願いと共に生まれる

文字数 2,799文字

 名前は、何にしようか。
 二人は真っ先にそう言っていた。まだ出来る前から、名前を考えていた。まだ少年の面影を残す方に理由を問えば、『だって名前は親が最初にあげられる一番のプレゼントだよ。大事だもの』と返ってきた。そう言う本人は親の顔など知らないと言っていたけれど、だから余計にそう思うものなのかもしれない。
 彼女には、そういう気持ちは今一つ理解出来なかった。
 もう一人の青年の方に問えば、『けーくんがこだわってるし、まぁこういうイベントは楽しまなきゃね』と、本人自身は一切内容を気にしていないような答が返ってきた。彼の顔は何時もの得体の知れない微笑みを浮かべていたけれど、少なくとも親友であるもう一人の彼と関わる時は何時も少しだけ、その笑顔は本当のもののように見えた。
 だから、彼女はそれで良いのだと思った。
 これから傍にいるこの二人は、色々なものを生み出すのだと言う。その色々なものの名前を、彼らは今からああでもないこうでもないと話し合っているときは、酷く楽しそうに見えた。
 だからこそ、その輪の中に入ろうとは思わずに、外から彼女は何時もそれを見ていた。
 その場所で構わなかった。
(見える場所にいるだけで、意味がある)
 多分今目の前で彼らが行なおうとしている事は、『外』の事を殆ど知らない彼女からしても大掛かりな事である事くらい判っていた。それを直ぐ傍で見られるだけでも奇跡のようなもので。むしろ何故自分がその場所にいて良いのか、全く判らない位だった。
 それでも他に行く場所等無かったから、そこにいた。
 楽しそうに名前を決める姿を、眺めていた。

 そんなある日、既に少年の面影も消え去った彼が、不意に真剣な顔をして問いかけてきた。
「名前を考えて欲しいんだけど」
 そうして言われた内容は想像を越えた範疇の話だったけれども、確かに彼女も関係するものだった。
 俄に信じられる筈も無かったが、それでも、それまで彼女が囚われていた場所の事を考えればありえない、とも言い切れなかった。目の前にいるその男と自分の子を、二人知らぬ間に造られていたなどと。
 唯一つ残っていたらしいそれを、目の前の男が見捨てられる筈も無く、そうして彼女にそれを拒否する権利も無い。命には、罪が無い。
 だが、名前と言われて、いつか見た彼らのように楽し気に考えられるようなものでもなかった。
 そこに残るのは求め生まれてくるものとは異なる、ある意味異質な存在でもあり。
「僕もね、実は同じだったらしいんだ」
 困ったような顔をして彼はいきなり言った。
 自分自身も同じように『造られた存在』で、名前等誰かが便宜上付けただけに過ぎないのだと。そしてさらに同じように『造られた』自身の子どもには、さすがに自分自身で名前を付けるのが怖いのだとも、言った。己自身で生み出してきたその他のものにはそれぞれ名前をつけてきたのに、子どもと思うとそうもいかないのだと。
 語る目には、確かに不安が存在した。
 彼には最も似合わないもの。
「でも、さすがに僕らのこどもだから、こればっかりは康介さんとは決めたくなくて」
 けれど一人でも決められない。
 そう言う顔は酷く困惑したもので、やはり彼には似合わなかった。
「大事な、名前だから」
 けれど揺るぎない意思は彼そのままだった。
 そうして二人、初めて、そして最後に、一緒に名前を決めた。これから生まれる、その存在の為の名を。
 彼は生まれ持った身体故に、それが生まれ物心つくまで生き続ける事は出来ないだろう。彼女は自身の意思故に、それが生まれ育つのを傍で見る事は無いだろう。それでも二人、唯一、一緒に贈れる唯一つのものが、名前。
 長いような短いような時間の果てに決まった名前は、どちらの名も継ぐ事が無い新しい名だった。

 日々の業務の終了は、大抵が夜になる。
 さりとて部下より短い時間で高い給料を得るのも格好悪いと、その組織の上に立つまだこどもと呼ぶ年齢に相応しい彼女は、けれど年齢相応の扱いや高い地位にあぐらをかく事を良しとせず、表には出さないが毎日社内・社外問わずの業務に手を付けていた。
 それを補佐するのが、彼女の後見人であり忠実な部下でもあり、育ての親ともいえる存在の女性。
 長い時間執務室に籠っている彼女を心配して、今日も決まった時間にお茶と菓子を持ってやってくる。それが仕事終了の合図でもあった。
 今日も、こんこんと扉を叩くと同時に扉が開いて、届いた香りが彼女を仕事から引き戻した。
「あれ? もうそんな時間?」
「そうですよ。もう仕事は終わって下さい、詩歌」
「はぁい。ちょいっと待ってね、キリの良いトコまで…………っと」
 カタカタとキーボードを叩く音は速い。よどみなく続くそれを、執務室の中央にあるテーブルに持ってきた盆を置きながら女性は聞いていた。茶の緩やかなウェーブを一つに束ねたその女性は、同じ鮮やかな茶の睫毛に縁取られた目の中、茶の瞳をそっと彼女の方へと向ける。
 まだ少女である主は、細く長いストレートの髪をそのままに、視線は画面に釘付けだった。
 集中するとどこまでも入り込んでしまう、その様は父親に良く似ている。外見も、そして与えられた才能も殆ど父親譲りと言って良かったが、ただ少し細めの眉毛やふっくらとした唇のあたりに母親のそれが譲られている事を、知っていた。
 彼女の知らない両親の顔を、女性は、本当は知っていた。
 殆どの事情も含め、己自身の存在の意味も含めて。
「はい、終わったよ、キラ」
「お疲れ様です」
「疲れたぁ」
「こちらにどうぞ。これを食べたら、帰りましょうね」
「そだね」
 よいしょ、っと身体を椅子から起こして立ち上がる詩歌の姿を、キラの目はそのまま追う。
 生まれたときから知っている、少女。
 あっという間に大きくなって、今では立派に仕事までこなしている。成人には程遠い年齢でありながら。そういう風な環境を整えたのはキラ自身であったかもしれないが、選んだのは自分だと、そう言い切る強さを少女は既に獲得している。
 天野詩歌。若くして亡くなった天野景の、唯一の後継であり血縁。
 そしてキラは、その少女を護り育てる為に存在している。そんな自分の有り様を、キラ自身は疑問に思う事は無かった。日々育っていく詩歌が、キラの存在を日々肯定するから。
(君の名前はキラ、ね。キラっていうのは、綺麗な服。着飾る事。君は、あの子を立派に育てるんだよ)
 キラの名付け親は、そう言って笑っていた。
 そんな願いそのままに、キラは今に至って。
「おー美味しそう。いっただきまーす」
 嬉しそうにイチゴのタルトにかぶりつく詩歌の様子を微笑みながら見ている。
 詩歌も、そしてキラ自身も誰かの願いの上、この世に在る。そしてこの先もずっと、詩歌の身を護るモノである事に、キラは誇りを覚えこそすれ迷う事は無いのだ。生まれた意味を、知っているから。
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