はじめてのしごとばけんがく

文字数 3,720文字


 鳶が鷹を産む、という言葉がある。
 明らかに親より優れた子供のことを指して言う。

 カエルの子はカエル、という言葉がある。
 親の能力をそのまま受け継いだような子供のことを指して言う。

 生みの親より育ての親、という言葉がある。
 会った事も無い生みの親より、育ててくれた人の方の影響を強く受けるのだと言う。



 …………かの子供は、どうなのか。






 実際、その時まで部署の人間ですら約半数は彼のことを見たことがなかったらしい。
 その部署以外になると、その保護者の知名度に反してほとんどの職員が彼のことを知らなかったのだ。普通で考えれば同僚の家族のことなど知らなくても当然だと言えなくもなかったが、彼の保護者の事を考えると、それは不思議な事のような気がした。
 なにはともあれ、彼は唐突にこの建物にやってきたのだ。
 この国の中核ともいえる、巨大な建物の中へ。
 部外者が入る事を許されないはずの建物に、例え職員の家族といえど警備部の許可が下りて専用の名札を渡されてからでないと入れないようになっているその中を、彼は名札も無しにちょこちょこと歩いていた。
 いつも大人しかいないその中で、小さな子供がいるのはとても違和感のある光景で。
 そしてそういう存在の為に作動するはずの警備システムは沈黙をしたまま。
 たまたまその子供を見た者たちは、システムが作動していないし何より相手が子供だということで警戒もせず、しかし声も掛けずに直ぐに仕事に戻っていった。誰かの家族なのだろうと、当たらずも遠からずな予想を結論として。
 広い建物の中を、子供は興味の赴くままに歩いていた。
 沢山の大人が働いているのを、時に不思議そうに時に楽しそうに眺めている姿はまさに探検中といった風で。
「おい、何してるんだ? チビ」
 声を掛けられるまで、彼は気ままに楽しんでいた。
 突然の呼びかけに振り返った彼の前に立っていたのは、背の高い男。鉄色の髪が珍しかったが、彼は特に気にしなかった。そういう意味での珍しい、は慣れていたから。
「こんにちは」
 だから、明るい声で挨拶をした彼を、声を掛けた男の方が驚いて凝視したのだ。
 こんな小さな子供で、自分に対して何も驚くことなく反応した者を初めて見たから。大人ですら、初めて会ったときには驚愕を隠し切れずに何処かで零すというのに。
「あ、あぁ、こんにちは」
 周りに誰もいなくて良かった、と男は思った。
 こんな子供相手に動揺して、しかも頬までちょっと染めちゃってる姿など部下に見せられるものではない。邪なそれでは無いけれど、見かけて思わず声を掛けてしまう程度には子供好きだという自覚がある。
 目の前にいる子供は、十歳くらいのまぁ可愛らしい子供だった。真っ黒で真っ直ぐな髪に、大きな目で小奇麗な姿をしている。カジュアルだがそこらの安い子供服にはない仕立ての良さが、外見からもわかるくらいに良い服を着ている。
「で、お前は何をしてんだ? ここが何処かは分かってるんだよな?」
 とりあえず、子供の目線に合わせて屈んだ。
「うん。お兄ちゃんの仕事する所!!」
 元気な返答。
 彼は輝くような笑顔と共にきっぱりと宣言したが…………正直、その回答ではこの場所がどういう所なのかまでは分かっていなさそうだと男は内心で苦笑する。幼稚園児から大学生まで「憧れの職業」なんてアンケートをとればTOP10入り間違いない場所なのだが。
「そっか。名前は? 名札は無いのか? 落としたか?」
 普通なら職員の家族が来た場合、臨時のIDカードになる名札が渡され、それを胸につけているはずなのだが。
「なふだ?」
「此処に入ってくるとき渡されただろう?」
「ううん、何にも渡されて無いよ!」
 そんな馬鹿な。
 おもわず顔を引き攣らせた男に、彼はにっこり笑って残りの質問の回答を述べる。
「名前は、斉藤信介!!」
「……………………さいとう、しんすけ?」
「はい!」
 当然だが少年の名前には聞き覚えが無い。
 無い……が、その苗字と名前の響きに引っかかるものがあった男は思いっきり表情を凍らせた。苗字の方は、この組織の中でも一致する人物が何名かいるくらいにポピュラーなものだ。だが、それにその下の名前の響きを足すと…………。
 最も考えたくない該当者が浮かび上がってしまう。
 それに、微かに思い出す。幼い子ども。まだ物心もついていないような、幼い、こども。
「……あのさ、『お兄ちゃん』の名前は何て言うんだ?」
 自分の中で仮定と否定を繰り返している男の心境もしらず、問われた彼は元気に(しかも嬉しそうに)答えた。
「康介!!」
「……………………ま〜じ〜か〜よ〜っ!」
 がっくり。
 組織内で3Kと言われる者の一人が子連れ出勤かよ!! と自身も3Kに数えられている事は棚に上げて脱力する、男。かの者に弟がいる事は知っていたが、あのバケモノの弟がこんな可愛い只の子供なんて、世の中どうかしてる……と場違いな八つ当たりを世界に向ける。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
 思い出した。一度だけ、ほんの少しだけ邂逅した事がある。あの頃はまだ自分で立つ事もままならないような子どもだった。だが今ではすっかりすくすく健康に、しかも見るからに良い子に育っている。
 何だよアイツが育てたんだろ? なんでこんなに良い子なんだよ?
 突然頭を抱え込んで座り込んだ彼を心配そうに見上げてくるその子供は、どこまでもあの存在と似てなくて男を混乱させる。
「いや……何でもねぇ。ところで、何をしてたんだ信介は」
「んっとね。ないぶしょくいんのききいしきちょうさ、だって!!」
 お前、間違いなく自分の言ってる事の意味が分かってないだろう、ということ丸分かりの棒読みでもって元気に答えを述べた少年に、男は眉間に皺を寄せる。
 内部職員の危機意識調査。
 名札もつけていない子供を一人で歩かせて…………の。
 瞬時に理解する。
 あの男らしい、タチの悪い調査だ。本来、この建物内を名札をつけていないものが歩いていることはありえない。そんな者を発見した場合に、此処に働くものがまずすべき事は只一つ、該当人物の尋問および拘束だろう。それが速やかに許されるくらいには、この建物は重要な場所だ。それが例え子供で、仮に警備シス テムが異常を知らせていなかったとしても……だ。
 子供自身がどれだけ無邪気でも、悪意に利用されていない可能性は0ではなく、この建物の警備システムがいかに世界に誇れるだけの屈強さを持っているとしても、この世に完璧なものなど存在しない。
 此処で働く限り、常に危機意識を持っていなくてはならない…………それは常識で、あまりにも常識過ぎて。完璧に近いシステムで守られている事を知っている者が、どれだけそれを実践できるのだろう。
「…………何処から、入ってきたんだ?」
「ん、入り口からだよ」
 実際は脆い守りなのだ。
 警備システムだって、あの男やその部下くらいのレベルになれば介入も突破も可能だと、一体何名のものが知っているだろう? この子供にシステムが作動しないのも、多分リアルタイムで何らかの介入がなされているか、システム自体が協力しているからに違いない。
 最終的に最も頼りになるのは、人の目のはず…………しかし。
 入り口から最も遠い、建物最上階のこの場所に既に目の前の審査者は来てしまっている訳だ。
「此処に来るまでに俺以外の誰かに声を掛けられたか?」
「ううん、みんな忙しそうにお仕事してたよ!!」
 …………あぁ、アウトだな。
 残念だが、この子供の進路上にいた者たちは皆、追って何らかの処遇が下される事だろう。まさかいきなり辞職させられることはないだろうが…………。
 複雑な気持ちになって、男はため息をつく。
 まったく、タチが悪い。最近ようやく復職したと思ったら、唐突にこんなことを仕掛けて。前も何度かコレと同じような事はしていたが、なにせ10年ぶりなのだ……知らない者の方が多い。そういえば今日はある事情で古株に当たる「昔の事を覚えていそうな」者達は皆出払っていた…………男のパートナーも。
 明らかに計画的である。
 自分の所だって、何となく外の空気を吸おうと自身が出て来ていなければ最初に遭遇したのは部下の誰かだっただろう。彼らがこの子供を拘束しようと行動を起こせるかは微妙な確率だ。
 助かった、と言っていいのか。
「そっか。じゃあ、お前の兄ちゃんの所に戻るか?」
「いいの?」
「あぁ。行こう」
 手を繋いで、男は子供を連れて歩き出す。
 繋いだのは、コレで二度目。この子どもは覚えていないのだろうけれど、確か、当時のこの子も、サフォンドの姿を驚かなかった。今も警戒心無くついてくる。
「おにいちゃん、名前は?」
「俺か? サフォンド」
「さふぉんど?」
「あぁ。宜しくな」
「うん!!」
 彼の嬉しそうな顔を見下ろして、男は小さく笑う。
 それにしても、似ていない…………と。



 かの子供の、親は知らない。
 そして育ての親にも似つかない。
 全ての子供がそうであるように、可能性をその身に詰め込んで、笑っていた。

 あぁでも。
 何一つ恐れる事の無いその心は、唯一似ているところかもしれないと男は思った。
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