◇4 雀荘──コウスケの城で……?

文字数 2,368文字

 ガソリンスタンド『メジロ石油』の前には、鷹鳥町を南北に貫く県道が走る。北は鳥の巣山から南は私鉄の東島(さきしま)鉄道の烏坂(からすざか)線と直行して、沿岸の国道と連絡する。全長約十キロメートル、二車線の目抜き通りである。通称『巣籠もり線』。烏坂線の乗客を烏に見立て、鷹鳥駅を降りた客の多くが、鳥の巣山方面へ向かうからである。
 コウスケのアパートは勤務先の『メジロ石油』から徒歩三十分ほどの静かな路地裏にある。巣籠もり線を南に二十分、三つ目の信号を左へ折れ、二つ目の区画を右に曲がり、直進すると右手に美術大学のグラウンドが見える。その手前の路地を左へ入ると、アパートと下宿屋が軒を連ねている。角にはタバコ屋があり、タバコ屋から三軒目の古びた木造二階建てがコウスケの孤高の城『(すずめ)荘』である。二階の三部屋並んだ中央にコウスケは住む。六畳一間、流し、汲み取り便所付き、しかも風呂付きである。難があるとすれば、雨漏りぐらいだろう。梅雨時季は困る。非常に住みにくい。それを除けば、まあまあの住み心地だ。満足はしている。家賃はそれなり。
 薄暗いアパートの鉄製の階段を、重い足取りで上って部屋に入ると、まず風呂の水を確認する。夏は頻繁に入れ替えるのだが、今は秋、もう三日沸かし直している。
 ──まあいいか。
 ガス釜に火を点ける。
 風呂が沸く間、鍋に水を入れ火にかける。
 部屋を物色すると、運よくインスタントラーメンとレトルトカレーが一つずつ小型冷蔵庫の中にあった。両天秤にかけ、すぐにカレーは諦める。米がない。フランスパンがちゃぶ台の上に半分だけ干からびている。カレーはやっぱり米だ。好物のカレーは明日の晩飯に回し、ちゃぶ台の上に放った。
 ラーメンの封を切ってお湯が沸くのを待った。
 鍋から湯気が立ち上り始めると、麺と粉末スープを同時にぶち込み、箸でほぐしながら、ちゃぶ台に手を精一杯伸ばしてフランスパンを引っつかみ、かじってみる。片手では食い千切るのは無理だ。両手で握ってかぶりつくと、顎の力と引っ張る力とで強引に噛み千切った。口いっぱいに頬張り、軟らかくなるまで噛み砕く。段々顎がだるくなり、二口目をかじろうとして躊躇(ためら)い、中身だけをほじくって口に放り込み、フランスパンをちゃぶ台に転がす。
 ラーメンもいよいよ食べ頃になった。が、もうしばらくほったらかし、その間に、ちゃぶ台にどんぶりを用意する。
 麺に汁が染み込んで太くなってきた。火を止め、鍋からどんぶりにラーメンを移す。鍋を流しに放り込むと、数日分のたまった洗い物が崩れ、瀬戸物のぶつかり合う音がした。鍋はその上に辛うじてバランスを保っている。調理器具といえば、この部屋にはこのアルミの大鍋しかない。大は小を兼ねる。コウスケの信念に揺るぎはない。一人暮らしのコウスケにとっては、ちょっと大きすぎて不便な面の方が多いのが玉に(きず)だが。
 コウスケはちゃぶ台の前に、路地に面した中連窓を背にして胡坐(あぐら)をかいた。
 ラーメンに箸をつけ、まさに口に運ぼうとした瞬間、誰かが玄関のドアを叩いた。
 大口を開いて箸を宙に浮かせたまま一瞬悩んだが、しばしラーメンを諦め、渋々玄関先へ急いだ。
「珍しいな、こんな時間に……まさか、セールスか? 追い返してやる!」
 腕時計を見ると、十時を少し回っている。
 ドアを開けた。が、誰もいない。しばらく外を確認する。人っ子一人いない。気配もない。ドアを閉める。
 またちゃぶ台の前に胡坐をかいてさっきのラーメンの続きを再開する。箸で麺を高々と掲げ、フーフーして口に運ぶ。
 ドアを叩く音が響く。
 口を閉じ、ヨダレだけを啜って箸を置き、両の拳を握り締めながら玄関へ向かい、ドアを開ける。
 前には誰もいない。首を出し右を見る。隣室の下駄箱が置いてあるだけだ。首を伸ばし、ドア越しに左側を確認してみる。やはり人の気配はない。コウスケは首を傾げながら、ドアを閉めようとした。だが、何かに引っかかって閉まらない。仕方なく、外に出てドアを点検してみる。蝶番(ちょうつがい)を念入りに調べたが、ネジも緩んではいなかった。どこも何も異常はない。もう一度外から閉めてみる。今度はピタリと閉まった。再度ドアを開け閉めして点検し、ふと下を向いたら、薄い木片を見つけた。それを摘まんでアパートの外へ力いっぱい投げ捨てた。
 アパートの裏手には、電電公社の社宅の敷地が、一跨(ひとまた)ぎの小川を挟んで隣接する。四階建ての鉄筋コンクリート造の建物が二棟、ベランダ側を南西に向けて縦に並んでいる。まるでこのアパートにそっぽを向いているように思える。視線を落とすと、その敷地内にブランコと砂場が申しわけなさそうに寄り添って設けられ、社宅の子供達の訪れを寂しげに待ち侘びていた。
 木片は回転しながら遠くまで飛んだ。最初大きくカーブしたあと、右へ方向を換えると急に失速しひらひらと風に吹き戻され、結局辛うじて小川を越えた辺りに落下した。
 コウスケは右肩を回しながら振り返り、
 ──今度は絶対に出ないぞ!
 と決心してドアを開けた。不振人物でもいやしないか、と注意深く辺りに探りを入れ、後ろ向きに部屋に入った。下を向き、足袋(たび)の横にスニーカーを並べて脱いだ。足袋の横に。コウスケは首を捻った。
 ──何か妙だ……?
 そう感じながらも気のせいか、と気にも留めず、早速夕食にありつける喜びに、表情も自然と綻んでしまう。
 気が急いて、ちゃぶ台に目がいった。
 ──また、妙な気分だ?
 ──おかしい……なんだろう?
 何かは分からない。それを探ろうとも思わない。好奇心よりも腹の虫の方が我がままだ。頭は食うこと以外、機能を停止した。
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