案外近い人達

文字数 3,690文字



 食堂の窓際より少し離れた、区画を作る為の植え込みの向こう側で食事をしている男が三人。
 内二人は目の前の食事を片付けながらも、食堂の窓際の方に視線が釘付けになったままで、残り一人はそんな二人を横目に見ながら呆れた顔をして食事をしていた。そもそも、残り一人であるところの鉄色の髪を持つ青年サフォンドは、他二人の出刃亀に興味がある訳も無い。
 むしろ、向こうで変態(とサフォンド本人は認定している)と食事している、この場にいる他二人と同部署に所属している青年に大いに同情を向けはするけれども、覗きのような無粋な真似は趣味ではない。
 では何故この場にいるかと言えば、一人食事している所に他二人が乱入してきたからに他ならず。
 当の本人達である、斉藤康介・唐杉護の両名は、何やら会話をし始めている。
「ねぇ部長、煩いのって僕たち?」
 そうひそひそ声で問うのは唐杉で。
 彼は、向こうで食事をしている可哀想な青年の、同僚であり相棒でもある。普通の人間であれば明らかに聞こえない筈の距離で行なわれている向こうの話が当然のように聞こえているのは、当人の特異な能力の為だろう。
 見目こそまだ二十代の童顔で、男ながら髪を少し伸ばして三つ編みをしている。今更疑問に思うのも馬鹿馬鹿しいが、こんなんでも副部長という立派な役職についている。
「そうだろうねぇ」
 答えるのが、唐杉の上司であり、向こうで食事をする可哀想な青年の上司でもある斉藤康介である。サフォンドは旧姓を知っているために紛らわしいから、康介としか呼ばない。康介も当然のように向こうの会話が聞こえているのは、最早考える事も面倒な現実であって突っ込む気力すら起きない。
 見目麗しい茶髪茶目の美青年で、見た目は完全に日本人離れしているが、そこは自身も同様なのであえて言及はしない。黙っていれば希代の芸術家の作った最高傑作とも思える程の造作も、基本的に当人の言動によって常に破壊されているような青年である。つまるところ、中身は世にも恐ろしい人外魔境である。が、こんなんでも部長という立派な役職についている。そこはサフォンドと同様だった。
 唐杉と康介。
 確かに常日頃この二人に囲まれていれば『煩い』と表現するのも致し方ないだろうと、サフォンドは純粋な感想としてそう思う。そんな当人もあちらの会話が筒抜けに聞こえている上、時によって他の者からすれば『煩い』の一部なのだが、それには触れない。
 なにせ、彼の部署の相方は、非常に寡黙でしとやかなので、煩いくらいで丁度良いバランスなのだ。(そう思っているのはサフォンド本人だけであったが)
 そんな彼の傍で、良い役職の二人が植物の陰に隠れるように頭を下げて顔を付き合わし、こそこそ会話を続けている。
「失礼な!!」
「まぁやっくんは基本的には静かな方が好きだからねぇ」
 やっくんとは、この二人が山辺を呼称する際の共通の呼び名だった。
 関係無いが唐杉の場合はまーくんになる。こちらは下の名前を持ってきたのだろう。
 良い歳した奴らが職場でそんなしょうもない名前で呼び合っている様は、いっそ滑稽なようにも思えるが、長年にわたる有名な光景でもあったから今更つっこむ者もいない。殆どの場合は、彼らが怖くて突っ込めないというのが本音だろうが。但し、山辺だけはその呼称は使用していない。真っ当な神経の持ち主なので。
 傍を通る者達が、何やら恐ろしいものでも見たかのように(実際そのような気分なのだろう)彼らに気付いた途端踵を返すものだから、周囲に座っているものは既に誰もいなくなっていた。よくまぁこの惨状を、向こうで食事している者達は気付かないものだと彼は思う。
 察するに、方や仕事、方や現状に浸ってそれどころじゃないのだろうとサフォンドは踏んだ。大まかに間違っては無い筈だ。
「でもやっくんは寂しがりやだから構ってあげないと!」
 何やら真剣な顔で言い切った唐杉に思わずサフォンドは「兎かよ」と突っ込んで、直ぐに後悔する。関わらないようにしていたのに、と。ついでに食べ終えた食器を持って立ち上がりかけ、固まった。そんな状況に気付かない(あえて気づかないフリをしている可能性もある)二人が話を続ける。
「いや、どっちかといえば犬かなー」
「ドーベルマン!!」
「もうちょっと可愛い感じじゃない?」
「じゃあダックスですかぶちょー」
「うーん、もう少し攻撃性が欲しいなぁ」
「ワイヤーフォックステリアとか?」
「あー、うんうん、そんな感じで」

「何にせよ何してんですかアンタら」

 絶対零度のその声は、さっきまで向こうで会話をしていた片方のもの。
 サフォンドが立ち上がりかけたその時に、こちらの会話の声に気付いた山辺がさっと席を立って、それを追うように烏間も一緒に目の前にやってくるのを、ひやりとしたものを感じながらサフォンドは見守っていた。動きたくとも、相手の目が冷た過ぎて、さすがに動けない。
 なにせ彼からすれば山辺は、数少ない愚痴仲間なので不興を買いたくない相手だったから。
 その山辺が腕組みをして見下ろすのを、上司と同僚に当る二人が顔を引き攣らせて見上げ、固まっている。山辺の後ろの烏間も、さすがに不快を隠さないままの目で三人を見ている。
「あ、おはようやっくん」
「お前まだ外のはずだよな唐杉」
「あははは」
「部長も戻りは十四時だったはずですよね」
 冷たい。バナナも釘を打てるようになりそうな程に冷たい声で、山辺が二人を見下ろしている。ちなみに現在時間は十三時も半分過ぎた頃。昼の混雑時からどうにか時間も過ぎ、人が減ったあたりである。その矛先が自分には向いていない事に安堵しつつ、サフォンドは状況を見守る。
 何時もなら周りに振り回される側の山辺が場を支配している事等、そうそう無い。決して出来ないわけではないのだが、人が良すぎるせいでそうならないのだ。簡単に相手に場を譲り渡してしまう人の良さが、山辺の良い所でもあるが。
 そうして同じ職場の上司と相棒に説教を始める山辺から、いつの間にか離れていた唐杉がサフォンドの背後にやって来ていて、「あーぁ残念」と呟くのを彼は捉える。
 振り返れば男は、珍しく本当に寂しそうな顔をしていたものだから、思わず彼は首を傾げてしまった。
 そんな殊勝な顔を見た事が殆ど無かったので、思わず声までかけてしまう。
「良かったじゃねーの、ちょっとは山辺と話せて」
 普段の山辺の姿と烏間の執着、その両方を知っているからこそそう言えば、烏間は苦笑しながら「そうなんだけどね」と返す。そこには普段、どうしようもない言動で周囲を振り回している手に負えない男の姿とはまた異なる、子供のような無邪気な寂しさが覗いている。
 烏間の山辺への執着。
 由来するものが恋着だか愛着だかそれ以外なんだか、その辺はサフォンドに知る由もないが、烏間にとっての山辺が、例えば烏間が彼に向けるような興味関心(つまり医者としてのソレだ)とは全く異なるものである事は、本能的に理解している。
 ただ、人間の些細な機微というものに彼はどうしても疎いから、判らない物は解らない。
 大事にしている割には構い過ぎて嫌われている様は、何とも複雑なものだと思う位だ。
「とられちゃったなー、って」
「そりゃ、お前よりあっちの方が優先順位は上だろ」
 ぽつんと零す烏間に、さくっと言い放つ。
 身内に甘い山辺が、上司である康介と相棒である唐杉をどれだけ大事にしているか、傍から見ていても解る。どうやら家族というものを既に失って久しいらしい山辺の、家族の代わりになる程にはその場所は大切なのだと、傍から見ているからこそ、解ってしまう。
 同じく、唐杉だって。
 それは烏間も同じのはずだ。
 むしろ烏間の方がずっと、山辺に委ねているものは多いようにサフォンドには思える。最初から、権利を得ようとはしていないように見える。中に入りたいのだろうに。
「解ってるけどさ、態々、ねぇ」
 その言葉にサフォンドはようやく状況を飲み込んだ。
 要は、このどうにもならない馬鹿煩い乱入者二人は、山辺達の邪魔(?)をしたいが為だけに今此処に来ていたらしい。今も目の前で山辺に説教されている二人の、無駄な会話の盛り上がりもその辺、総て計算に入っているのだろう。それを理解して烏間は今拗ねたような顔をしている、という事だ。
 きっと唐杉は山辺が取られたようなような気がしていたのだろうし、逆に今烏間がその気持ちを味わっているのだろう。康介の方は…………単に面白いから話に混じっているに違いない。そういう男だ。
 なんだかなぁ、と彼は思う。
(どいつもこいつも、大人げないったら)
「ま、次があるだろ」
 思わず慰めるような言葉をかけてしまったサフォンドに、意味深な笑みで烏間は答える。
「あればいいなぁ」
 その答の真実を知るのは、二週間後。
 烏間が海外のあちらこちらにしばらく手術旅行に放り出されたという噂を聞いた時。一体あいつらどれだけ大人げないのだろうと、どちらが行なったかは解らないその状況にサフォンドは今度こそ本気で呆れた溜息をついた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み