願いは泡沫、想いは幻

文字数 1,768文字


 不意に思う事がある。
 永遠の意味を彼は知っていたのだろうか?

 最後の最後、本当に瞬きすら難しくなった頃、彼の家に現れた来訪者はすっかりとヒトの成りをして、存外かいがいしく彼の世話を焼くようになっていた。それが暇つぶしなのだろう事はされている本人も解っていたが、けれど然程気にならなかった。
 元から暇を持て余していた彼の元に現れた、更に暇を持て余したモノ。
 余したモノ同士が馴れ合って慣れ合ってこうして一緒にいる中で、そのままであれば何も残さず潰えた筈の彼の存在は目の前のソレに何らかの形で継がれる事に成るのだ。例えば想い出、とか。ソレが哀愁を感じるようなモノかは不明だが。
 だが、少なくともソレの記憶の中には残る。
 それだけで十分な意味のある事に思えるのだから、不思議だった。
 綺麗な茶の髪を柔らかく散らすその存在は、そっと手を伸ばし水差しを差し出して来るから、それに答えて小さく口を開くと、冷たい水が流れ込んで来る。何でも飲み込みの早いそれは、こんな事まであっさりと出来るようになってしまった。
「もうすぐ、僕は逝くよ」
 水差しから口を離し、出た言葉はそんなもので。
 それこそ意味ある音にもなっていなかったその声に、ソレはふわり浮かべた微笑みでもって応えた。日に日に弱って行く様を見れば医学の心得等無くとも誰だってそれくらいは解るだろう。けれど彼は医者にかかるつもりは毛頭無かった。それは自分の為であり、同時に他の目的もあった。
「僕が死んだら、庭の、あの石の下に埋めてくれるかな? 彼処には両親も眠っていてね。何も書いてないけど実は墓標なんだ」
 彼の両親は、公にも、そして血縁としても双子であった。
 けれど彼自身は間違いなくその両親から生まれている、所謂近親相姦から生まれた非嫡出児だった。戸籍上は養子として両親の兄弟となっており父母は不明の扱いになっていたが、真実は幼い頃に既に聞かされていた。決して他人に言ってはならない出自である事、それは生まれながらに彼が負ったものでもあった。
 けれど、両親を恨む気持ちは存外生まれないもので、彼はありのままを、受け止めた。
 そうして弱って行く身体は、そんな出自の代償のようだった。
「それで、ね」
 近所のモノ達も、彼の顔等殆ど知らない。田舎の更に奥、ひっそり構える家に訪れるのは定期的にやって来る通販の届け物(食料や衣服等のそれ、だ)や郵便屋くらいのもので、それですら前はただ玄関に置いてもらっているだけだった。此処最近は、目の前で世話を焼いてくれているソレが受け取っていた筈だ。
 役所の戸籍等、見た目は記録していない。
「僕の名前は、君が使うと良い」
 ひっそりと終える命と引き換えに、世に解き放つは強大な謎。
 彼が見る事の無かった世界の中に、ソレが降りる様を思うと何だかおかしい気持ちすら湧いて来る。別段寂しくもないのは、本当なら独りで終わる筈だった最後が独りでなかったからかもしれない。
 覚悟は前からしていた。
 けれど実際にすぐ目の前にしてみれば、怖じ気づきもする。
 そんな所に現れた、ソレ。独りでなくなった。終わりを看取るくらいには暇だと、ソレは言うのだから。
「いいの?」
「いいよ。別に死亡しようがしてまいが、関係無いだろう?」
 クスリと笑う。
 生存の証明等、紙切れで処理されるようなつまらないものだ。両親の死がそうだったように。その死に不審さなどなければ簡単に処理されてしまう。
 そして同時に、死の証明がされない限り、生は証明され続ける。
 そういうものだと。ちっぽけな自身を別段笑う気も無く彼は笑う。
「それに、暇なんだろう? きっと暇つぶしには丁度良い筈だ」
 一瞬の逡巡にソレは何を思ったのか。
「わかった。じゃあ、使わせてもらう」
 だが、最終的には頷いた。
(さぁ。解き放たれるぞ、この世界に)
 彼の名を持つ、謎そのものが。
 解き明かせる者が現れるのかは知れない、不可思議が。
 それが消え行く命を削る彼の、唯一の世界への爪痕でもあった。何を望むでもなく、何を願うでもない。ただ思ったのは、自分が終ぞ残す事の無かった存在の確かな証という、陽炎のような曖昧な幻であったかもしれない。
 とにかく、ただ、彼は満足だった。
 永遠という石版に、その名を刻んだかのような満足感だった。
 その意味も知らず。
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