凛と立つ者

文字数 2,856文字


 事件にも色々と種類がある。
 相坂が基本的に担当しているのは、おおよその場合、暴力行為の伴うそれだ。普通の者には対処出来ないものであっても、相坂には対処出来る場合もあるし、そうでない場合もあったが、彼女は現在実力でその地位にいるのは間違いなかった。
 普通の人間相手に遅れをとる事等ない。それどころか、本物の戦場で動く傭兵にも驚かれる程の戦闘能力を細い肢体に有している。
 真昼には銀にも見える白の髪に、赤銅色の目は、アルビノのようだったが、実際の彼女は日差しには一切制限される事も無いし、病弱でもない。
 相坂がどうしてそこまでの力を持ち、どこでどう育ってきたのかを知る者は居ない。
 恐らく最も知るであろう彼女の連れ合いであるサフォンドも見た目十分人間離れしている能力と外見を要していた。更に言えばその能力は相坂よりも更に上回るとされる。
 だが、実際のこの二人の本気の戦う姿を見た事がある者は、恐ろしく少ない。
 その点においては、何故か彼等の直属の部下よりも、事件性の関係上一緒に動く事の少なく無い別部署である、とある異色な部署の者達の方が見る事の方が多かったのだ。逆に言うなら、普通に考えうるような事件では二人の本当の能力というのは最大限発揮される事は少ない。
 それでも時に、彼等は恐らく彼等にしか出来ない事件に遭遇する事もあった。

 人の気配は既に何処からも感じられない。
 否、今更感じられてもそれはそれで困るのだが、とも相坂は自嘲する。
 今彼女が立っているその場所は、ついさっき放射能漏れが確認された事件現場なのだ。本来ならば最悪の可能性、そう遥か昔にあったような爆発事故のような可能性もあったそれは、しかし予知能力を有する別部署の者、唐杉の行動に従った相坂達の動きによって多少の放射能漏れで済んでいる。
 けれども洩れている事実に変わりなく、常人にこの場に居てもらっては困るのだ。
 そして相坂自身は放射能を完全に遮断出来る状態でその場所に居た。持っているのは放射能を漏らしている原因を回収する為の容器で、後は原因をその中に入れてしまえば一先ず作業は終了になる。
 彼女は、誰もいない廃墟のような工場を歩く。
 その身を護っているモノを今他の誰かが見たならば、恐らくは驚愕するのだろう。
 うっすらと身を覆う薄灰色の膜は、ほんの少しの空白を持って彼女の周囲を覆っている。それが、彼女を害する全てから相坂の身を守っていた。これが、相坂にしか出来ない事件が存在する一つの証明でもある。恐らくは地球上に殆ど無いだろう(本当に無いのかは知らないが)全てのモノから身を守れるモノ。
 但し、使えるのは相坂だけだ。
 なにせそれが呼応するのは相坂にのみなのだから。
 現存する文明とは異なっているモノである事は相坂自身百も承知で、だから公表は赦されない。間違っても人の目に触れる訳にはいかない代物。それでも事件によってはこのように、相坂は使用する事を迷ったりしない。相坂自身、その為に機関に属しているのだから。
 それは、原因のある場所を相坂にはっきりと教えてくれる。
 勿論事前に予知した当人、唐杉からそれは教わっていたが、相坂にとっては教わっていた情報よりもそれが教えてくれる情報の方がより明確に伝わる。完全に意識が同期している分、廃墟の隅々まで把握出来るその感覚は、人間には非ざるもの。
 それでも耐えられるのは、偏にそれ自身が相坂に呼応しているからだ。
 他の者には見せられない状態。
 この状態下であれば、彼女は空母ですら個人で落とす事も容易い。それ程までの、力。戦争等に用いられる事があったなら、恐らく恐ろしい事になるのだろう。勿論相坂はそんな下らない事に協力するつもりは更々ない訳だが。
 今機関に所属しているのは、それが軍事に走るのを防ぐ為だ。
 どちらかといえば本人の中で自身の立ち位置は、抑止力的な部分に重点が置かれている。
『アリアぁ、人間って何でこんなしょーもない事をするんだろうねぇ?』
 のほほん、と場に合わない声が響く。
 サフォンドのそれは、相坂の頭の中で柔らかく緩く、音楽のように流れる。
「何でかしらね…………本当、何時だって、そう」
 それに彼女は溜息を零しながら答える。
 何時の世も、平和は泡沫の夢のようなものだ。紙一枚隔てた向こうには、全く異なる薄暗く汚れた世界が広がっている。それでも、やはり理想という名の綺麗な絵を追い求めるのもまた、人なのだ。そうして何度も何度も繰り返して。
 まるで螺旋のよう。
 歴史は、本当に繰り返すばかりなのか? という誰もが思う問いを心の内、彼女だって繰り返した事はあったけれど。
(いいえ。違う)
 相坂はその目を少しだけ臥せる。
『アリアは、嫌にならないの?』
 問いかけるサフォンドの声音は無邪気だ。
 彼にとって、ヒトの愚行等どうでもいい領域にあるのだろう。自分と彼の差異を相坂も理解している。彼が今こうして人に協力しているのは、単に相坂がそれを望んでいるからで、同時に彼女が例えば世界の瓦解を望むなら、この声音のように軽くそれに答えるのだろう。
 容易くその様が想像出来る。
 そして同時にきっと、サフォンドからすれば相坂がこうして態々不特定多数の誰かの為に動き続けている事、何時だって動ける事が、単純に疑問なのだろう。サフォンドの世界には基本的に相坂しか無くて、その序列ははっきりしているから。
 曖昧な愛や思慕など、無い。あるのははっきりとした境界だ。
「そうね。今の所は、まだ」
 ふわり、相坂は笑う。
 そう、まだ、なのだ。
 嫌になるにはまだ、世界は綺麗な絵を描く余地があると、彼女は思うから。
 もちろんあの日々の目覚めの冷たさを、永遠に繰り返されるかのような恐怖を、心の内の痛みを、忘れた日は無い。世界はあの頃の延長線にあるのだから、心の中の刺が完全に消える日は無いけれども、やはりそれでも。
「サフォンドだって、信介君とか、山辺君とか、好きでしょ? 困ってるのを見たら助けるでしょう?」
『そうだけどー』
 相坂しか見ていなかった、同時にそういう風に出来ている筈のサフォンドでも、彼女程とはいかずとも大事な友人を作る事は出来る。相坂自身はその様を、変化を、幸せな気持ちで見守っているのだ。それだけでも機関に身を置いた価値はあったと思いながら。
 そう、変わっていける。どんな方向にだって。
 まして人ならば、尚更。
 何時の世であっても優しいモノは何処かにあるのだ。綺麗なモノも必ずあるのだ。だから恐らく人は絶望しきることはなく、理想という名の空地図に思う願いを描けるのだ、きっと。それは長い時間を経てきた相坂だからこそ思える事。
 どんな目にあっても、それでもまだ、と思うのだ。
 総てを投げ出すにはまだ早いのだと、思えてしまうのだ。例えそれが己の甘さや愚かさだと誰かに誹られ笑われるのだとしても。
「だから、まだ、頑張れるのよ」
 そう、まだ。
 相坂は凛と立つ事が出来る。そうである限り、動き続けられるのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み