世界の中心で密会をする

文字数 2,896文字



「さて、言い訳でもしてもらいましょうか?」

 にこやかに、しかし有無を言わせぬ威圧感でもって女は言った。
 簡素でありながら壮麗さを併せ持つ広い部屋の中、その所有者でもなければ招かれた客ですらない女は、それでも何の遠慮も躊躇も気遣いも無く部屋の主の目の前で腕組みをしている。
 女、というのは今ではもう不適切なのだろう。
 女の姿を好んでいるモノ、と言う方が真実に近い。部屋の主が男の姿を好んでよく使っているように。もちろん、属性の違いにより部屋の主は他の姿をとるのが少しだけ面倒、というのもある。でも女の方にはその「制限」がないのだから、つまりその姿が好きなのだろう。
 もしかしたら過去のままを留めているのかもしれない。
 腰まで波打った女の柔らかそうな長い髪に、部屋の主は目を細める。遠い昔にこれと同じような髪を持つ友人がいたのを思い出して。
「言い訳、とは?」
「もちろん、全ての」
 目つきもよく似ている。違うのは、表情の豊かさくらい…………友人は目の前にいるモノほど表情は豊かではなかった。今、不快感を隠すことなく露にしているこの女ほどは。
 そう考えてくすりと笑った部屋の主の表情をどう取ったのか、女は眉間に皺を寄せてため息をつく。酷く人間らしいその様子が、いったいどれ程残っていくのだろう? これからこの女は終わりの無い時間を歩く事になるその中で。全てかゼロか、の選択しか残されていない中で、どれだけ正気を保つだろう?
 同じような境遇に身を置く部屋の主は、さらに前からその境遇に身を置いていたから。
 だから、答えはたった一つしかなかった。
「退屈に絶望しない為、かな?」
 例えそれが、多くの犠牲の上に成り立つ饗宴でも。
「それに、結構疲れてたからね。息抜き」
 本来あるべき形なんてものはこの世には何一つとして存在しないのだ。全てのものは常に何かに介入され、変わり続ける。それがどんな力であれ、許されざる介入と言うのは存在しない。この世界は、神がいない代わりに罪も無い。あるのはそれぞれが決めたルールのみだ。
 だから、誰に責められることもない。目の前にいる女にすら。
「解っていたの?」
 女は少し目を眇めて、言う。
 何を、などとは言わない。
「まさか。時間とは定義であり概念。存在ではないからね。その先を掴める位ならとっくにこの世界は滅んでるよ。そんなの、究極の退屈だろう?」
 だから、今があるんだよ。
 そう言った部屋の主は前髪をかき上げる。長く白い指の間から零れる、柔らかい茶色の髪。その向こうにある瞳は、金に近い琥珀。歪んだ部分は何処にも無い、彫刻ですらそこまで表現出来ないだろう完璧な造作。
 女の、不完全さの残る造作とは対照的な、隙の無い姿。
「じゃあ、どうして、と訊いても?」
 自分の胸元を示し、問う女。
 其処に意味があるわけではないが、気分的なものなのだろう。命を紡ぐ核は、今は女そのものにあるのだから。
「最後のフォロー、かな」
「…………真逆のような気がするけど?」
 冷めた目は、女が本気でそう思っていることを伝えてくる。
 銀の髪に、光の加減で色を変える黒の瞳。色彩は元を留めなかったのか。それは女の一つの決意の表れなのかもしれない。決別、と言う名の。
「君から見ればね。でも、他のひとから見れば『僕が気にかけている』という部分が重要なんだ。現に普通ならありえない所がこのゲームに乗ったのも、僕の行動に左右されての事だしね」
 ふと女が見せた不快感は、ゲームと言われたからなのか。
 多くの者の死の上に成り立つソレは、しかし「ゲーム」としか言えないもの。
「結果として君が生まれたけど、もし生まれなくても悪い方にはいかなかっただろうね、本来あり得る最悪の方向だけは間違いなく回避されただろう。後は僕には関係ない」
 そう、これは本当に最後のフォロー。
 今ではもう心を残すようなもののないあの場所に、それでも少し手を差し伸べたのは優しい思い出のお陰だろう。他に理由は無い。
「勝手ね」
 呆れたように、女。
「そういうものだよ?」
 善悪など存在しないのだと、解っている筈だ。それを求める全てのものから開放された今では。世界は、何も求めず何も与えない。そこに在るだけだということを。
「で、君はどうするの?」
「そうね。私はまだ心残りがあるし…………それに少しは面白そうだから、そのクソつまんない『ゲーム』とやらにしばらく巻き込まれてみようかと思ってる。あと、色んな場所に行ってみたいわね」
 目を輝かせて語る姿は幼い子供のようで(実際にそのようなものだが)、しばらく隠居生活をしていた部屋の主にとっても好ましく見えた。ずっと影を潜めていたはずの外に対する好奇心が少しだけ頭をもたげる程度には。
 見えるもの全てが新しい。それはとても楽しいだろう。
 変化し続ける世界には一瞬とて同じものは無いのに、長すぎる時間と沢山の記憶が、見たものを勝手に既存のものとして分別してしまうから忘れかける事実。
「そっか。楽しんでおいで」
「言われなくても」
 そうして踵を返す女。
 ふわりと揺れる長い髪に、部屋の主は目を細める。
 連綿とした生命の連なりをわざわざ追って確かめようとは思わないけれど、それでも多分、この存在と自分の間には少なからず縁があるのだろうという確信があった。それは今の状態になったからというわけではなくて。
 必然も偶然も無い。
 これは、結果だ。
「ねぇ」
 呼び止めたのは、衝動的で。
「何?」
 顔だけをこちらに向けて、胡散臭げに問いかけてくる。

「君の名前は?」

 これほど意味の無い言葉が口をついて出たのは初めてではないだろうか?
 しかし言われた女の方は、特に疑問にも思わなかったらしい。
「名前? そんなの、もう無いような気がするけど。そういえばあいつ等は『ゼロ』とか言ってたわね。あぁでもアンタも『ゼロ』なんだっけ? じゃあ違うか」
「それは僕らの定義名だよ。名前じゃない」
「あっそ……」
 そのまま、肩を竦めた女に部屋の主は優しい微笑を向ける。まるで親が子供に向けるような、そんな慈愛に満ちた目。
「……………………レイ、っていうのはどう?」
「何が?」
「君の名前だよ。嫌なら別に自分で決めてくれていい」
 そう言うと、彼女はしばらく考えた後に首を振った。
「他に思いつかないし、まぁしばらくはソレでいいわ。レイ、ね…………誰か知り合いの名前だったりするの?」
「いや、僕の友人が子供に付けようとしていた名前だよ」
「付けようと…………していた?」
「結局は、二人の名前の響きにあまりに似すぎてる、余韻が残りすぎているっていうことで他の名前にしたんだ」
 名前にそれほど意味は無いと思う。
 しかし、目の前の女にはこの名前がしっくりくる。それはただの自己満足でしかないが。
「ふぅん」
 そして再び去ろうとした女が、部屋扉の前まで来て動きを止める。
「そういえば、アンタの名前をきいてないけど」

 名前、か。
 その質問もまた、意味が無い。
 でも問われるのであれば、答えは一つしか無いだろう。


「僕は、康介」


 そう言った瞬間の、呆気に取られた女の顔が面白かった。
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