『親友』の写真

文字数 3,310文字

 
 12月ですのでクリスマス関連のイラストが来るのかと思いきや……w
 


「ルナ……」
 クリスマスカードと一緒に送られて来た一枚の写真、そこには手塩にかけて訓練したルナの姿が写っていた。
 真っ直ぐこちらに向けられた黒い瞳……ルナは特に人懐っこい犬だった、それは今でも変わっていないようだ。
 そして、ルナと一緒に写っているのは葉月さん、ルナのユーザーだ。
 彼女は幼稚園の頃、高熱を発する病気に見舞われて光を失ってしまっていたのだ。
 
▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 あたしは盲導犬の訓練士。
 ルナは初めて担当させてもらえた犬だった。
 だから先輩が半ば付きっ切りでルナだけではなくあたしも指導してくれた、あたしとルナは訓練士と盲導犬候補というだけではなく一緒に訓練を受けた仲間のようなものでもある、ルナはそんな新米にでも訓練できるだろうと思われるほどに賢く落ち着いた犬だったのだ……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 あたしが物心ついたころには、家には犬がいた、リリーと言う名のゴールデンレトリバー、リリーはあたしを妹のように思ってくれていたのか、あたしが調子に乗って馬乗りになったりしても決して怒らず優しく寄り添い見守ってくれた。
 あたしもリリーが大好きで、友達と遊んでいてもリリーの散歩の時間になれば飛んで帰って必ずくっついて行ったものだ。
 十一歳になった頃、そのリリーが亡くなった。
 大型犬としては特に長生きの十五歳になろうとしていたリリーは、亡くなる一年くらい前から衰えが目立って来ていたし、二か月くらい前からは食欲も落ち、あんなに好きだった散歩もほんの少ししか出来なくなっていたので覚悟は出来ていたつもりだった、それでも冷たくなってしまったリリーの身体に抱きついて一晩泣き明かした思い出がある。

 リリーがとても良い犬だったからか、リリーが亡くなった時のあたしの落胆ぶりを見かねたからなのか、両親は新しい犬を迎えようとはしなかった。
 それだけでなく、両親もリリーを失ったショックを引きずっていたからだったのかもしれないが……。

 それでも五年後、家に新しい子犬がやって来た。
 両親がパピーウォーカーに応募したのだ。
 ラッキーと名付けられたその犬はやんちゃぶりを発揮して、あたしたち家族は少なからず振り回されたが、久しぶりの犬と一緒の暮らしは家族に笑顔と共通の話題を届けてくれた。
 パピーウォーカーとは、盲導犬候補となった子犬を生後一年間預かるボランティア、愛情をたっぷり注いでやることで人間との信頼関係を築くのがその役目だ。
 その役目から、どんなに愛情を注いで心が通じ合うようになっていたとしても、一年後には訓練センターに帰さなくてはならない。
 ラッキーが訓練センターへと戻された時、あたしはやっぱり泣いた。
 でもリリーの時とは全然違っていた、もちろん会えなくなるのは寂しかったが、ラッキーはこれから訓練を受けて目が見えない人の役に立つようになるのだと思えば……ラッキーに注いだ愛情はそこで終わりではなく、訓練士へ、ユーザーへと受け継がれていくのだと思えば、その旅立ちを祝福するような気持になれたのだ。
 
 あたしはその時十七歳、そろそろ進路を決めないといけない頃に差し掛かっていた。
 リリーとの思い出が、ラッキーとの別れが、あたしにあたしが進むべき道を教えてくれて、 高校を卒業すると、あたしは迷わず盲導犬訓練協会の門を叩いた。
 そして五年間の研修を経て訓練士となり、更に二年間先輩の手伝いをしながら実際の訓練を学んだ末に、初めて担当させて貰ったのがルナだった……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「ルナ……あたしは葉月って言うの、名前が月繋がりね、あなたと出会えたのは運命のような気がするわ」
 初めて葉月さんにルナを引き合わせた時、彼女は手探りでルナの首に抱きつき、ルナも彼女の顔をぺろりと舐めた、『相性が良さそうだな』と安心する一方、軽い嫉妬心のようなものも覚えたのを憶えている。
 約四週間の共同訓練期間、葉月さんはあたしの指導にしっかり耳を傾けてくれ、ルナとの信頼関係も日に日に深まって行くのを目の当たりにして、あたしはルナを彼女に渡すことに何のわだかまりを感じなくなった。
 それでも共同訓練最後の日にルナの元から離れる時は思わず涙がこぼれた。
 あたしはその涙をルナに見られてはいけないと一度も振り向かずに車に乗り込んだ。
(さよなら、ルナ……頑張ってね……)
 ラッキーとの別れとも、もちろんリリーとの別れとも違う、寂しいけれど誇らしいような気持で車を走らせた、卒業して行く教え子を見送る教師とはこんな気持ちなのだろうか……と思いながら。
 ルナとの思い出がどんどん蘇って来てハンカチなしには車を走らせられなかったが……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

葉月さんは点字キーボードが使えるので、しばしばお便りをくれる。
『ルナと一緒にいると自然に笑顔になれます』
『ハーネスを通して青空が見えるように感じます』
『ルナのおかげで恋人も出来ました』
『ルナったら、あたしと彼の間に割り込もうとするんですよ、妬いてるのかしらw』
 お便りにはしばしばルナと一緒の写真も添えられていたのだが、そのクリスマスカードに同封されていた写真はあたしにとってちょっと特別だった。
 それはとある地下鉄の駅で撮られたものだとすぐに分かった、ある意味、そこはあたしとルナにとって思い出の場所でもあったのだ。
 
 ルナは賢くて呑み込みが早く、穏やかな性格も相まって模範的だったのだが、ただ一つだけ苦手なものがあった。
 電車を怖がったのだ。
 他は全てクリアできても電車に乗れないと盲導犬にはなれない、電車に慣れるためにあたしとルナはこの駅に一週間通い詰めたのだが、ルナはなかなか慣れることが出来なかった……。
『もういい……ルナ、無理して盲導犬になんかならなくてもいいから……』
 慣れるどころかルナは日に日に駅に向かうだけで嫌がるようになり、その日はとうとう駅の入り口で座り込んでしまい、あたしはそう言いながらルナの首にしがみついて泣き出してしまった……訓練士としては失態だった、そこまでの訓練を全部無駄にしてしまいかねない。
 でも、あれだけ聞き分けの良いルナがどうしても嫌なものを強要するのは酷だと思ったのは確かだった、ルナが可哀想だと思う気持ちと、今までの苦労が全部水の泡と消えてしまう悔しさが一度にあたしを襲って来たのだ。
 だが、そんなあたしの気持ちを汲んでくれたのか、ルナは立ち上がって歩き始め、その日、とうとう電車を克服してくれた……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 写真のルナはあんなに嫌がった駅でも、不安な様子も見せることなく堂々としている。
 葉月さんの目線はレンズから少し外れてしまっているが、ルナは真っ直ぐこちらを見ている。

 ルナを葉月さんに渡した後、あたしは既に二頭の盲導犬を育てて今は三頭目の訓練中、それでもやっぱり初めて担当したルナは特別だ、あたしもまだ半人前だったし、ルナはそんなあたしの訓練でも立派に盲導犬になって訓練士として成長させてくれたと思うから……。
 あたしにとってのルナはただ訓練を担当した犬と言うだけではない、苦しいことも嬉しいことも共に分かち合って来た仲間、親友でもあるのだ。

「ルナ……まだ先は長いわよ、しっかり葉月さんの目になってあげてね」
 あたしはそう呟きながら写真のルナをそっと撫でる、するとルナの体温を感じ、声を聴いたような気がした。
『大丈夫、あたしちゃんとやれてるよ、心配しないで』と。

 あたしにとって最高のクリスマスプレゼントを胸に押し頂いて引き出しにしまうと、あたしはまた木枯しの吹く街へと出て行く。
 世の中にはまだまだ盲導犬を必要としている人はたくさんいて、盲導犬は全然足りていないのだから。

『頑張ってね、あたしも頑張るから』
 もう一度ルナの声が聞こえたような気がした。
 
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