取引は密やかに
文字数 3,713文字
嫌なものだ、と彼は思う。
そこに心が全く無かったとしても、少なくとも避ける事が許されない身である自分自身の立場というものがどうしようもなく、歯痒い。既に心置きたい存在があったとしても心のままに真っ直ぐにそれを選べない今の立場というものが、どうしようもなく。
大切な人がいる。
自分等投げ打っても構わない程に、大切な人が。それ以上に沢山傷つけてきてしまったけれど、それでも尚手放すなど想像も出来無い程に必要な存在が既に居るというのに。
それでも今、こんな場所に出なければならない。
表向きだけでも、居なくては。
「つまらなそうですわね、御門さん」
目の前にいる少しだけ歳下の少女が話しかけてくる。その表面にあるのは笑顔だが、しかしそれが仮面である事を彼は知っている。
この少女も彼と同じような立場に在る。
互いに今だ結婚も成せるような歳でないにも関わらず用意されている、この茶番のような、表向きは会合という名の見合いの席を、密やかに心の中嘲笑っているという予感が彼の中でこの場所に入った瞬間から、妙な確信のように存在していた。
だから、ある意味で対処しかねている。
これまでの、それこそ意欲満々な相手とは全く異なるのだ、この目の前の少女は。
「いいえ、こちらこそこのような席に態々お出で頂いているのに、面白くない話も出来ず、申し訳ありません」
彼の横を狙っていた今までの女達とは何かが異なる。けれど狙うものが何も無いようにも見えない。
だから余計に距離を見計らうような、そんな状態になっている。
仕掛けてきたのは少女の方だった。
「では、面白い話をしましょうか」
「えぇ」
きらりと少女の大きな目が光る。年齢こそ確かに下であるかもしれないが、この少女はそれでも既に海外で学位も取得して現行で大手企業を肩に下げて先頭に立つ、その辺のお飾りのお嬢様とは訳が違う相手である事を御門は既に調べ上げてきている。
その辺は彼と同じだ。
つまるところ油断して良いような相手ではない。口先だけで煙にまけるような、これまでの相手とは全く異なるのだ。
「その前に、口調を変えても宜しくて? 他には誰もいませんし」
「構いませんよ。では僕も」
相手の望むままに頷けば、古くから在る老舗の料亭の一室、かしこまっていた少女はいきなり星座をしていた足を崩して大きな伸びをすると机の上に手をついた。
突然の見事な豹変である。
しかし見方を変えればそれは歳相応の姿でもある。合せて彼も、少し姿勢を崩した。まだ相手の出方が解らないため、完全には方向性を決めかねている。
そんな迷いも見通しているのか、少女はにまり、と笑ってみせた。
それこそさっきまでの仮面の笑みとは異なるそれで。
「実際のとこさ、御門さん、決まった人いるの? それともゲイか何か?」
「いきなりそう来るか、天野さん。さっきまでのは何匹ネコ被ってたんだか」
本当にがらりと変わった少女とそのいきなりの発言に、彼は苦笑と共に思わず呟いた。しかし悪い気はしない。歳下ではあるが、何処かそれは憎めなさを持ち合わせている。恐らく本人の悪気の無さが明らかに解るからだろう。
そういう相手を御門自身嫌いではなかった。
「で? どうなの」
「あー、決まった人っていうか、譲れない人がいる」
大切な、大切な人。
御門にとっては唯一の女性。それ以外をその手に抱く事は今後無いだろう、相手。その諸事情によって表沙汰にするには色々と難しい部分はあるが、そして相手の気持ちが自分にあるのかすら今は解らなかったが、それでも彼自身はその人以外を選ぶ気等無かった。
例えそれで誰に迷惑をかけようとも。
譲れない、他に言いようが無かったので、そのままに答えた。
返ってきたのは、笑顔。
「ははっ、やっぱりね。実はそうかなって思ってたんだわ、これまでの御門さんの状況をちょっと調べさせてもらったんだけどさ」
「振り過ぎてる?」
既に何人とこういう席を用意されたか解らない。
その尽くを、相手の意向はともかく形式上は断った形になっているのだから、少し聡い者ならその事情の予想等容易いだろう。現に目の前の少女は当然のように予想していたと笑っている。特にそれで不快をきたした訳でもなく、むしろ我が意を得たりといったその様子に、どうやらそれが少女の狙いだったらしいと彼は思う。
「条件の良い相手は一杯いたのに、片っ端から願い下げだもんねぇ」
「で? 君はそんな男に何の御用で?」
何を狙ってかは解らない。
だが、明らかに見合いと別の目的だという事は解った。この少女に、彼と見合いをする気は最初から無いのだ。
「その前にさ。その譲れない相手って、今んとこ公表出来ない感じなの? やっぱ男?」
「…………女。可愛い子だよ。ただ、普通の家の子だし……」
それに、今の自分と大切な彼女の間には、無視の出来ない深い溝がある。しかもそれを作ったのは他でもない彼自身に他ならない。正に自業自得と言うべき状況に彼は置かれている。それでも尚、諦める気が起きない程に、溺れている。
その人が居ないと息が出来ない程、と言ってしまえる程に。
己がしてしまった事を思えば身勝手と詰られても仕方なくとも、それでも譲れない。多分、命一つ差し出して心が得られるのなら迷い無く差し出せる程に、堕ちている。けれど後悔は無い。
言葉を濁した彼をどう見たかは解らないが、少女は瞬きをして言う。
「いや、今時普通も何もどーだっていいとは思うけどね。まぁ、諸事情は聞かないことにするわ。関係無い私に聞いて欲しい訳でもないみたいだし?」
「まぁ、あまり聞こえの良い話じゃないからね」
「そう言われるとちょっと聞きたくなっちゃうけど?」
からかうような物言いは、しかし詰問でもなく、さらっと少女は話を流した。
その辺は大人に囲まれ生きてきた様が伺える。
「それならまぁ丁度いいわ。ちょっと、許嫁になってみない?」
「君に傾く事は絶対ないけど」
「だから、丁度いいんじゃない。いい感じの時期に適当に理由付けて解消、ってことで。まぁ事業提携をそれまでにしとけば周りもあんまり煩く言わないでしょ」
少女の言い分には十分な説得力がある。
結局の所、こんな席が用意されるのも何だかんだと言いながら未だ繋がりを縁に頼る部分が少なからずある上流と一般的に呼ばれるような世界の常識から来る弊害でもあるのだ。けれど結果として求められるのは企業としての利益であり、本当の人同士の縁ではない。
だから、結果さえ出してしまえば破局等大した問題にはならないのだ。
そして御門は、少女の今回の意図を悟った。
「その場合の利益は…………」
に、と少女が笑う。
「「この面倒くさい事が無くなる」」
二人の声が一致する。
ただ、一つだけ御門には確認しておかなければならない事があった。
「君は、居るの? 決まった相手」
何かの間違いで、相手に傾かれても困るのだ。その一線だけは絶対に譲れない。
「んにゃ。さすがに無い。でもまぁ少なくとも御門さんに決める事は無いから、その辺は安心して。決まった相手がある人に堕ちる程馬鹿じゃないし、御門さん友人としては悪くなさそうだけど結婚相手としてはちょっと頭良さ過ぎだし顔も悪くないけど好みってわけじゃないし? まぁ多分適当にどっかで相手を決める予定」
「ははは、随分な言われようで」
「うーん。いや、申し訳ないんだけどさぁ、御門さん見てると、ちょっと知ってるすっげームカつくヤツを思い出すんだわ。だから、無いな。まぁ逆にそう確信出来たからこんな話を持ちかけられたんだけどね」
「成る程ね」
この計画は、互いに相手に傾いてしまっても、後々面倒事になる。
少女はそれも理解した上で提案してきたのであれば、彼からすれば一番の問題点は解決された事になる。そんな取引をする程に、如何に二人がこんな場を周囲に設けられる事に辟易しているか、それが御門からすれば少し可笑しかった。
「解った。じゃあ、取引としようか」
「期限は…………まぁ、互いにそれなり事業が提携出来て、でそっちがちゃんと相手の子をモノにするまで、って事で。形は私が振る感じにしてあげるわ。何ならその子を先にこっちでキープして事業関係を形式上保ってあげてもいいし」
「随分大盤振る舞いだな」
「それだけ私からすれば悪い取引じゃないってことよ。貴方ね、私が最近一体どれだけ声掛けられてると思ってるの? 世界中よ? もう一々係ってたら仕事が進みゃしないっての」
はぁ、と年齢不相応な溜息をつく少女の姿に、御門は苦笑いをした。その気持ちや状況は御門自身も似たようなものだったので、正直身をもって理解出来る。
二人は、互いに己の身代わりになるような兄弟姉妹、そして頼るべき両親が居ないという点で非常に良く似ているのだ。しかも少女に至っては世界に名を轟かすような天才の娘であり、企業価値だけでなく本人自身の価値も世界中に認められている。勿論彼もそれに負けない程には名が売れているようだったが。
面倒事は、少ないに限る。
そうして二人の取引は成立し、そして市場を賑わすそのニュースが後日発表されるのだった。