第37話 佐久間涼子本格デビュー

文字数 4,263文字

狛江所長からの指示で、佐久間夫妻、山際、神山はE国からK国の新会社に向かった。

会社は、海外出張を考え、空港に近い新築ビルの2階と3階にあった。
着くと直ぐに、所長室に呼ばれた。

「皆さん、ご苦労さんでした。いかがでした。利益を出し過ぎだと思っていましたが、このビルを買えましたから、いいことにしました。」
「これは、自社ビルですか。」

「ええ、このビルの4階から9階は社員寮です。1LDKと2LDKですが、入っているのは、2名の日本人だけです。今は出張中ですが。ほぼ、がら空きです。部屋代は共有費だけです。とりあえず、入居して下さい。」

「日本から出張しましたので、引っ越しの準備をしないと。」
「日本の家は賃貸ですか。持ち家ですか。」

「皆、持ち家ですが、ローンが残っています。」
「では、このまま、出張を継続できますね。安心しました。」

「今、この会社所属のコンサルタントは全員、新規案件で出払っています。会社にいるのは事務員だけです。まだ、社長も決まっていないので、私が代行しています。私1人ではプロジェクトの管理が出来ません。手伝って頂きたいのです。」

「何件、あるのですか。」
「2件ですが、次のプロジェクトも受注済みです。」
「次のプロジェクトは誰が参加するのですか。」

「あなた方と、日本から1名、F国から10名来ます。プロマネは涼子さんです。」

「私がプロマネと言われましたか。」
「明後日、ファンド側との打ち合わせがあります。提案書を読んでおいてください。」


「せめて、国と案件名と金額を教えて下さい。」
「R国で全国モバイル通信網再整備計画のマスタープラン、金額は5億2千万。調査だけだけど、実施の施工監理も受注できるでしょう。ファンドはG開発銀行で、調査は1年半、延長のコンテンジェンシーが3ヶ月。プロマネは最初だけ団員と一緒に入れば、後の出入りは自由にできます。アサインは3ヶ月、副プロマネが2名いるから、実質的な作業は任せられます。現地コンサルの雇用は約100名で半年。
佐久間さん、ご主人ですが、副プロマネです。山際さんと神山さんは資機材調査が主ですが、ラフな積算もあります。モバイルシステムは何を採用するかによってコストも変わりますので、調査の為、I国、日本、欧州への出張もあり得ます。だいたい、そんなところです。」


「だいたいですか。」
「あの、出発はいつですか。」

「打ち合わせで決まります。かなり、自由度は高いので。」
「打ち合わせ場所は何処ですか。」


「パリです。明日、発ちます。」
「全員ですか。」

「残りたいですか。」
「そうではありませんが。」

「出来れば全員参加して頂ければ。パリは飛行機で2時間ちょっとです。日帰りも出来ますので、楽です。」
「はあ。楽ですか。」

「もちろん、泊まる手もあります。出発日次第で。ご心配なく、技術的なことはアルフォンソさんとカリナさんが説明しましたので、次の打ち合わせは日程だけです。」

「アルフォンソさんとカリナさんが、ですか。畑が違うでしょう。」
「あの2人は優秀です。提案書も2人で仕上げてくれました。」
「畑違いの提案書をでしょうか。お2人は参加されないのですか。」

「参加しますが短いです。実はI国援助の案件で既にH国で作業をされています。調査機関は18ヶ月で2年かかりますが、合間にR国に来られます。」

「よく、こんな大規模案件取れましたね。」
「G銀側が加賀との繋がりを持つために、加賀に選ばせた案件です。つまり、涼子さんの為の案件です。加賀は迷いなくこの案件を選んだそうです。」

「私の、ですか。」
「そう思いますが、違うでしょうか。」
「・・・」


「調査終了後の話もあるのですが、まだ、早いですか。」
「聞かせて下さい。」

「今、この事務所には、日本人以外に10名のコンサルタントがいます。上司がいません。ですから、あなた方がK国を選択したなら、部下を付けます。涼子さんには常務をお願いしようと思っています。」

「何故、私が常務ですか。」

「女性だからです。ここには今2名の日本人が所属しています。しかし誰を常務にしていいのか決められません。あなた方を含めて、能力の差が認められないのです。皆さん、優秀なのです。それに、社内での格付けは余り意味がありません。プロジェクトになれば下に成ったり上になったりします。ただ、言えるのは、皆さんは、ここでは、全員取締役になります。K国を選ばれればの話ですが。F国に行かれても同じだと思います。今、コンサルタントの採用を行っています。履歴書が100枚溜まっています。ですから、涼子さんは、現地入りして落ち着いて来たら、ここに戻って、採用面接をお願いします。」

「私が、やるのですか。」

「常務ですから。私は出張所長で、ここの会社の人間ではありません。私のホームはF国です。気にすることはないと言われるかもしれませんが、この会社の役員が担当しなくては、私の立場がありません。」

「僕達2人は、K国を本拠にするつもりでしたので、構いません。」

「山際さんと神山さんは日本が拠点でしたね。」
「そうです。出張続きで家族とも相談する暇がありませんでした。時間を頂けますか。」

「構いません。そうすると、日本の帰国は3年先になりますから、その時まで決まりませんね。」


「ちょっと、お待ちください。1年半先ではないのですか。」
「申し訳ありません。このプロジェクトの実施もありますし、その前に、別な案件もアサインしています。ですから3年先になります。」
「えっ、聞いていませんが。」

「ですから、今、お話ししています。」
「なるほど。案件を教えて頂けますか。」
「お知りになりたいですか。」

「はい。」
「R国のプロジェクトに集中された方が。頭が混乱しますよ。」
「そう言われれば、そうかもしれませんね。」

「まあ、3年先だと、また、別な案件にアサインされているかもしれませんが。」
「そんな殺生な。ずーっと、帰れないじゃないですか。」

「帰りたいですか。」
「まー、帰っても、どうということはないですが。」

「もしよければ、ご家族に希望をお伺いして、K国でいいということであれば、こちらで、全て手配をします。もちろん、会社が負担します。私なら、直ぐ頼みますが。」

「狛江さんは、独身でしょう。」
「ええ、婚期を逃しました。」

「まだ、26歳にもなっていないでしょう。狛江さんは。」
「良く、ご存じですね。」
「その年齢で、何故、この会社を取り仕切ることが出来るのかが不思議です。」

「会うのは、疲れ切った男達ばかりで、結婚なんて。と私が思っていると、思ったでしょう。」
「思っていませんっ。」

「冗談はさておき、そういうことです。」
「冗談だったのですか。」
「私の部分だけです。」

「全部、冗談では。」
「いえ、私の部分だけです。」

「狛江さん、冗談はさておき、明日の飛行機の時間は。」
「遅い時間でも大丈夫ですが、ご希望は。」
「ないので、決めて下さい。」

「実は決めてあるのです。パリの街を少し散歩したいので、12時半を取りました。」
「では、ここを11時出発でいいでしょうか。」
「結構です。」


佐久間夫妻は、ビルの7階にある2LDKの部屋に入った。
「まあ、綺麗。それに広い。」
「新築だからな。家具もセンスがいい。」
「眺めがいいわ。空港に近いけど、騒音はないわね。」
「航路から外れているからな。ところで、常務就任おめでとう。」
「やめてよ、名前だけよ。」

「狛江さんはあんな風に言っていたけど、気分が暗くならないように気を使っていたな。」
「あの年で、凄いわね。」
「ああ。加賀さんが所長に選んだのには必ず理由がある。」

「ねー、地元の料理を食べに行かない。」
「でもE国と一緒だろう。」
「違うわよ。あそこの料理はクラシックよ。新しい料理は全然ちがうわよ。」
「狛江さんに聞いて、行ってみるか。」

電話が鳴った。

「お食事どうします。行かれるなら、案内します。」
「お願いします。」
「では、2時間後に、下で。」

「気配りは加賀さんと一緒だな。2人にも電話を入れているだろう。」
「あなた、私、考えを変えることにするわ。出張すると、家に帰ることを前提に何でも考えていたけど、出張した先で、暮らしていると思うことにするわ。そうすれば、街や人にも興味を持てるし、楽しくなる気がする。」

「そう考えた方が、楽かもしれんな。」
「R国って、どんな所かしら。あら、明日のパリも楽しみ。」
「俺もだ。」


5人で、海辺の瀟洒なレストランに入った。

「ここはシーフードが美味しいんです。」
「良く、来るの。」
「社員がいる時は。でも、1人ではちょっと。」

「1人だと大変ね。」
「いえ、皆さんの現場での仕事に比べれば。」
「事務員は何名ですか。」

「女性が5名です。経理が主ですが、接客や雑用もあるので大変だと思います。増やす予定ですが、採用する時間がなくて。」

「でしょうね。1人だと。」
「ですから、私のサポートに、F国から1人来てくれることになっているのですが。」
「給与の問題ですか。」

「いえ、F国法人も、受注ラッシュで大変のようです。ですから、涼子さん、次の案件が終わったら、会社の経営に集中しませんか。」
「加賀さんが許してくれるなら。」

「話してあります。涼子さん次第だそうです。多分、社長として。」
「候補が見えましたよね。」
「退職後ということになっています。随分先です。仮に直ぐとなっても大丈夫です。会長に祭り上げます。」

「狛江さんもコンサルタントに復帰したいでしょう。」
「私は、バリバリ仕事が出来れば、何でも。でも、出張が多いんですよ。打ち合わせや支援で現場にも行きますし、特にファンドとの交渉には必ず出ますから。パリへの出張も5度目です。」

「すると、会社には誰もいなくなりますね。」
「猫の置物を置くしかありません。でも、決済は溜まりますし、目を通す書類も多いですから、毎日、残業です。」

「R国から帰って来たら、雇いましょう。猫じゃなくて。」
「お願いします。」

涼子は狛江が1人で切り回している会社であることがわかって、驚いた。夫と話してここで狛江を助けようと決めた。


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コンテンジェンシー
起こりうる不測の事態を想定して立てる対処策や計画のこと。対処策の一つとして予算超過や期間の延長を認める場合もある。

ファンド
資金源。ここでは、各国や国際的な援助機関のこと。


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登場人物紹介

加賀聡 機材設計コンサルタント。蒼コンサルティングの社員。

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