだろう? ちっとは楽になるかもしれないぜ」
「そうかもね……いいわ、話す……」
 早苗はコーヒーカップをテーブルに置いて、居住まいを正した。
「大学を卒業して、司法書士の事務所に勤めたの……法学部を選んだ時は弁護士になりたいと思ってたんだけど、実際の弁護士の仕事って、たとえ明らかに非がある側でも依頼を受ければ罪を逃れたり軽くしたりするために働かなくちゃいけないでしょう? どうもそれは納得できなくて……それに、七年間だったけどこっちに住んでたら、東京での暮らしって息が詰まるようで……実家も今はこっちだし、司法書士の資格を取って、いずれはこっちで働きたいと思ったのよ」
「俺の故郷で、今も俺の土地さ、早苗が好きでいてくれて嬉しいよ」
「そう? ありがとう……で、勤めた司法書士事務所の所長と……」
「下衆な言い方かもしれないけど、デキちゃったわけだ」
「まぁ、そういうことね……有能な司法書士で学ぶところも多かったし、所長としても所員の待遇からなにからきちんとしてた、ボスとしては申し分ない人だったわ……司法書士って国家試験があるんだけど、事務所に勤めて何年も経験を積んでもなかなか合格できない人も多くてね、私は随分と目をかけてもらったと思う、君ならすぐに資格を取れそうだとか言われて、大事なお得意さんとかへも良く同行させてもらってたのよ……彼、その頃離婚協議中でね、車の中とかで私にはちょくちょく弱音を漏らしてた……後で冷静に思い返せば男の人として好きだったわけじゃないの、でも、その内仕事だけじゃなくて食事に誘われたり、お酒に誘われたりしている内になんとなく勘違いしちゃったみたいで……」
「それ、周到な作戦だったかもな」
「ええ、多分そう……立派に仕事をして事務所もしっかり経営しているボスが自分にだけ弱いところを見せてくれる……尊敬してたし、もちろん嫌いじゃなかったから……それにね、私って大学の時も全然モテた覚えがなくって、恋愛に関しては経験不足だったのね、やんわりと迫られるとかわしたりはねのけたりできなくて……気がついたら妊娠してた……」
「でも、今ここにこうしているってことは……」
「ええ、堕胎したわ……離婚協議に不利になるからって言われて、離婚がちゃんと成立したら結婚して、子供はまた作ればいいからって……気持ちの中では納得できなかったけど、客観的に考えればそれが最良だと思った」
「客観的に……か……早苗らしいけど、恋愛に関しては客観性ってあんまり意味がないと思うけどな」
「その通りだと思う、私も頭ではそうすべきだと思いながらも中々自分を納得させられなくて……多分、事務所でも浮かない顔をしてたんだと思うわ、そしたら先輩が声をかけてきてくれてね」
「女性?」
「ううん、男性……十年勤めてるけどまだ資格が取れないで居て、事務所の中ではちょっと影の薄い人だったけど、親切な人でね、何でも相談に乗るからって言われて、彼と喫茶店で向き合った時、洗いざらい喋ってしまいたいと思ったけど、相手は所長だし、私、結局何も喋れないで泣き出しちゃったのよ……涙が一粒落ちたのがわかったらもう止まらなくなっちゃって、子供みたいに声を上げて泣いちゃった……他のお客さんにはチラチラ見られるし、彼、相当バツが悪かったと思うけど、何も訊かないでただただ慰めてくれてね……その時、堕胎を決心できたわ……男の人を見る目がなかったんだと自分でも思う」
「その人を好きになったとか?」
「そこまで単純じゃないわ、ただね、離婚協議に不利になるから堕してくれって言った所長と、自分には何も関係がないのに、恥ずかしいのを堪えてただ慰めるためだけに側にいてくれた人……どちらが立派なのかやっとわかったってだけ、私、自分はもっと賢いつもりで居たのよ、いつだって理詰めで最良の道を選べるんだと思ってた……でもそうじゃないんだ、理屈なんてあふれ出す感情の前では無力なんだってわかった、そういうことよ」
「それは一つ賢くなったってことかもな」
「そうかな? そうは思わなかったけど、そういうことなのかもしれないわね……もう少し話してもいい? 少し生々しくなるけど……」
「当たり前だろ? 俺から洗いざらい話してくれって言ったんだから」
「もう妊娠15週位になってたから、堕胎って言っても半ば出産に近いのよ、いろんな検査を受けて、処置を受けて、いよいよ麻酔をかけられた時にね、お腹の中で赤ちゃんが動いたの……それまでそんなこと感じたことなかったのに……その時、急に赤ちゃんが愛おしくなって、結婚なんかどうでも良いからこの子をちゃんと産んで育てたい……そう思った……ううん、思ったなんてレベルじゃなくって、私が間違ってた、私の赤ちゃんを殺さないでって叫びたかった……でもね、もう麻酔が効いて意識もなくなりかけてて、体も動かなくって……殺さないでって、勝手な言い分よね、自分でそう決めてお医者さんにそう頼んだんだから……気づくのが遅すぎたのよ、お腹の赤ちゃんはこの世に生まれてこようと一生懸命育ってたんだって、経過はどうでも、私をママに選んでこのお腹の中に来てくれたんだって……麻酔から醒めた時、もう私のお腹の中に赤ちゃんはいなかった……看護婦さんに赤ちゃんを見ることも出来るけどどうしますか? って聞かれたわ、でも、とてもそんな気にはなれなかった、赤ちゃんを殺してって頼んだのは私なんだから……」
「…………」
 そこまで一気に話して、早苗は天井を見上げた……天国にいるはずの赤ちゃんの方を向いたのか、それとも……俺は何か言葉を掛けてやらなくちゃいけないと思ったが、何も言えなかった……。
「出血が酷かったらしくて、手術の後三日入院してた、丁度今と同じ梅雨時でね、窓の外の雨をずっと眺めてた……なんだかその時の気持ちにしっくりしてたのを覚えてる……でも雨って、地面に降った雨がしみこんで長い年月をかけて湧き水になって、それが集まって川になって、やがて海に流れ込んで、蒸発して雨雲になってまた地面を濡らすのよね、今降ってる雨はその前にはいつ降った雨なんだろうって……人の一生なんて雨のサイクルの一回分にもならないかもしれない、そう考えるとなんだか落ち着くのよ……小さな悩み事なんてどうでもいい気がして来る……私があの子を殺しちゃったことは今でも悔やみ切れないし、その罪は一生背負って行かないといけないけど……」
 早苗は、すっかり冷めてしまっただろうコーヒーを一口飲んで話を続けた。
「それからすぐに事務所は辞めて、しばらくは小さな会社で事務を執ってたわ、何もする気になれなかったけど、とりあえず収入は必要だったから……三年位経って、やっと司法書士試験の勉強を始めて、でも、最初の内は中々勉強に身が入らなくって資格を取るのに五年かかっちゃった、それで、こっちに戻って今の事務所に雇ってもらって……もうすぐ二年目に入るわ」
「……それで、数ヶ月前、俺と偶然再会した……」
 何を言ったら良いのかわからなかったが、俺はとにかく話をここで終わらせてはいけないと思っていた。
「そうね、そして今も目の前にいてくれてるわ」
「そうだな……俺はずっと目の前に居てやってもいいんだぜ」
「ふふふ……なんだかプロポーズされてるみたい」
「まあ、まだそこまで決めていないけどさ……」
「『そこまで』……って」
「『そこまで』は『そこまで』さ……その前に『まだ』が付くけどな」
「佐藤君……」
「まぁ、俺に少し時間をくれよ、自分で恋愛は理屈じゃないみたいな事を言っておいて筋が通らないけどさ、俺なりの結論を出すまでには少し考える時間が……いや、違うな、自分の気持ちを確かめる猶予が欲しいんだよ」
「……気持ちって……今の話、全部聴いたでしょ? 全部本当の事よ」
「まぁ、俺の知ってる高校生までの早苗は、何時だって冷静で賢くって運動以外は完璧だったからな、そんな早苗が沈んでるんだからよっぽどの事だろうと想像してたよ、もっと酷いことまで想像してたかも」
「もっと酷いって……どういうこと?」
 早苗の顔に少しだけだが笑みが浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
「そうだな、あんなことや、こんなことや……うわっ、そんなことまで?」
「何を想像してるんだか……」
 そう言って、早苗はクスリと笑ってくれた……。
「洗いざらい喋ったから掛け違えたボタンは外せただろう?」
「ええ……そんな気がする」
「今度は間違えずに一からかけ直せばいいさ」
「そうね」
 そう答えた早苗の目は、遠くではなく、俺を見ていてくれた……と思う、自惚れじゃなければね。

 店を出ると、雨は上がっていて、おぼろげながら月も見えていた。
 天の川までは無理だが……。

「来年の七夕はちゃんと晴れると良いわね」
「ああ、その時はまたこんな風に並んで見たいな」
 そっと早苗の手を取ると、軽く握り返してきてくれた。
 考えてみれば、小六から高三まで七年間クラスメートだったのに、意識して手を握るのは初めてだった……まあ、急ぐ事はないさ、一つ目のボタンはちゃんと確かめてからかけないといけないからな、ボタンの方も、ボタン穴のほうもね。

           (終)
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