欠けた月

文字数 3,151文字


 さらりと長く伸びた白銀の髪に、銅の瞳。
 白磁の肌を持つ彼女は俗に言う所のアルビノと全く同一の様相を呈しているものの、実際には生まれながらのそれではない事を知るものは少ない。だから、普通のアルビノであれば苦手とする眩しい光も、彼女からすれば大した問題にはならない。
 そうして背筋を伸ばし歩く姿は、美麗な容姿も含めて一目を惹くに充分な要素ばかりを持っていたけれど、彼女が務めているその場所で容姿も含め彼女を知らぬもの等殆どおらず、またそれは同時に不埒なものを向けてくるものが殆ど居ない理由でもあった。
 職場の廊下を音も無く歩く姿は、華があるのは確かだったけれど。
 一見細い手足は、いざという時に鮮やかなまでに人の命を奪う。
 一見美しい容姿は、血腥い場所でこそ輝いて。
 隣に並び立てるのは、それを赦されているのは、只ひとり。彼女自身がおおっぴらにそんな事を言う筈も無かったが、それでもその隣に立てる当人が充分すぎる位、周囲を日々牽制している為もあって、如何に美しく目立つ事があろうとも、おかしな誘いなど来る筈も無い。
 不意に、彼女は視線を上げる。
 その先には、半透明の少女がふわり、彼女の部署の入り口に当る所で浮いていた。人ならぬもの、その存在を彼女はかなり以前から知っていた。
「沙良ちゃん」
 呼びかければ振り返る、セミロングの髪を揺らす薄青色のワンピースを着た少女。
 重力等おかまい無しに浮いているのは、沙良が人ならぬ、存在すら朧なものである証明でもあって、けれど既知でもあったから彼女、相坂アリアは少女の傍へと歩み寄る。
 既に故人である筈の少女が、こうやって朧でありながらもはっきりと世界に留まるその力の源は、実の所少女自身のものでない事を相坂は知っていた。そういう事には詳しい彼女には、少女がどちらかといえば『留められている』事を知っている。
 けれど何も言わないのは、それを沙良自身が選択してもいるのだという事も、知っているからだ。
 そして源から離れては長く留まれない事も、知っている。
「唐杉君は?」
『食堂。サフ、一緒』
 一部にしか見えない朧の少女は、時にこのような伝達役もこなすが、主としては、その源である唐杉の本来所有している能力を制御している存在でもある。
 未来予知。プレコグ。
 数少ないその本物の能力者である彼の青年は、少年時代に幼馴染みであるこの少女を目の前で事故で亡くしたのだと、何時だったか聞いたおぼえがある。そしてそれまでは只の人間であった唐杉は、その喪失に耐えかねて、少女を『留めた』。
 此処に居るのは、間違いなくその沙良自身である。
 幻でも、白昼夢でもない。唐杉自身がその能力の片鱗で生み出し、少女の魂を移した形。それが唐杉の本当の能力でないが故に、見えるものは、ごく一部の近しい能力を所持している者に限られている。
 本来は一生潜在する筈だった能力は、沙良を生み出した事で片鱗が生まれ、そこを見出したのが、今唐杉が所属している部署の上司である男だった。只、偶然ながらその場所に彼女も居合わせていた事で、少なからず縁が発生している。
 だからか、沙良は相坂の所には、何処まで離れていようとも来る事が出来るらしい。ただ、それでも長居は出来ないようだったが。
「あぁ、そうなの。ありがとう。来るように伝えて?」
『うん』
 するりと空に融けるように少女の姿が消えて、そこは只の空気に変わる。魂だけになったかの少女には、距離は既に存在しておらず、恐らく時間も限りなく無いに等しいのだろう。
 唐杉自身は、沙良を抱えているが故か、その精神の内に子供のような幼さを残したままで、言動などは決して歳相応とは言い難い男だ。今の所は外見も同様に若い故に違和感はさほど無いが。そして唐杉の周囲の人間の殆どは沙良が見える訳ではなく、それは唐杉も理解している。
 恐らく唐杉が今、まっとうに働けているのは上司である男や、唐杉の相棒である青年の尽力が大きいのではないかと、他部署である相坂は失礼と思いつつも想像してしまう。
 恐らく唐杉自身も、沙良を失ったその瞬間に心の時間を留めてしまっている。
 そうして未来予知の力が引き出されてしまったのは、皮肉な話であるが。
 ふぅ、と相坂はそこまで考えて自嘲気味の笑みを零した。心の時間を留めてしまっている事は、自分だってヒトの事を言える事は無いのだと、思って。
 欠けてしまったものを埋め合わせる為に唐杉は沙良を生み出し、そして。
「アリア!!」
 廊下から鉄色の髪を揺らし、彼女の名を呼びながら青年が走ってくる。
 息を切らせる事も無く目の前まであっという間に来た彼は、とんっと立ち止まると柔らかな笑みで相坂を見下ろす。同じ部署の、相坂の相棒であり、私生活に置いても切り離す事の出来ない存在であるこの青年は愛称をサフ、正式名称がサフォンド、辛うじて日本国籍を保有している。
 先程、沙良に呼んでもらった相手。
 恐らく沙良が来たからにはそれなりに大変な思いをしてきたのだろう、その表情にはほっとしたものが見える。元より、サフォンドと唐杉は軽口を叩き合うことはあるとしても、長話をするような相手でもない。かといって態々沙良が呼びにくる事も無い筈だった。
「ありがとうぅぅ、もう俺ほんと怖かったぁぁぁ」
 開口一番、泣きそうな顔をして縋り付かれては、どうやら沙良が来ていた程の意味があるのは間違い無さそうだった。部署に入りながら相坂はサフォンドに問いかける。
「食事しにいったんじゃ?」
「そうなんだけどさぁ、途中で康介と唐杉が来てさぁ、向こうで烏間と山辺が食べてるの覗き始めて、巻き込まれて、山辺にバレて、山辺すっげー怒っててぇ」
「山辺が、怒った? 康介さんと唐杉に?」
「そう!! で、俺関係無いのに巻き込まれかけて」
 うんうん頷くサフォンドは、山辺とはそれなりに呑み友達的に良い関係を保っており、唐杉とは悪戯仲間的関係、対して康介と烏間とはほぼサフォンドからの一方的敵対関係という複雑な関係を築いていた筈で、相坂からすれば話に出た男達総て只の同僚であった。
 それでも、サフォンドからの話や傍から見た様子、更には上司である康介が真っ先に抱え込んで離さない部分から、山辺がそれなりに忍耐力と冷静さを兼ね備えたリーダー的逸材である事は既知である。だからこそ山辺が怒ったというのは、珍しい知らせであり首を傾げる。
 当事者に巻き込まれたらしいサフォンドの方は、珍しく堪えた顔をしてがくりと肩を下げて言う。
「山辺、さすがにあの部署にいるだけあるよ。マジ怖かった」
 普段は無茶苦茶な上司と無邪気な相棒に振り回されていても、唐杉のような特異な能力が無くとも、山辺は彼らと対等に立ち回れる程の稀有な逸材であるのは解っていたが、サフォンドはそれを改めて思い知らされたらしい。
 相棒の珍しい様子に微笑んでしまう。
 あの誰に対しても一線引いている山辺の、特別な表情を見せられる相手にサフォンドが含まれているのが何となく嬉しかった。
 そうでなくともこの鉄色の髪の青年は、相坂を総ての中心に考えて行動していて、周囲への興味関心が薄い所が多々ある。その中で少しでも相坂以外で関心が向く事が、微笑ましくて、嬉しい。
 こんな言い方をすればサフォンドには否定されるかもしれなかったが、時折相坂は彼が彼自身の本意を捩じ曲げて生きているような気がしてならなくて、だからこそこういう時、そうでない部分、詰まる所相坂だけと関わって彼が生きている訳ではない事実が露呈する事に浅からずほっとしてしまう。
 そんな自分の心が如何に身勝手か、承知していたけれど。
「仕事、するわよ」
「うん」
 思考を振り切るよう、言った相坂に青年は何時もの通り、笑った。
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