◆1 18歳のバースデイプレゼント──必ずチョウダイしてやるのだ!

文字数 5,714文字

 朱鷺が目覚めたら、お天道様はとうの昔に顔を出し、陽光が窓際に引っかけた上着の隙間を縫ってコウスケの顔を照らしている。まだイビキをかいていた。
 布団の中で伸びをして寝たまま頭頂部を枕に立て、こねくり回す。ふと押入れの襖に画鋲でとめられたカレンダーが目に入った。百恵ちゃんが逆さで微笑みかける。朱鷺も頬を緩め笑顔で挨拶を返す。しばらくアイドルスターと見つめ合ったのち、上体を起こした。
 ──ハテ?
 ──今日は……なん日だ?
 隣に視線を落とすと、コウスケが寝返りを打って相変わらず高イビキをかく。
 朱鷺は目覚まし時計を探した。ちゃぶ台の上で文字盤はソッポを向いていた。右手を伸ばして人差し指一本でこちらを向かせる。
 7時50分。
 ──そろそろ起こしてやるか。
 ただ揺り起こすのでは芸がない。何か心地いい目覚めを(いざな)う手だてを探った。部屋を見回す。
 ──なんもねえ。
 押入れを開けてみる。頭を突っ込んであさると、卓上のレコードプレーヤーがあった。脳裏にテレビの洋画劇場で昔観た映画のワンシーンが蘇った。プレーヤーをちゃぶ台の上に置いて、コードを押入れ横の壁のコンセントに突っ込み、また押入れを探った。入口付近にヘッドフォンもコードが巻きついた状態で転がっていた。今度は奥まで体ごと潜らせてダンボールの中を覗いてみる。やはりレコードが入っていた。手を突っ込み無作為に抜く。ジャケットを確認すると、全て英語だ。
「フンッ、洋楽とは柄にもねえ! おめえだって、外国語なんぞ知らねえくせに」
 舌打ちして小声で独りごちながら一枚抜いてはまた引っ込め、次から次へと物色していった。日本語のものは見つからなかったが、ジャケットの写真からどうやらビートルズらしいことまでは分かった。メロディは知っている。タイトルと一致しないだけだ。その意味も解せぬ。どうにももどかしくなったので、
 ──ええい面倒だ!
 と心の中で一声叫んで一枚を抜いて、ヘッドフォンともども押入れの外へ出た。
「エイチ、イー、エル、ピー……? ヘ、ル、プ……? ヘルプ! これなら、オラにも分かる。よっしゃ、これでええ。助けてーってか」
 ヘッドフォンのコードを解いてプレーヤーにつなぐとレコードをジャケットから摘まんで回転テーブルの上に置く。音量を最大に上げる。ヘッドフォンをコウスケの枕元まで持って行き、引っ張るとコードがプレーヤーから抜けた。短すぎた。仕方なく戻って自分の布団を蹴っ飛ばし、ちゃぶ台を引き寄せ再びコードをプレーヤーにつなぐと、ヘッドフォンを静かにコウスケの耳に装着してやる。準備万端。プレーヤーのスイッチに手を伸ばした。笑いが込み上げ、つい声が漏れる。手で口を押さえ、声を押し殺し、スイッチを入れる。針を浮かせ、回転するレコードにそっと載せた。
 いっときしてヘッドフォンから聞き覚えのあるメロディが漏れてくる。
 ──やはりビートルズだったか!
 リズムに合わせ身体を揺らし始める。コウスケの様子をうかがう。
 コウスケはヒクヒクと身体を痙攣させ始めた。と、突然目を開け、叫び声とともに飛び起きた。その時プレーヤーからヘッドフォンのコードが外れ、大音量でビートルズは歌い出した。
「ワー! ワー! ワー!」
 コウスケは大声で叫び続ける。
「こりゃかなわん!」
 朱鷺は両耳を押さえていたが、慌ててレコードから針をゆっくりと下ろした。
「ワー! 地震か! 雷か! ワー!」
「火事でもオヤジでもねえよ。おはようさん、調子はどうだ?」
 コウスケはヘッドフォンをつけたまま突っ立って目を白黒させる。 
「ハアッ! なんだ? 聞こえねえ!」
 聞き返したコウスケの最大音量を絞るため、
 ──ヘッドフォンを外せ!
 と自ら両手でヘッドフォンを外すジェスチャーをして、
 ──バカチン!
 と指で弾く仕種をして見せた。
 すると、ヤツは耳に手を当て、やっとヘッドフォンに気づいた。それを外し、しばし呆然と眺めたあと、布団の上に投げつけた。
「おめえ、夕べはどんだけ煽った? ほとんど残ってねえや」
 畳に転がっていた一升瓶をつかむと目の前にかざす。夕べチビチビ一人でやるコウスケを尻目に朱鷺は布団に潜り込んだ。だからその後のコウスケの行動は確認できていない。ただ、大量に残っていた一升瓶の酒が今朝はカンカラカンに干上がっていたものだから、
 ──職場の人間関係にでも悩んでいるのだろう……
 と推測しただけだ。
「覚えてねえ。クソッ、頭痛えや。バアさんのせいだ、チクショウ!」
 コウスケはヘッドフォンを蹴飛ばした。が、肝心なところを外してコードを指の股に引っかけた。
 ──全く運動神経の鈍いヤツだ!
 朱鷺はホトホト呆れ返る。
「二日酔いだ。己の悪行を他人のせいにするんでねえ! 未成年のくせに……」
「大晦日がくれば20歳だ!」
「そうか、おめえの誕生日も今月だったな……」
「なんで知ってる? いや、聞くまい」
「カレンダーの印だ。ホレ……」
 20と31が赤丸で囲んである。20日は朱鷺の誕生日だ。
「あっ、そういうこと……」
「今日は、なん日だ?」
「12月の……19日……か?」
「明日だ!」
「トキちゃんの誕生日か……」
「オイ! ここに座れ!」
 朱鷺は畳を掌で叩いた。
「なんだ?」
 コウスケは渋い顔を見せながら言うことを聞いて、朱鷺と膝を突き合わせて座る。
「おめえ、約束したよな?」
「約束? バアさんとどんな約束したっけ? んー覚えてねえ……」
「もう決めてあんのか? 贈り物……」
「贈り物? ああ、トキちゃんの誕生プレゼントか……あたぼうよ」
「なんだ?」
「聞いてどうする? バアさんに関係ねえだろうよ……」
 ぶん殴ってやろうかとも考えたが、それは得策じゃないと諦めた。怪我を負わせたとあっては、明日の誕生日のセレモニーが台無しになる。何とか聞き出す手だてを探ることにして頭を捻る。何気なく窓外を見ながら名案が浮かぶのを待った。が、名案はトンと浮かばない。仕方なく腕組みをしてヤツを睨みつけ、唸りながら傍へ寄ってみると、コウスケは徐々に首を引いた。
「教えてくれねえか?」
 いきなり目前でパチンと手を打ち、両手を合わせ拝んだ。「頼むぜ」
「な、なんでバアさんに、いちいち……」
 コウスケは一瞬身体をビクつかせ目を丸くすると、頭を揺すった。「あー、頭ガンガンする……」
「そう言わねえで……オラの……なんだ、そうだ孫だ、孫! 孫がな、かわいいヤツなんだ。彼女に誕生祝贈りてえって言うのさ。『婆ちゃん、女の子って、なにもらったら喜ぶのかなあ』ってよ。オラに泣きついてくるんだ……」
「どんな男の子だ?」
「これが男前なんだ!」
「へえ……」
 ──ハテ?
 今、若かりし頃の爺さんの顔をまじまじと見るにつけ、朱鷺は首を捻った。孫の鴻太郎の顔を思い浮かべてみる。こうして見比べてみると、それほどまで似てるわけではないような気もする。やはり鴻太郎の方が男前だと思った。
 ──今の今までジイさんに騙されていたのか?
 そう考えると少しばかり腹が立ってくる。
「コノヤロー!」
 思わずコウスケの胸ぐらをつかんで絞め上げながら怒鳴っていた。
 ──だが、まてよ……?
 ──孫の方が男前なのは当たり前か?
 朱鷺の血を引いているのだから。
 朱鷺はコウスケの目を見据えつつ突然ヒクヒクと笑い出す。大きく頷いては納得する。気づけば、目前でコウスケが一度ブルッと震え、こちらをうかがっていた。
「おめえ、なんか用か?」
 絞めつけた手を緩めると、ドスン、とアパート中に響き渡るほどの大きな音をコウスケの尻が放った。
「こ、怖えーババアだ……」
 コウスケは首をかき毟りながら喘いだ。
「おめえには左程似てねえよ。性格は瓜二つなんだけどよ」
「当たり前だろうが、なんでオレに似るんだ? バアさんの孫がよお……」
「おめえの孫だもの」
「だ、誰の?」
「オラとおめえの孫だって言ってんだ!」
「バ、バカヤロー、オレ、いくつだと思ってる。19だぞ。まだ、子供もこさえてねえっつうの!」
「だったら、オラと結ばれてみっか?」
 朱鷺は迫ってみる。と、コウスケは右手をついて上半身だけを後ろに倒した。
「お、怖ろしい夢……」
 コウスケの喉仏が上下し、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。「見てんじゃねえ!」
「オラ、一向に構やしねえよ。遠慮はいらねえ、いつでもオーケーよ」
「気色悪い、オエッ!」
「あとで濃いお茶いれてやっから、二日酔いには定番だ」
「そんなんじゃねえや、ああ虫唾が走る……」
「な、頼む、この通りだ」
 朱鷺は拝み倒した。
「幾つだ?」
「87だ」
「孫だ、孫! 今更バアさんの歳聞いてどうする……」
「ああそうだな、14だ。中学2年だ」
「ませたガキだなあ」
「おめえが遅れてるだけだ。おめえときたら、まるっきし子供だったもんな……」
「オレのなにを知ってる、バアさんによ!」
「全てだ!」
「適当なこと言うな!」
「適当なこた言わねえ。な、頼むぜ、今の中学生は普通なんだ」
「ふん、おままごとかよ」
 そう吐き棄てコウスケは徐に立ち上がると、押入れに頭を突っ込んで柳行李の中から宝石箱を手に戻ってきた。それを朱鷺に差し出した。
「ええのか?」
「ああ、開けてみな」
 コウスケの手からそれを受け取ると、掌におさまる程度の青い箱を注視したまま固まった。
 ──たぶん指輪だろう……
「ダイヤか?」
「そんな高えもん買えるか」
「開けるぞ」
「いいよ」
 コウスケは頷く。
 腫れ物を触るように宝石箱を両の掌で包み、しばらくそのままの状態を保った。目頭が熱くなる。
 ここに18歳の誕生プレゼントがある。
 ──だが……?
 ──70年前、どうしてジイさんは渡してくれなかったのか?
 確かにあの日、朱鷺をアパートまで送ってくれた直後、爺さんはプレゼントを用意していると言った。この耳にあの時の声の余韻がちゃんと残っている。
 ──なのに……?
 ──もしかして、ほかの女の手に!
 この乙女の胸に様々な感情の波が押し寄せては引いてゆく。怒り、悲しみ、嫉妬、憎しみ……。
 とにかく開けて中身を見たい衝動は抑え切れるものではない。柄にもなく震える指先で蓋をゆっくりと開けた。やはり指輪がおさまっていた。何か顔らしい模様が彫られてある。じっと見つめたまま目が離れなくなった。銀色の光沢がとても眩しい。
「プラチナだ!」
「銀だ! そんな高価なもん買えねえって……」
「オラにとってはプラチナだ!」
「まだ完成してねえんだ。トキちゃんの顔なんだ、へへへ……」
「おめえが作ったのか!」
「銀細工の手ほどき受けてよ、顔の部分だけな……」
「大したもんだ、さすがだな」
「あともう少しなんだけど、ちょっと削って、これはめ込むんだ」
 コウスケはビニール袋から白い木綿のハンカチーフを取り出した。それを開いて中に包んであったゴマ粒大の赤い宝石を見せた。二粒あった。
「ルビーだ!」
「ガラス玉だ。目玉んとこにはめ込もうと思って……」
「綺麗だろうな……楽しみだなあ、オラ……」
「そう思う? トキちゃん喜んでくれるかなあ?」
「大喜びよ! こんな心のこもった贈り物だ」
 朱鷺は自分の手を日にかざした。指に輝く完成品を想像しながら胸が熱くなる。
「今日、徹夜してでも仕上げようと思ってな」
「明日、本当にあの娘に渡すんだよな。本当に本当だな? ほかの女にじゃねえよな?」
「ほかにいるか? トキちゃん以外に」
「分かんねえ! おめえ気が多いんでねえか?」
「バカヤロー! オレは、トキちゃん一筋だ! 文句あるのか?」
「いやいや、テレるなあ……」
「なんでバアさんがテレるんだ?」
「間違いねえな。明日必ず手渡すんだな?」
「くどいぜ、間違いねえ!」
 朱鷺は何度も首を捻る。
 ──どういう経緯(いきさつ)で自分の手に渡らなかったのか?
 考えれば考えるほど謎は深まる一方だ。朱鷺の頭に深い霧がたちこめた。かぶりを振って霧を払い除けようと躍起になる。頭がくらくらする。
 ──やめよう。
 ──考えても無駄なこった。
「メンドクセー!」 
 突然コウスケのパジャマの胸ぐらをつかんだ。「オラ、たった今からおめえに張りついてやる。あの娘に手渡す瞬間までな。見届けるまでは絶対に離れねえ。ええな、覚悟しな!」
 朱鷺は立ち上がると同時に胸ぐらをつかんだまま、その身体を引っ張り上げて立たせた。コウスケを押す。コウスケは後ずさる。コウスケのパジャマの右袖を左手でつかんで引っ張りながら身を翻すのと同時に己が右腕をコウスケの右腕に巻きつけ、腰にコウスケの全体重を受け止めた。素早くお辞儀をしながら体を真っ二つに折り曲げるように畳すれすれまで頭を下げる。コウスケの両足は浮き上がりクルリと一回転しながら背中から布団の上に叩きつけられた。朱鷺は左手でコウスケの右袖を引いたまま己が上体を元に戻してすっくと立つ。一瞬の攻防を朱鷺は征した。
「イッテーし! なにしやがる、コノヤロー!」
 コウスケは腰をさすりながら赤子のようにハイハイする。
 朱鷺はコウスケの行く手に素早く回り込むと、しゃがんで顔を合わせた。コウスケは四つん這いのまま後ずさる。朱鷺はうさぎ跳びで追う。コウスケの尻が壁にぶつかった。玄関横の壁際に追い詰められ、行き場を失った負け犬の顔をじっと覗き込む。朱鷺が一瞬だけニコッと口角を吊り上げると、負け犬は上体を起こし壁に背を張りつけた。
「いっぽん!」
 朱鷺はしゃがんだまま右手を高々と上げた。一本背負いで見事にコウスケを捻じ伏せた。
「あ、あんた、いくつだ!」
「87だ、文句あっか!」
 コウスケは背中を壁にこすりながら、ズルズルと左の肩から倒れ込んだ。ドサッという音が朱鷺の耳に心地よく響いた。
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