◆5 自分捜しの旅──指輪の謎を暴かねば!

文字数 951文字

 ──泣きっ面を見られてなるものか!
 今朝、布団の中から出勤するコウスケの後姿を見送った。
 二人の間に割り込むことはすまい、と決めた。考えてみれば、自分が関わったなら、よからぬ方向へしかことは運ばないような気がする。一つ今日だけはコウスケに任せてみよう、なんて殊勝な気持ちになったのが裏目に出たのかもしれない。
 公園のベンチの前で遠ざかるコウスケの背中を見つめながら、あの日の記憶を呼び起こそうとした。だが一向に記憶は目覚めてはくれない。
 ──ハテ、どういうこった?
 ──こんな大切な日のことを忘れるなんて……
 爺さんは、プレゼントは製作中だ、と明言してくれたのだ。当然、プレゼントは形あるものだと疑わなかった。だが、どういうわけか誕生日の翌々日に食事に誘ってくれただけだ。期待していただけに少々がっかりしたのを覚えている。指輪など受け取らなかった。あれほどの約束を交わしておきながら、どういう経緯(いきさつ)で夕べ電球の光にかざして見た輝きが朱鷺の指に存在しないのか、謎だ。あの日の一日の始まりから記憶を辿ってみることにした。
 前夜、興奮して寝つかれず朝方うとうとしただけだ。外が明るくなる前に布団から出て、朝食をとりアパートを出た。烏坂線の最寄駅へ向かう途上、雑貨店の店先で掃き掃除をしていた女店主と挨拶を交わし、商店街を抜け、駅に着いた。定期券が切れているのを改札口で指摘され、一旦窓口に引き返した。切符を買ってホームに立ち、電車を待ったのだ。確かに電車に乗った。
 ──乗った。
「電車に乗って……?」
 朱鷺はハッとした。
 その先の行動がつかめない。自分のことなのに思い出せない。別の日ならまだしも、前夜眠れぬほどの興奮を覚えた特別な日なのに……
 ──なぜだ!?
「オラ、ボケちまったのか? 籠野朱鷺……旧姓、外山朱鷺……87歳……だよな」
 家族の名を呼んでみた。「夫、鴻助。息子、鴻之助。嫁、千鳥。孫、鴻太郎。九太郎によし子。オラ誰だ? 籠野朱鷺だ、文句あっか! うんにゃ、ボケてねえ! こうしちゃいられねえぞ。捜さねば……オラを捜しに行かねば!」
 今の今まで公園のベンチの傍に呆然と立ち尽くしていたが、急いでコウスケのあとを追いかけた。
 朱鷺は自分捜しの旅に出た。
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