残酷な虚像の神に礫を

文字数 4,864文字


 発生する確率がどんどん上がっていく。
 そんな事がある筈が無い。それを防ぐ為に唐杉はずっと動いているのに、間違いなくそれを防ぐ為の布石は増え続けているのに、沙良が起こると予測した未来がどんどん迫ってくるのを唐杉は心で感じていたし、それは沙良も同じなのだろう、顔色が悪い。
 こんな事は初めてだった。
 この日の為に、他部署である者達にまで出てきてもらっているのに、人員配置もそれぞれの行動も確かに防ぐ為の形になっているのに、未来がどんどん明確な形を成していく。
(防げないのか? そんな筈、無い!)
 今までであれば、もっと前の段階でそれは薄れていく確率。
 プレコグであるらしい唐杉であるが、彼が読むのは確実に決定された未来ではなく、起こるかもしれない確率、状況が生まれる可能性といった方が正しい。だから絶対的な未来ではない。正しくは、絶対的な未来等全く存在しないに等しいのだ。
 それなのに今回に限って、それがどんどん確実を深めていく。
 唐杉からすればつまらない理由で起こされる飛行機テロ。連鎖的に行なわれる計画であるらしいそれを未然に起こさないよう動いている、それが今現在であるのに。手助けを頼んだ者達を含めて、全て次々に犯人の取り押さえに成功しているとの連絡が入ってきているのに。
 最大の嫌な可能性が、消えない。
(何を見落としてる? それとも、まだ、可能性が生まれてない、のか? でもそうしたら僕にも予知出来る筈が、無いのに)
 無い可能性はそもそも見られない。
 少なくとも唐杉はそういう能力だ。代わり、少しでも可能性があるのならそれは見える。但し未来の可能性というのは其処に至る過程によって多元に変幻していくものであり、絶対的に決められた道等、本当の直前にならなければ唐杉にすら解るものではない。
 今回は事前に起ころうとしているテロの犯人たちを、特権を持つ唐杉の部署のものを始め、他の部署である相坂達にも助けてもらって片っ端から取り押さえている。それは、テロが計画された時点で可能性が生まれ、実行に移そうとすれば個の限定も容易い程の唐杉の能力に由るものが大きな働きであったけれど。
 状況としては良くなっている筈でありながら、唐杉の感覚の中には最悪の事態が次第にはっきりとした形で見え始めている。
 燃え上がる飛行機。
 その中で上がる多くの悲鳴、残らない命の数々。
 最も防がなければならない筈の、未来。
(考えろ。何で、何でだ)
 防ぐ為に今、動いている者達は巨大な空港の端々に散らばって犯人の確保に動いている。
 失敗したという連絡は、無い。
 今まで全て成功している。
(全て、成功?)
 ぞくり、唐杉の背に悪寒がはしる。そうしてはっきりと一つの飛行機の姿が脳裏に浮かぶ。そこから一番近い場所にいるのは…………唐杉本人だ。他は、誰よりそれを防げるだろう何人かの者達は全て、空港の端々に散り散りに。
 つまるところ、完全に防げるだろう者達が既に、遠く。
(全部が失敗することが、あの未来の最終確定条件!!)
『護、あの飛行機!!』
 沙良が指し示した飛行機に走り出す。
 既に可能性はほぼ確定してしまっている。防げたかもしれない可能性を、別の可能性を潰す為に全て使いきってしまったから、完全な成功条件が失われてしまったのだ。唐杉自身にもそれ相応の可能性は存在するが、けれど完全に覆すだけの力が無いと、プレコグであるからこそ見えてしまう。
 残酷な未来。
 もっと早く気付いていれば、もしかしたら別の未来があったかもしれない。仮定なら幾つも脳内に浮かんでは消えていく。それでも走り出した足はどんどん速度を上げていく。過ぎた過去は還らない。
(僕の、せいだ!)
 そこに近付く事で、今度は唐杉自身の死亡可能性が発生し始める。
 けれど走る速度は下がらない。下げられない。
 まだ、全てが手遅れになる可能性が無くなっていないのなら、職務として、責任者として、そして一人の人間として、止まる訳にいかない。
『護っ』
「ごめん沙良っ」
 悲鳴のような少女の声に、謝りながらも唐杉は空港を駆け抜け、他の最悪を防ぐ為に通常業務が行われ既に一般客の搭乗も終わって閉じようとしている出入りの通路に飛び込む。制止を叫ぶ係員に、自分の身分証をすれ違い様に見せながら。
<唐杉っ、お前、何で動いてる!! 報告しろっ>
 唐杉の動きを、管制塔を現在時点で掌握していると同時に全員の状況管理等を一手に行なっている相棒の山辺が気付いたらしい。恐らくは通信機に付けてある発信器の位置情報から解ったのだろう、何処か焦ったような声が通信機から響いた。
「ごめんやっくん、この飛行機飛べないようにして!」
<おい!>
「コレが、犯人達の最後の、ヤツなんだっ!! さっき、解った」
 だから突入すると叫ぶ唐杉の意識の中では、自分自身の死亡確率と事件の発生確率がどんどん膨れ上がっている。事件は既に防げない程の可能性にまでなっている。それならば一人でも多くをと思うのに、それすら困難だと未来が囁く。
 唐杉自身すら己を護れないその状況下で、救える命等限られていると。否、無きに等しいと。
 けれどゼロにならない限り、唐杉は。
<馬鹿っ、だからってお前が行ってもしょうがねーだろ! 動かないようには出来るから、ちょっと待て……>
「時間が無いんだよっ」
<解ってるけど、お前っ>
<オイ何してんだ唐杉っ! せめて俺が行くまで待てよっ>
 焦った唐杉の声に何か不吉なものを感じたのか通信機の向こう側の山辺の声が固くなり、そして二人の通信を傍受していたのだろう手伝いに来ているサフォンドの声が響く。言う通り唐杉のいる場所から一番近い所にいるのはサフォンドであったが、けれど事件を止められる距離でもないという事を唐杉はもう気付いている。
 だから止まらない。
 閉じようとしていた飛行機の扉の中に飛び込むように唐杉は身を滑らせて、ぶつかるように入ってきた彼にアテンダントが驚いた顔を向ける。既に唐杉の中では、最後の惨劇を起こす者の顔や座っている位置まではっきりと解っていた。
 銃を抜きながら唐杉は犯人にそれを向け、同時に叫ぶ。
「やめろっ!!」
 その言葉と銃の音、そして最後の犯人であるアテンダントの女が自爆の為の爆破装置を押すのはほぼ同時だった。

 火の海。
 機内は、そう称するに相応しい様相だった。
 防げなかった。唐杉の銃弾が女を貫くより早く、女が仕掛けたのだろう爆破が早く起こった。機内中央辺りで起こった爆風に叩き付けられるような形で端にいた唐杉は壁に打ち付けられ、しばらくの間脳震盪でも起こしたのか意識を失っていた。
 どうにか意識が覚めたのは、通信機から聞こえる叫び声のような音のせいだ。
<唐杉っ! おい、返事しやがれっ!!>
 山辺が名前を呼び続けている。
 それと同時に聞こえてくる、サフォンドの声。
<やべぇ、これこのままじゃ引火しねーかっ?>
 既に直ぐ近くまで来ているのか、その声の向こうには悲鳴のような声も混じって聞こえてくる。酷い雑音の中でもサフォンドの声は明朗に通信機から響く。
 彼の言う通り、唐杉の脳内にも飛行のため中身に満ちたタンクに引火する可能性が浮かび上がっている。
 ただ既にそれ以前の問題で、生きている者は、ほぼ、いない…………朦朧とした意識でも唐杉はそれを感じて、ぎり、と唇を噛んだ。血の味が広がって更に意識がはっきりとしてくる。
(防げなかった)
 過去は、戻らない。
 うっすらと開いた視界、沙良が泣きそうな顔をして覗き込んで来ていた。
 通信機の向こうでは相坂の冷静な声が響く。
<サフォンド、斬って>
<りょーかいっ>
 ざんっ
 機体全体が揺れるような音と共に、何が行なわれたかは解らないが、引火による炎上の可能性が断ち切られた。彼の人達は、唐杉と異なってより大きな可能性の変化を可能とするだけの力と存在力を有している。
 だから、彼等のどちらかでもいれば、少なくともこの事態は防げたかもしれなかった。
 彼らを向かわせた未来の可能性なら唐杉にだって防げていた。
 けれど今広がるのは最悪の防げなかった、現在。
「っは、う、く」
 口の中の血の味を感じながら起き上がった唐杉は激痛に一瞬、息を飲んだ。
 身体を打ち付けた時に骨が折れたのかもしれない。
 だが、死ぬような怪我ではない。今は、まだ。
<無事か、唐杉っ>
「あー、う、無事。人命救助、あたる、ね」
<声がおかしいぞ、お前、怪我してんじゃっ>
「だいじょ、ぶ」
 それよりも、まだ消えていない命の火を、その可能性を、今は探し出さなければ。まだゼロになっていないそれを、見つけ出さなければ。今それが出来るのは、唐杉しかいなかったから。激痛が走る右腹の辺りを手で押さえて、唐杉は立ち上がる。
 こうしている間にも命の可能性がどんどん消えていくのを感じる。
 拾い上げなければ、と。
 自身の命の天秤が死に傾くのを感じながらも、それでも唐杉は身体を引き摺って火の中、命を探す。
<オイ唐杉っ、それ以上動くな死ぬからっ!>
<ちょ、サフォンド部長それマジですか! 唐杉っ、てめーまで死んでどうすんだっ>
<あーもうすぐ着くから、行くわそっち>
<っていうか何でアンタがいるんだぁぁぁっ!!>
<うげっ、烏間がいるの!?>
<呼んだの>
<アリアの馬鹿ぁぁっ>
<人命救助優先。万が一の予備線のつもりだったのに>
<烏間、お前が死んでも唐杉死なせるなよっ>
<…………さりげに酷いよ山辺。俺泣きそう>
 通信機の向こうは、俄に騒がしくなっている。
 だが唐杉はただ火の海の中の命の気配を探し続けた。微かな可能性でも良いと、自らの命の可能性を削りながらその場を離れず、探し続けた。その目が常より更に鮮やかに輝く。呼応するように沙良の姿がよりはっきりと明瞭になる。
(…………)
 命の鼓動。
 生存の可能性。
 その細く微かな糸を、必死に辿って。
「居た!!」
 唐杉の脳裏、唯一つだけその可能性が残っている存在が、唐杉自身とは真逆の機体最後方に、まだ息をしている。命の可能性がまだ、繋がっている。サフォンドが外にいる事で。
<唐杉!?>
「サフォンド部長っ、沙良の言う場所斬って! 外出して!! 生きてるっ!」
<おおおう?>
 返事ははっきりとしなかったが、それでも一瞬後には更なる斬撃の音がして、機体後方から一気に空気が入ってくるのを唐杉は感じる。それと同時に機内の火の勢いが一気に増して、唐杉自身の生存確率がどんどん落ちていくが。
<子ども確保。おい唐杉っ、次お前な! 中はもう駄目だっ全員無理!>
<まだ着かないのかよ烏間っ>
<最大速度だっつの! 空港内で速度違反してる真っ最中だコノヤローっ>
<私有地だから大丈夫だ! もっと飛ばせ>
<無茶言うなぁぁぁぁっ!!>
 意識を失う直前に聞こえたのは、そんな騒がしい声達で。
(あぁ、僕は、結局……)
 自らの周囲で金属が断ち切られる大きな音を最後に、唐杉は意識を完全に手放した。唐杉自身の生存確率は、結局ゼロになる事は無かった。最後の瞬間まで。

 目覚めた時、最初に見つけたのは沙良の姿。
 半透明なその姿を見つけた事に唐杉は真っ先に微笑んだ。彼女がいなくなる事が何よりも辛い唐杉にとっては、それだけで酷く安堵する。そうしてその一瞬後に、唐杉は自分が生存している事を実感した。
 今回は結局、被害は防げなかった。
 救えた命は唐杉の力によるものではない。結果としては偶然が与えた可能性によるものだ。あの場に最も近かったのがかの部長で無ければ、あの命の可能性は炎の中、きっと唐杉と一緒に消えていた。
 こういう現象を奇跡と呼ぶのだろう。
 だが、唐杉は奇跡など崇めない。神には祈らない。
 不意に、視界が歪んで温かいものが目の端から流れたのを、唐杉は気づかないフリをして目を閉じた。
 完全に手当がされたのだろう。唐杉自身の命の可能性はもう揺らいでいない。それよりも今近付いてきそうである山辺の来訪の可能性に備え、寝たフリをする為に。

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