◇18 妖怪脱出──引田天功の師匠か?

文字数 1,347文字

 脱走計画も()え無く妖怪に(はば)まれ、意気消沈したコウスケの視界に例の娘が映った。一旦、視線をそちらに滑らせ、もう一度向かいの席に移すと、妖怪は消えていた。辺りをくまなく見渡してみたが、どこにも見当たらない。
 ──またか!?
 首を捻りながら娘を見上げる。
「ここにいたバアさん知らない?」
 娘を見上げたまま向かいの席を指差す。
「いいえ、どなたかいらしたんですか?」
「バアさんだけど……見なかった?」
「はい、私、お一人とばかり……お連れ様がご一緒だとはちっとも……すみません」
 娘は少し表情を強張らせ、深々と頭を下げる。
「い、いや、気にしないで……」
 娘に笑いかけてやる。すると、不安げにこっちを見ていた娘も、今のコウスケの態度に安堵したらしく、表情を緩め笑顔になった。
「あの、もうよろしいですか? おさげしても……」
 カレー皿を娘に手渡してやった。
 別のウエイトレスが早足でコウスケのテーブルの横を通った時、娘にぶつかった。娘は足元をふらつかせ転びそうになる。コウスケは手をさしのべた。娘は咄嗟にコウスケの手に自分の手を重ねる。娘の顔がコウスケの眼前に迫った。
「ウワアーッ!」
 コウスケは思わず顔を背けた。婆さんの顔が大きく迫ったのだ。
「だ、大丈夫ですか? すみません、私のせいで……」
 コウスケは目を瞬いて娘に見入った。娘は耳まで真っ赤にしながら申しわけなさそうに頭を下げる。
 コウスケの胸は高鳴った。これまで経験したことのない感覚に襲われた。
 ──この娘を以前からよく知っている……
 ──懐かしい……
 そんな気持ちが心の奥底から湧き上がってきたのだ。と同時に畏敬(いけい)の念らしき感情も強くなる。それは神仏ではなく、何か得体の知れぬもの、“物の()”に対する恐怖心に似ていた。自ずと背筋に冷たいものが走り、コウスケは思わず身震いした。
 娘は困惑気味に顔を強張らせ、こっちを見下ろしている。
 掌に暖かい軟らかな感触が心地よかった。ふと、手元を見た時、互いの手は握り合ったままだった。
「あっ」
 小さく叫んで握り締めていた手を解く。と、娘は恥ずかしそうにコウスケの傍から遠ざかって行った。
 鼓動は依然と打ち続けていた。胸に手を当て治まるのを待つ。窓外を見ると、婆さんの顔が窓から覗いてギクリとした。目を凝らすと、窓下に植えられたサボテンだった。何でもかんでも婆さんの顔に見えてしまう。まるで催眠術にでもかけられたように。
 何度も激しくかぶりを振って、脳ミソから婆さんの面影を振り落とそうと躍起になった。
 ──一欠片(ひとかけら)も残すまじ!!
 それでも婆さんの顔は、カビの如くコウスケの脳ミソに頑固に蔓延(はびこ)ってしまっていた。強力なカビ取り剤でも頭に注入したい気分だった。
「それにしても、どこに消えやがった?」
 腕組みをして首を捻った。
「やっぱ、引田天功(ひきだ てんこう)の弟子だな、ありゃ。いや、師匠か? そうだ、きっとそうだ、あんな脱出やれるのは。今度会ったら、催眠解いてもらわねえとな……」
 コウスケは独りごちながら一度頭をかき毟った。それから窓ガラスを覗いて、乱れたリーゼントを念入りに整え直した。
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