祈りの一枚

文字数 2,168文字


「あ、由貴?」
「あ、志保……」

 元旦早々、地元のお寺で中学時代の同級生、由貴にばったり会った。
 いつもの元旦ならば気が付かなかったかも知れない、県内では一番大きく由緒あるお寺なので元旦ともなれば人でごった返しているから。
 しかし今年に限って言えば人手は例年の二~三割、閑散としていると言うほどではないが往き交う人々の顔をはっきりと認識できる程度の混み具合なのだ。
 確かに初詣は『不要不急』の範疇に入るだろう、人出が少ないのは賢明なことだ。
 だが由貴にとっては必ずしもそうではないことを私は知っている。
 
 由貴は中学生の頃親しくしていた友人だが別々の高校へ進み、同じ中学に通っていたと言っても家はそう近所でもなかったので縁は薄くなっていた、だが去年の五月、このお寺でばったり会ってからしばしば連絡を取り合うようになった。
 
「どうなの?」
「まだ全然……見通しがつかないでいるわ……」
「そうよねぇ……」

 由貴には結婚を約束した恋人がいる。
 本来ならば去年の六月に結婚式を挙げるはずだったのだが、延び延びになっているのだ。

「籍だけでも入れさせて欲しいって伝えたんだけど、それもダメって言われて……」
「そうなんだ……でもね、彼の言うことは正しいと思うよ、由紀のことをちゃんと考えているからそう言うんだと思う」
「……私もそれはわかってるんだけど……」
 由貴はちょっと寂しそうに俯いた。
「もう半年以上会うこともできないのって淋しいのよ……それは私のわがままだってわかってるつもりだけど、気持ちはそんなに簡単に割り切れなくて……」
「電話やメールはしてるんでしょ?」
「うん、でもお仕事の邪魔になるといけないと思うとね……」
 由貴の足元に涙の粒が落ち、小さなシミを作った。

 由貴の婚約者は医師、コロナ感染者を受け入れている病院に勤めている。
 最前線で見えない敵と戦っているのだ。
『自分もいつ感染するかわからない』
 それが結婚に踏み切れない理由の全てだ。
 結婚式など挙げられるような状況ではなく、もしもの場合を考えれば籍を入れることもはばかられる、そして、会えば由貴を感染の危険に晒すことになる。
 メールのやり取りで彼はそう伝えて来ているのだと言う。

 彼の言うことはもっともだ。
 しっかりと現実を見据えた責任感のある態度だと思う。
 だけど私には由貴の気持ちもよくわかる…………。

「ごめんね、志保の気持ち考えたら、こんなこと言っちゃいけないってわかってるつもりなのに……」
「いいのよ……あたしの方は過ぎたこと、もうどうにもならない事だってわかってるから……」
「でも……」
「いいの……もう泣くだけ泣いて気持ちの整理はつけたから……」

 本当は整理なんかついていない、半年やそこらで整理なんか付けられるはずもない……。

 私の父は鉄道会社に勤めていた。
 どれだけ気を付けても感染機会が多い職場だ。
 父もそのことは気にかけていて、一日の仕事を終えて帰宅すればすぐに入浴し、その後もマスクを手放さず、家族との接触はできるだけ避けて食事の時間すらずらしていた。
 本来なら気を緩めて寛げるはずの家庭でも気を張っていなければならなかったのだ。
 それほど高い意識を持っていた父だったが、見えない敵は僅かな隙を衝いて父の身体に入り込み、生まれつき軽い喘息を抱えていた父の身体はウィルスの攻撃に耐え切れなかった。
 入院しても面会は許されず、葬儀の際も最後のお別れすら許されなかった。
 父の亡骸を収めた棺が炉の中へ押し込まれ、扉が閉まった時、母はその場に崩れ落ちた、私も膝をついて母と抱き合って泣いた、兄が二人の肩を包み込むように抱いてくれていなかったらきっとあのまま立ち上がることも出来なかっただろう。
 あれだけ家族思いだった父だったのに、声をかけることも手を握ることも許されず、独りっきりで旅立って行くのをただガラスを隔てて見守ることしか出来なかった……。

 由貴の婚約者の気持ちはよくわかる。
 由貴を想っているからこそ会えないし、籍を入れることも憚っているのだ。
 敵が目に見えないだけにどれだけ注意を払っても僅かな隙からつけ入れられる、それをあの父よりも深く理解しているだろうから。
 だが由貴の気持ちもよくわかる。
 結婚を約束した恋人、人生を共に生きようと誓い合った人が厳しい戦いのさなかに居ることを知っていながら、支える力にもなってあげることができないのだから。

「お参りは?」
「まだこれから」
「私も……一緒にお参りしよう」
「うん」
 私と由紀は本堂の前に並んで手を合わせた。
 由貴は彼の無事を願って。
 私は父の冥福を願って。
 願いは違っても祈ることは同じ。
 一日も早く、この災いから人々が救われますように。
 一日も早く、人類がこの災いに打ち勝てますように。

「あ、せっかく着物着たんだから写真撮ってあげる、彼にも送ってあげたら?」
「うん……そうだね……」
 山門の前で由貴のスマホを借りてカメラを起動した。
「ほら、笑って」
「うん……」
 微妙な笑顔……でもそれが今の由貴に出来る最大限の笑顔だと知っているからそれ以上は注文を付けられなかった。
 この写真が少しでも彼を勇気づけられますように、由貴が心からの笑顔を浮かべられる日が早く来ますように……。
 そう祈りながら私はシャッターを切った。
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