現実は想像よりも間違いだらけ

文字数 2,687文字


 遥か高みにいるのは、只一つ。
 誰も傷つける事が出来なかった、フローレス。

 かの名を冠する唯一の存在は、今尚その影すら掴まれていない。





「とはいえさ、もう10年以上も前の話だろう?」
 肩を竦めて、つまらなそうに切って捨てるのは茶髪の男。
 最近、その名が知られ始めたハッカー、クラウ。正確にはハッカーグループと言った方が正しいだろう。此処にいる者たちを合わせて、クラウという一つの名で呼ばれている。それが複数の、しかも1サークルのメンバーであるなど本人達以外には知られていない。
 サークル全員ではなく有志のみで構成されるグループであったが、基本的な活動は全て大学構内で行われていた。用意されているハードの質や、無数にめぐらされた配線、様々な理由によりその方が活動しやすいためだ。
 彼らは気ままに時間を使いながら、時折埒の無い会話に興ずる。
 その内容はやはり、コンピューター関連が多かった。
「それがさ、K−Kに関わってるって噂があったんだよな〜」
 まぁ、いつものデマだろうけどさ。
 肩を竦めて話を振ってきた本人は答える。
 Flawless-K。
 フローレスと言われるその存在は、ネット上での伝説だった。最高の腕を持つハッカーとして、最初にその名が登場したのはかれこれもう10年以上も昔の話。当時は、今は亡き無類の天才・天野景がその正体なのではないかとも囁かれていた。
 かの天才が死した後もFlawless-Kは活動をしていた為に、その噂が真実ではないのは明らかだったが。
 その存在の前に全てのコンピューターは平伏するとも言われた。
 しかも、現在流通しているOSの基礎理論は、その正体不明の存在が残したフリーソフトを元にしていることを考えれば、かの存在がこの業界の中でどれだけ特別な存在であるか分かるというものである。
 だが、Flawless-Kは天野景の死んだ数年後に、突然姿を消した。まるで幻であったかのようにある時点を境に世界から姿を消したのだ。以降、偽者は数多く出現しても本物と断定される存在は登場していない。
 現在のハッカー達にとって、かの存在は目標であり、そして疑わしき存在でもあった。
「あ〜、でもK−Kならありえない話じゃないよなぁ」
「あれははっきり言って反則だよねぇ? アルゴリズム、まだ誰も解明してないって話だよ? 社長さんもしっかり秘密握りこんじゃって、まぁ」
 K−Kの発信元は、天野景の一人娘が擁する大企業。
 娘も娘で父譲りの頭脳で有名だったが、まだ15にも満たないその子がそのシステムを作ったとも考えられず、それは父親の残した置き土産なのだろうというのが通説だった。
だがかの天才が生きている間に残したものを考えれば、K−Kまで残すような余裕があったとも思えず。
「案外、天野景と同じようにもう死んでたりしてな〜」
「美人薄命、天才短命ってやつだねぇ」
 のほほんと、そんな会話を楽しんでいた頃。
 控えめなノックと共に、間をおかず開かれる部屋唯一の扉。
「……はよー」
「おはよーございま〜す伊藤先輩」
「講義もう終わりっすか?」
 眠そうな顔をして入ってきたサークルの先輩に二人は挨拶をする。
 入ってきたのは、伊藤という二人も一目置いている先輩だった。クラウのメンバーではないが、彼個人はかなり有能なハッカーである。これといった目立つ活動もしていないので無名だが、在野に埋まるには惜しい程度の才能がある。本人にそれほどやる気が無いので、どうしようもないが。
 特に先輩面をするわけでもなく、かといって馴れ合うわけでもない。かなり特殊なタイプの者だと言えた。
「そういうお前らこそ講義ねぇのか? 毎日いるよなぁ此処に」
「あはは」
 それはクラウとして活動しているからです、とも言えずに空笑いで誤魔化す二人。
 特に気にせず伊藤は大あくびをしながら空いていた椅子を引き寄せて倒れ込むように体を預ける。話題を変えようと、話しかける。
「お疲れですねぇ?」
「あ〜うん、ちょっとな〜。最近鍛えられてるからさぁ」
「へぇ、バイトですか?」
「うんにゃ、就職先〜」
「え、先輩、就職決まったんですか!? おめでとうございます」
「あはは……」
 この就職難に、もしかしたらサークル内で一番かもしれない就職内定に祝辞を向ければ、当人は複雑そうな顔をして頬をかく。
「成り行き、っていうかな〜……厳しいトコなんだよ。なんていうの? 24時間戦えますか〜を実際にしちゃってる人たちがいるからさぁ。しかも誤魔化しきかないしさぁ」
「何処に決まったんですか?」
「あ〜…………うん、まだ秘密」
 そうして、口の軽くない先輩はこれ以上何も言わないということを視線のみで伝えてきたので、二人はお互いに目を見合わせて、それ以上の追求はやめた。まだ、ということはいつかは教えてくれるのだろう。
「で、二人は何やってたんだ?」
「別に、ただ話してただけですよ。Flawless-Kって、知ってます?」
 ひく、っと。
 問いかけた瞬間に微かに伊藤が顔を引き攣らせた事には、二人は気づかなかった。
「まだ生きてるのかな〜って。もう10年以上前の話でしょ? 生きててもきっと中年か年寄りですよね〜。K−Kに関わってるって噂もあるんですけどね?」
「実際はどうか知らないけど、存在自体が既に一人走りしてますしねぇ。まだ『ナイトフォッグ』の方がリアリティありますよねぇ。懲役中なのが勿体無いですよ」
 ひくひくっ、と。
 完全に表情を凍らせた伊藤には気づかずに二人は話し続ける。
「確かにね〜。勿体無いよねぇ。あぁそういえばFlawless-Kが消えた辺りなんじゃなかったっけ、彼が捕まったの」
「そういやそうだな。あれ以降大したハッカーは出てきてないよなぁ」
「やだなぁ、彼はクラッカーだよ。ねぇ伊藤先輩?」
「……………………え…………あ……あ、あぁ、そうだな! うん、二人とも凄いよな。ついていけるわけないってハハハ」
 遠い目をして笑う伊藤を二人は不思議そうに眺めたのだった。









 ふわりと、コーヒーのいい香りがしたことで集中が解ける。
「はい、今日はこれくらいでいいよ?」
 それを差し出してきたのは、まだ若いようにも見える青年。見た目は二十代後半。
 Flawless-K本人。
「思ってたよりこの子、使えますね。助かりますよ」
 片方のカップを受け取って言うのは、その人よりも年上に見える青年。それでも実年齢より若く見られる事が多いのだという。
 ナイトフォッグ本人。

(俺、どこで人生間違ったんだろう…………)

 現在臨時バイト扱いの彼は、心の奥でひっそりと思うのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み