本人の思いも想定外です

文字数 4,308文字



 それは。
 いわゆる「想定外」の事で。


 彼の元で働き始めて、ようやく1年が経とうかという頃。
 不安定だった組織も、元の土台がしっかりとしていた為か、あるいはこれまでのソレとは全く違う方法で有能な人材を選り抜いて集めた為か、それなりに安定し始めているのが誰の目にも明らかになってきた頃。
 ある点を境に完全に変えられた構造は、当時はもっと混乱を巻き起こすものと思われていたようだが、現実はそうでもなかった。結局この国は縦割りの構造をしていて、上に何が居座ろうと気にするものは少ない、という事なのだろう。そして上が、どんな風に動いていても目の前の世界が安穏としてさえいれば誰も不満に思わない、と。
 情けないが、それは事実。
 そういう民族性を見事に利用して、この変化は起こされたのだ、多分。
 本人は何も言わないし、その証拠も無いけれど、現在自分の上司をしている彼はその変化の中心人物(もしかしたら原因)なのだろうと何となく気づいていた。彼の置かれた立場や所有している権利は、明らかに特別で他に類を見ないものであったから。
 何はともあれ、自分にはどうだっていい事なのだと。
 忙しい毎日の中で、マスコミなら喜んで食いつきそうなその事実も、自分にとってはどうでもいい。彼によって捕らえられた犯罪者という名称を頂く自分に とっては、それは本当に意味の無い予想だったのだ。
 ずっと、他には誰もいない広い事務所のような場所で寝食し、そして命じられるままに求められる作業をこなした。生活に困るようなこともなかったし、与えられる仕事はどれも難解であったがそれなりに面白かった。
 このまま時間が過ぎていくのだと、心のどこかで覚悟が出来た頃。

 ヤツが、現れた。

 仕事時間中に、この場所に誰かが来ることはこれまでなかった。
 自分の管理者である彼ですら、仕事時間中はやってくる事はなかったのだ。
 その時、作業に没頭していた自分は部屋の唯一の扉が大きな音をたてて開かれるまで不覚にも、その気配にはまったく気づけもなかった。一年近くのこの時間の中で、初めての彼以外の気配であったにも関わらず…………だ。
「うわ〜広いんだねぇ」
 のほほんと間の抜けた、としか表現しようの無い緊張感の無い第一声と共に、その突然の訪問者は現れたのだ。
 なんのてらいも遠慮もなくずかずかと部屋の中に入り込んで、突然の事に仕事の手も止まり呆然としていた自分を見つけると、にっこり笑った。男なのに長い髪を後ろで緩やかに一つに編みこんでいる。
「初めまして。僕は唐杉。君が、山辺君?」
「……………………」
 それにどう答えていいのか、分からなかった。
 山辺は、捕まった後に用意された新しい名前だ。前の名前は、捕まえた本人の言によれば『無期懲役』扱いになっているらしい。自分のしてきた事を考えても妥当な量刑だ。残念ながら法律上、死刑はありえないのだから。
 用意された新しい名前。新しい戸籍。すべて、現在では上司に当たる人間一人の裁量でのものであることを考えると、逆らう気も失せるというもの。それ以前に、自分が最も得意とする世界で彼に惨敗しているのだ。勝てるわけが、ない。
「あのね、僕達、同僚なんだって。今までずっと訓練だったから…………明日から僕も此処で働くんだって! 此処、ようやくちゃんと始動するんだって。これからよろしくね?」
 こっちの返事もきかずに話し続ける、ソイツ。
 今いる場所、複数の部屋と人一人が暮らしていくのに不自由しないだけの設備を兼ね備えながら、出入りは完全に規制されたこの空間が、ある巨大な建物の一部である事は知っている。その建物がある機構のものであることも。
 つまり、自分が一年近く監禁されていたこの大きな牢獄は、彼を筆頭とする機構内の何らかのグループか組織の主たる職場になるだろうことは、なんとなく予想がついていたのだ。
 予想外だったのは、同僚となる人間が、目の前にいるような緊張感の無い優男だった、ということで。にこにこ笑っている姿は、よく躾けられた犬を彷彿とさせて、思わず目頭に手をやってしまう。疲れているときはそこをマッサージする癖があるのだ。
 犯罪者である自分が、腕を買われて存在を書き換えられてまで擁されているような職場での最初の同僚が、こんな人間だと誰が想像出来るというのだろう?
「…………訓練……?」
 とりあえず、気になった単語を拾ってみる。
「うん。何か、色々。今日がその最終試験だったの」
「どんな?」
 その時にそう言ったのは、単なる話の流れ上、というもので。まさかそれを数秒後に後悔する事になるとは思わなかった。
「此処まで来る事!!」
 陽光を思わせる明るい笑顔で言われたその内容は。
「…………は?」
「だから、此処に入る事。この建物の入り口の警備よりも此処に入る時の方が大変なんだね〜。凄いよね〜」
 此処は、一応自分にとっての牢獄…………だったはずで。
 実際に目にしたことはまだ無いが、この建物のセキュリティはデータを見る限りにおいては、一般的なソレよりも立派なものを用意されているのは知っていて。そしてこの牢獄はそれを遥かに上回るもの、で。
「侵入してきたのか?」
「そういうことになるのかなぁ」
 へらっと笑ったその男は、自分のした事がどれだけの意味を持っているのか分かっていないように見える。その表情からは、此処まで来るのに困ったとかそういう所は窺えない。悪い言い方をすれば、馬鹿っぽい。
 自分を捕らえた男もよく笑う男だったが、彼の場合はどんな瞬間にも底知れない虚ろを感じて背筋が凍る気がする。それに比べて目の前の男には裏が感じられず。
 あぁ、成る程。
 コレが、自分の同僚になるような存在なのだと…………つかの間の後悔は、納得に姿を変えた。得体が知れない、馬鹿っぽい男。しかしその能力は高い。犯罪に手を染めたような陰は感じられないが、この職場には相応しいかもしれない、その違和感。
「そうか」
 それ以上は話す事も無い。
 仕事に戻ろうとしたが、トコトコと近づいてきたその男の気配に動きを止める。顔を上げてその姿を窺うと、彼はひょいっと右手を差し出してきた。
「よろしく」
「…………あぁ」
 握り返したその手は、まるで子供のような暖かさだった。



 今では20人を越えた、構成員。
 休職していた部長が戻ってきた後は、忙しいながらもそれなりに穏やかな毎日だ。
 前の名前も思い出せない程にしっくりと身に馴染んだ、新しい名前。犯罪者だというのに、まるで何もなかったかのように与えられている普通の生活。慕ってくる後輩の誰一人として自分が犯罪者であったことは知らない。
 実の所、あの後増えた者の殆どが何処かに傷を持つ身で、過去の経歴のどこか(あるいは全て)を隠蔽あるいは抹消されている者ばかりなのだが。
 それらの者たちを見つけてくる張本人が、いつか言っていた。
 此処を作る事を決めた時、決まっていたメンバーは自分と、その張本人だけだったのだと。それで行こうと準備を進めていて(その頃、自分はまだ捕まっていなかったのだが)本当なら、捕まえた時から一緒に仕事が出来るはずだった。

 そこに現れた「想定外」が、唐杉。

 犯罪者でもない彼を見つけたのは全くの偶然で、遭遇すら「想定外」のものであり、しかし見出してしまった才能を見逃す事も出来ず。だがすぐに戦力とするには、彼は自分と違ってあまりに経験が不足した…………要は、原石だった。
 結果としてそれを磨くのに時間が掛かり、そして自分は一人の時間を過ごした。
 あの1年近い時間は、拘束というよりも放置、だったのだ。
 今にして思えば、それで良かったのだと思う。その間に思う存分情報を掴み技能を伸ばす事が出来たし、唐杉がいることでこの職場での自分の負担は明らかに減っている。正直、彼が居なければ部長の休職期は乗り越えられなかっただろう。時々ヤツがやらかす大失敗は…………まぁ、耐えられないほどではないし。
 それに。
「おやつ食べる人〜っ!!」
 いつものように休憩を促す唐杉の姿を、ぼんやりと眺める。部長がいないときはヤツがその役を担うのだ。
 わらわらとヤツの元に集まっていく後輩達。
 これが、自分だけしかいないとこうはいかない。性格上「しばらく休め」とか言い残して独りコーヒーを淹れに出て行くのがオチだ。あいつには人を和ませる力がある。
 犯罪に手を染め、闇に落ちた事のある者の多いこの職場の者達にとって、ヤツは太陽のようなものなのだ。暖かくて明るくて、でも直視出来ないし、触れようとすればこの身が溶かされる…………不可侵の領域。でも、必要な。
「やっくんも休む!! はい、今日はプリンだよ」
「しょうがないな」
 差し出された、コンビニに並んでいるその洋菓子を受け取…………ろうとして、ヤツがプリンを持った手を引っ込める。
「…………おい!」
「僕と半分こだから〜食べさせてあげる♪」

 …………今、非常におかしな単語を聞いた気がするが。

「何でだ」
「ひーくんが遅出だって忘れててさ、数が足りなかったんだよ。僕ら先輩だから我慢しないとね?」
「いやそこじゃなくて。どうして食べさせてもらわなきゃならないんだ!?」
「半分こだから?」
「どうして疑問形なんだ」
「それとも食べさせてくれるの?」
「そういう問題じゃないだろ! 片方が半分食べてから渡すとか皿持ってくるとか方法があるだろう!! っていうか別に俺は食わなくてもいい。お前一人で食え」
「え〜それじゃ美味しくないよ〜」
「味は変わらんだろっ!!」

 今日もヤツは元気に「想定外」だ。




「あ〜ぁ、また始まったよ…………」
「唐杉先輩、あれ絶対確信犯だよね」
「ホント、好きだよねぇ山辺先輩をからかうの」
「山辺先輩も一々反応するしねぇ」
「しかも、結局いつも負けるしね〜…………あ、食べさせられてる」
「ナチュラルに怪しいよね、あの人たち」
「本人達、気付いて無いしね」
「どーしたの?」
「あ、部長おかえりなさい! いや、アレ……」
「あー、いいなー。僕も貰おうかな♪ あ、コレお土産。食べていいよ」
「ありがとうございます」
「…………あ〜、行っちゃったよ。しかも凄く嬉しそうに」
「部長は二人に食べさせる気だ〜!! 貰うんじゃなかったのか!!」
「山辺先輩、引き攣ってるよ」
「あれは……両手に花?」
「いや違うし全然」
「あの三人は本当に仲いいよね」
「たまに怖いよね」
「独身だしね」
「…………」
「でも、部長には弟、唐杉さんには沙良さんが」
「…………それもどうなの?」
「………………」
「………………」
「……まぁ、いっか」
「気にしちゃ負けだ!!」
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