僕が彼女を抱き上げたわけ

文字数 4,251文字




「こんちわ」
「こんにちわ」
 いや、別に知り合いでも何でもないんだけど、山で人に会ったらそうやって挨拶するのがマナーだろ? でもまあ、オッサンやオバサンよりも若くて可愛らしい女の子と挨拶をかわすのは嬉しいもんだけどね。 

 僕の名前は石川哲人、就職して3年になる、まあ、普通のサラリーマンさ、。
 高校、大学時代を通じてワンゲル部に所属していて、そこそこ本格的な登山も経験している。
 でも社会人になりたての1年目はあまり余裕がなくて、山からはすっかり足が遠のいていたんだ。
 2年目辺りからは仕事にも慣れてきて、少しは自分の時間も作れるようになって来た。
 そうなると、やっぱり疼きだすのが山の虫だね。
 学生の頃とは違って仲間のスケジュールの調整も難しいから、パーティを組んでの本格的な登山はまだまだできないけど、足慣らしはしておかないと思って東京近郊の山に登り始めたんだ、学生時代は近場の低い山なんかちょっと馬鹿にしてたけど、実際に登ってみれば気持ちが良いし、楽しいもんだって気づいたよ。
 今日歩いているのは高尾山から尾根伝いに景信山へと続くルート、高尾山も悪くはないんだけど、人がやたら多いし整備され過ぎててちょっと山気分は満足させられない、でも景信山まで足を延ばすと人影もまばらになるし、日帰りの山歩きコースとしては中々のものなんだ。

 彼女と挨拶を交わしたのは景信の山頂、僕がベンチにリュックを降ろすと、そのすぐ後から登って来たんだ。
「健脚ですね」
「それほどでも……」
 彼女が登って来たのは僕が今辿って来たルート、でも彼女を追い抜いた記憶はない。
 僕は自分でもそこそこ健脚だと自負してる、彼女がずっと同じルートを来たのかどうかはわからないけど追い抜いていないと言うことは、それなりの距離を僕と同じくらいの速さで登って来たことにならないか? 最近は『山ガール』とかもちょっとしたブームみたいだけど、彼女の健脚には『にわか』じゃないものを感じたんだ。
 ちょうど昼時と言う事もあって、彼女もリュックを降ろしたよ。

「あら、スワローズファンなんですか?」
「え? ああ、これね」
 その時、僕が手にしていたのはヤクルト・スワローズのスポーツタオルだったんだ。
 そう、スワローズファンなのは事実、小学生で野球を始めた頃、名前が同じ山田哲人選手が若きスラッガーとして人気急上昇中で、苗字が同じ石川投手もエースとして活躍していた、明るくておおらかな感じがするチームカラーも気に入っていて、すっかりファンになって今に至る、ってところ。
 勤め先も神宮に近いし、スタンドにもちょくちょく応援に行ってる、チームだけじゃなくて神宮球場の歴史ある佇まいも気に入ってるんだ、最新のドーム球場じゃこうはいかない、まあ、やっぱり歴史ある野球場と言えば神宮と甲子園、この二つが双璧だよね。

「私も……ほら」
 彼女はリュックにぶら下げていたつばみちゃんの小さなぬいぐるみを僕に見せてくれた。
「へぇ、つばみちゃんとはマニアックですね」
「ふふふ、そうかも」
 つばみちゃんはスワローズの人気マスコット・つば九郎の妹と言う設定のサブ・マスコットなんだけど、奔放でいたずら好きな兄貴の影に隠れてる感もあるんだ。
「でも可愛いでしょう?」
「ええ、良くチアと一緒に踊ってるけど、ダンスも上手いですよね」
「動きにくそうな着ぐるみですけどね」
「そうそう、あの格好でも上手だと思うくらいだから、大したもんですよ」
「なんか、自分の妹を褒めてもらってるみたいで嬉しいです」

 僕は持参した握り飯に加えて、山頂茶屋でなめこ汁と野草の天ぷらを貰った、ここ景信山頂には茶屋があって、その2品は人気なんだ、握り飯と一緒に食べるとたまらない旨さだからね。
 彼女もリュックからおにぎりを取り出すと、迷わず同じものを頼んだ……ってことは、彼女もここは初めてじゃないらしい。
 僕たちはすっかりスワローズの話に花を咲かせながら一緒に昼飯にしたんだ。

「おひとつどうですか?」
 食後に彼女がリュックから取り出したのはチョコレート菓子、僕は普段あまり甘いものは食べないんだけど、山で食べるチョコはまた別だよな。
「ああ、ありがとう、頂きます、嬉しいな」
「山で食べるチョコって美味しいですよね~、罪悪感ゼロだし」
「ははは、確かにカロリーは充分に消費出来ますもんね」
 彼女はそれを聞いて屈託なく笑い、僕はその笑顔に魅せられちゃったってわけ。
 そこからは一緒に歩き、高尾駅まではバスも一緒だった。
 そこから僕は京王線で、彼女は中央線だってことで別れたけど、メルアドの交換には快く応じてくれたよ。

 翌週、間髪を入れずにメールを送ってデートの約束を取り付けた。
 まず最初は食事から、と思って『何料理が良い?』と聞くと『居酒屋で』と返して来た。
 イタリアン、フレンチ、アジアン、和食、中華……どんな答えが返って来ても良いように調べはつけてあったけど、その努力は無駄になって結局は馴染みの居酒屋さ、でもそんな気取らないところも良いよね、ますます彼女に惹かれちゃったわけ。
 その居酒屋でお互いのことを紹介し合った。
 それによると彼女は大学4年生、普通は就職活動で忙しくなる時期だと思うけど、彼女は早々に内定貰ってた。
 まあ、こう言っては何だけど、そう高学歴と言うような大学じゃなかったし、彼女の雰囲気からして高望みや選り好みはしそうにない。
 明るくて、はきはきしてて、健康そのもので体力もバッチリ、その上可愛いんだから一発内定も頷けるよな。
 と言うわけで、それからは毎週のようにデートしたよ。
 映画や音楽の好みは結構違ってたけど、彼女は僕が面白いと思うものに興味を示してくれたし、僕も彼女の好みに付き合って守備範囲を広げたさ、結構いける口だったから居酒屋にもちょくちょくね。
 それともちろん山は外せない。
 あちこちの山を一緒に歩いて、僕と彼女の距離は一歩ごとに近くなって行ったってわけ。

 だけどもうひとつの共通の趣味、野球観戦は中々機会がなかった。
 彼女の家はそう裕福ではないらしくて、彼女はずっとバイトを続けてるんだそうだ。
「どんなバイト?」って聞いたことはあったよ。
 だけど「ちょっとナイショ」って教えてくれなかった。
「夜の仕事が多いけど、ちゃんと健全な仕事だから安心して」
 そう言われればそれ以上突っ込めないないだろ?
「ちょっとくらい秘密の部分があった方が良くない?」
 そう言った時も屈託のない笑顔だったから、何も心配してなかったけどね。

 付き合い始めて半年、9月の中旬。
 スワローズは順調にペナントレースの首位を走っていたんだけど、黄色のチームとオレンジのチームも追いすがって来てた、そしてその2チームを迎えての神宮6連戦。
 ここで2カードとも勝ち越せばペナントはぐっと手繰り寄せられるけど、2カードとも負け越したり、一方のチームに3タテ食らったりするとちょっと混戦模様になる、そんな大事な試合だ。
 スワローズファンなら当然見逃せないはずなんだけど、彼女は残念ながら仕事だと言うんだ……。
 僕は一枚余っちゃったチケットを誰に譲ろうかな……と眺めていたんだけど、ふと、あることに気づいた。
 もしかして……。

 試合当日、僕はチケットを誰にも譲らないで、1人で神宮に出かけて行った。
 普段はライトスタンドなんだけど、彼女を誘うつもりだったんで1塁側内野スタンドを奮発してた。

「ビールいかがですか~」
「コーラいかがですか~」
「お弁当いかがですか~」
 スタンドには様々な売り子が歩きまわっている、もちろん試合の行方も気になるんだけど、僕は売り子さんたちにも目を配っていた……。

 いた。

 思った通り、彼女は重そうなビールサーバーを背負ってスタンドを登ったり下ったりしてた。

「ビール下さい」
「は~い、ただいま……あ……」
「へへへ、見つけちゃった」
「見つかっちゃったか~」
「ま、とりあえずビール頂戴」
「はい、ありがとうごさいま~す」
 僕は彼女からビールを受け取ると、スタンドを登っていく彼女を見送った。
 なるほどね、シーズン中は1週間に3日くらいの割合で、重いビールサーバーを背にスタンドを登ったり下ったり……その上山好きと来れば健脚になるわけだ。

 試合? 息詰まる投手戦だったけど、若き主砲・村上選手のホームランでサヨナラ勝ちさ。
 彼女の『秘密』を知れたのも相まって、スカッとした夜だったな。


「別に隠す必要もなかったんだけど、何となく気恥ずかしかったの、良く神宮へ行くって聞いてたから鉢合わせるかもって……内野スタンドはあの日だけ?」
「そう、天王山の試合だったし、君を誘おうって思って奮発したんだ、でもさ、仕事だからって言ってたろ? その前にも何回か神宮に誘ったけどいつも『仕事』だったからさ、もしかしたら……と思って売り子さんに気を配ってたんだよ、我ながら名推理だったね」
「でも、なんか照れ臭かったなぁ」
「もう大丈夫だろ?」
「まあね」
「また内野席行ってもいいだろ?」
「いいよ、どうせもう見つかっちゃったしね」
 彼女はそう言って、あの魅力的な、屈託のない笑顔を見せてくれた。
 そしてスワローズの優勝が決まった瞬間、僕は彼女と一緒にスタンドでそれを喜び合うことが出来た。
 9回の表、その瞬間が近づいて来ると一塁側のスタンドにはもうビールなんか頼もうって人はいないからね、彼女も僕の脇の通路に立ってその瞬間を見守ってたってわけさ。

 d (>◇< ) アウト! _( -“-)_セーフ!  (;-_-)v o(^-^ ) ヨヨイノヨイ!!
 
「やったー!」
 山田選手のホームランでスワローズの逆転勝ちが決まった瞬間、彼女は席から飛び上がるように立ち上がってこぶしを突き上げた。
 もちろん僕もね、それから彼女を抱き上げたよ。

 翌年の4月、開幕戦さ。
 就職した彼女はビールの売り子のバイトもやめて、晴れてスタンドの椅子からグラウンドの方を向きっぱなしで観戦できるようになったってわけ。
 僕と彼女の共通の趣味、山とスワローズ、どっちも楽しめるようになったのさ。
 彼女を抱き上げたわけ? 
 そりゃ予行練習に決まってるじゃないか。
 そう遠くないうちにプロポーズするつもりだからね。
 きっと「Yes」と答えて抱きついてくれると思うからさ、その時は彼女を抱き上げてぐるぐると振り回すんだ、そう、なにかのCMで使われたアニメみたいにね。 
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