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文字数 5,505文字

 敵は神官だ。
 リンセル少尉が撃った敵、転落する神官の、特徴的な戦闘服の装飾に見覚えがある。ソレスタス神殿に所属する神官たちの服だ。
 シンクルスは運命など信じない。あるのは事実だけだ。ソレスタス神殿の敗残兵を率いる最後の将、三位神官将ハルジェニク・アーチャーがここにいる事実だけだ。
 ライトアロー家崩壊の一翼を担った男がいる。
 婚約者とその妹を辱め、殺した男がいる。
 十数名の部下を従え、シンクルスは先頭に立って、リレーネが消えたのと逆方向に突き進んでいった。リージェス達の位置情報は途絶えている。彼らが優秀であることが嬉しかった。
 動く物が見えたら、躊躇なく撃った。敵は多くなかった。あるいは、ハルジェニクには増援を呼ぶつもりがないのだろう。そうであれば、二つの復讐心は間もなく出会う。互いに、己の手で相手を殺してやると誓う心、相手が戦列艦に乗りこむことを決して許さない心が。
 背後で炎があがった。戦闘服の上に羽織る二重マントが爆風で持ち上がる。手榴弾によるものか、あるいは何かに引火したか、いずれにしろシンクルスは意に介さない。
 広い空間に出た。
 途中何度か激しい銃撃戦があったはずだが、部下たちは全員ついて来ていた。
 来た道は炎で塞がっている。心持ちは静かだった。部下たちの無事を祝福するつもりで微笑みを浮かべたが、何人かの部下は恐怖に近いたじろぎの表情を返してきた。無茶な前進であったと気がつく。微笑を消し、目の前の空間に向き直った。壁沿いの廊下は、左右で緩やかなカーブを描く階段に変わっている。半円形の何もない空間と、見たところ石のような素材で作られた、両開きの巨大な扉。
 その扉が一枚、開いていた。
 星空のように、白い光たちが、扉の向こうに点っている。新鮮な空気が流れて来る。シンクルス達はいつでも銃を撃てる姿勢で、重機の陰に隠れるように扉をくぐった。
 内部は仕分け場だった。しかも、かなり大きな積荷のための仕分け場だ。床を太い蛇のようにコンベアが這っている。空間の奥に向かってコンベアが太くなり、複雑に絡み合う。シンクルス達は壁沿いの暗がりを、身を低くして走り抜けた。研ぎ澄まされた意識が、遥か彼方に動く物を発見した。今にも消えてしまいそうな赤い光点が、見上げるほどの高みからゆっくり降りてくる。
 前進停止を手信号で命じ、次いで、狙撃銃を持つ全員に光の正体を確認させた。
「業務用エレベーターです」ブレイズが押し殺した声で、耳もとでささやく。「五……六人……九人か」
 シンクルスは頷き、壁沿いに散開するよう、一人ひとりに目と手の動きだけで命じた。隠密工作部隊の兵と神官たちが、闇にまぎれて指示された位置に音もなく散らばる。
 業務用エレベーターが開いた時、最初の銃声が上がった。エレベーターに乗りこんでいた敵の神官たちの人体が、為す術もなく飛び散ってゆく。
 反撃の掃射が狙撃主たちのいる位置に降り注いだ。その時既にエレベーターを狙い撃った者の姿はなく、代わりに全く別の方向から応戦の銃弾が飛ぶ。
 たちまちいたる所から敵の気配が湧いてきた。戦場となった仕分け場の奥へ向かいながら、シンクルスは敵神官将の姿を探した。ここで決着をつけるつもりだった。リレーネを守る隠密工作部隊の指揮官としても、敵将に怨みを抱くシンクルスという名の一人の人間としても。
 アースフィアを立ち去る前にあの男を殺さずにはいられない。
 風が吹いてくる。出口があるのだ。
「神官将様!」
 誰かが、叫び声と共に背中にぶつかってきた。続けて爆音と爆風が襲いかかり、弾き飛ばされるように床に叩きつけられた。頭をひどく打ったが、シンクルスは気を失うまいと歯を食いしばり、痛みに耐えた。轟音とともに仕分け用の鉄かごやクレーンが崩れ落ちる。
 顔を上げると、少し離れたところに部下の神官が倒れている。それが誰かすぐにわかったが、呼ぶより先に駆け寄った。爆炎を浴び、背中が赤く剥けている。その背や、首の後ろや後頭部にも無数の鉄片が突き刺さっている。呼びかけても、揺さぶっても、もはや返事をしなかった。
 悼んでいる余裕はなかった。忠実な部下が、せめて更に銃弾を浴びる事のないよう、遺体を壁際に引きずっていった。そこで別の空間に続く出口を見つけた。
 戸がなくなっている。煤けた床を踏むと靴越しに床の熱が伝わってきた。
 仕分け場の先は水路だった。
 足の下を清冽な気を放つ水が満たしている。縦横に張り巡らされた歩道の欄干には、帯状に加工された天籃石が埋めこまれている。
 歩道沿いに、千年の時を経ても未だ朽ちぬ地球の素材で作られたゴンドラが何艘も浮かべられていた。水は澄みきっており、その気になれば底を見る事もできるだろう。
 だがシンクルスはまっすぐに、歩道の先を見据えた。
 井桁のように組まれた歩道の、ちょうど正面。そこに敵将が立っていた。
 三位神官将の地位をあらわす房飾りをつけた、三十手前のその男こそが、探していた相手だった。
「待っていたぞ」
 その男、ハルジェニク・アーチャーが、確実に声が届く位置まで歩いてきた。周囲に従卒の姿はなかった。ゴンドラの中に伏せている可能性はある。シンクルスは軍用機関拳銃を両手に握り直した。警戒のために仇敵から目を離す真似はしなかった。
「こちらもだ、ハルジェニク・アーチャー殿。久方ぶりであるな」
 不気味なほど穏やかな声で、シンクルスは応じた。
 ハルジェニクが銃口を上げる。
 シンクルスはつられもせず、動じもしなかった。
 銃声と共に熱い弾が顔の横を掠め、後ろの壁に当たった。
 殺意のために撃ったのだ。殺意を成就させるためではなく、殺意を抑えるために。抑圧し、しかるべき時に放出させるために。ハルジェニクは、シンクルスが自ら負けを認めてから、屈辱を味わわせてから殺したいと願っている。シンクルスはそれをわかっていた。シンクルスが、かつて一度もハルジェニクの膝下に屈したことがないからだ。
 不敬罪で投獄された時にも。
 逃亡した父母の首に賞金がかけられた時も。
 両親の居場所を吐けと、看守たちから拷問まがいの暴行を受けた時も。
 両親の死を知った時も。
 生まれ育った屋敷が知らぬ間に人手に渡っていた時も。
 ライトアロー家の名を捨てるなら牢から出してやると言われた時も。
 かつてあれほど自分を持て囃した大人たちが、一人残らず自分を見放した時も。
 卑劣な者には屈せぬと誓い、それを貫いてきた。
 胸の奥深くに満ちる水が、ざわりと波立つのを感じる。水の下の、得体のしれない怪物が、身をもたげるように。
「そなたの父君は」シンクルスは冷たい笑みを浮かべた。「噂に聞くほどの者では無かったが、あれはどうした事であろうか?」
「黙れ」
「父の仇を討てるか、ハルジェニク」
 ハルジェニクの銃口が今度はぴたりとシンクルスを向く。
「俺は討てる」
 シンクルスは飛びのき、ゴンドラの陰に隠れた。遅れて銃弾が今しがた立っていた空間を切り裂いた。
 これは神官将同士の決闘などではない。ただの殺し合いだ。
 ハルジェニクの殺意の全てが降りそそぐのを感じた。居並ぶゴンドラの陰を走り抜け、歩道に立ったままのハルジェニクを狙い撃つ。
 たまたま、ハルジェニクがゴンドラの陰に入った。
「出てこい! シンクルス・ライトアロー!」
 ハルジェニクの声音は、凄まじき昂揚に突き動かされているように聞こえた。
「どこに隠れた、貴様――」
 シンクルスは歩道の二列向こうに、タワークレーンの土台を見つけた。盾にするにはこの上なく頑丈そうだが、身を隠しながらそこに駆け寄る手段はなさそうだった。
 ゴンドラの上を飛び越えて、放物線を描きながら水の上を手榴弾が飛んでくる。空中で爆発した手榴弾はタワークレーンの旋回体を直撃した。身長ほどもある大きさのフックが、唸りを上げて、ちょうどシンクルスが立つ歩道目がけて飛んでくる。
 舗道の欄干が破壊され、水音を立てて水路に落下した。波が立ち、ゴンドラが一斉に揺れる。
 ゴンドラの陰から身を乗り出したハルジェニクは、壊れた歩道のどこにもシンクルスの姿がない事を確認する。
 と、その顔を機関拳銃の連射が襲った。
「もとより隠れてなどおらぬ」
 咄嗟に顔を引いたのは、ハルジェニクの感の良さからである。殺意は見える。だがシンクルスの立ち位置は見えない。
「ここだ、ハルジェニク!」
 連射音が空を裂く。放たれた銃弾は水路上に張り巡らされたワイヤーを裂き、天井のステンドグラスを砕いた。歩道のハルジェニク目がけてワイヤーやガラス片が降る。ゴンドラの陰から飛び出し、ハルジェニクはシンクルスの姿を見つけた。
 少し離れた水路沿いの、ゴンドラの甲板の上だ。
 端まで振り切れたクレーンのフックが戻ってきて、二人が互いに向けて撃った銃弾を弾き返した。シンクルスはゴンドラを飛び下り、クレーンの台座にたどり着いた。弾倉を詰め替える。しかし、この安全な盾のもとでハルジェニクを待つつもりはもはやなかった。
 ハルジェニクだけは殺す。
 まもなくロアング大佐の電子戦大隊が支援に駆けつけるだろう。どのみちあの男に活路はない。
 だが、そのような事は関係ない。
 ハルジェニクが身を潜めた方へ、銃を抱えて走ってゆく。
 それで復讐が完結するわけではない。けれど、あの男を殺すことができたら自分を許そうと、シンクルスは決意した。
 駆けてゆくこの体の中に、誰にも見せずに流した涙がある。誰にも聞かれぬよう張りあげた慟哭がある。
 父、母、恋人、失われた大切な人々と引き裂かれた絆がある。
 凍えるほど寒い石牢がある。
 血を吐き、悲鳴を上げ、何度気を失ってもなお容赦なく浴びせられた暴力がある。
 もう何も食べずに死んでやろうと決意したあの日がある。
 殴り倒され、強引に口をこじ開けられて流しこまれた獄中食の味がある。
 ならば眠らぬことによって死んでやろうと決意した日がある。
 抑えつけられ、腕に刺された睡眠剤の注射針、その痛み、自ら死ぬこともできぬ事への絶望、薄れてゆく意識の記憶がある。
 それら全てを体に湛え、シンクルスは走る。
 あの男を殺したら、全ての記憶を過去にしよう。
 もう忘れてもいいことにしよう。
 無残に潰えた青春を、少年時代のはかない夢であったと諦めよう。
 他の女性を好きになることを許そう。
 そういえばそんな事もあったと、他人事みたいに言えるような遠い日の出来事にしても良いと、自分を許そう。
 無力だったことを許そう。仕方がなかったと許そう。
 あの男を殺せたら。
「ハルジェニク・アーチャー!」
 ゴンドラの陰から、銃を構えた膝立ちの姿勢で、ハルジェニクが姿を見せた。悲痛なほどの叫び声が、ハルジェニクへと矢のように飛んだ。
「覚悟!」
 水上の歩道の十字路で、シンクルスは銃口を上げた。頬を伝う涙に、彼自身も気付いていなかった。
 歌が聞こえる。
 何故だろう。
 何故こんなにも、全ての動きが遅いのだろう。
 引き金を搾るこの時間は、相手も同じように銃を撃つこの時間は、一瞬にも満たないはずなのに。
 聖歌が聞こえる。
 銃声をかき消すほどに。
 シンクルスとハルジェニク、二人が放った銃弾はそれぞれの相手を撃った。
 シンクルスの銃弾はハルジェニクの頭を。
 そして、ハルジェニクの銃弾は、十字路を駆けてきて、シンクルスを突き飛ばしたアセル・ロアング中佐の胴体を。

 いきなり誰かにぶつかられ、シンクルスは歩道に倒れた。
 目を開け、確認する。ハルジェニクの頭が原型をとどめていない事を。そして、自分を庇って飛び出してきた人間の正体を。
「中佐殿!」
 うつ伏せに倒れたロアング中佐は、まだ生きていた。腹が大きく上下し、開いた口から木枯らしのような息の音を立てている。シンクルスはロアング中佐の体を横向きにし、ついで、膝の上に両腕で抱き上げた。
 ロアング中佐が目を開けた。なぜ。シンクルスは問おうとするが、声が出ない。何故大隊指揮官ともあろう立場の人がこんな所にいる。なぜ、自分を庇ったりなどした。
「何故」しかし、尋ねたのはロアング中佐のほうだった。「何故泣いているのだ?」
 苦痛に表情を歪めるロアング中佐の顔面に、生ぬるい涙が一滴、二滴、落ちた。シンクルスはずっと前から涙を流していたことに気付いた。いつからか、わからなかった。十六の頃からかもしれない。
「中佐殿? 中佐殿、そのような事はどうでも良い!」
「クルス、無事か……」
 シンクルスは瞬きもせず、何度も頷くことで無事を伝えた。安堵したようにロアング中佐が笑みを浮かべる。
 彼の、このような満足しきった表情を見るのは初めてだった。何かを成し遂げたような。何かを返し終えたような。シンクルスはその表情を知っていた。自分を許した人間の笑顔だった。
「君が……」
 その声が、一層消え入りそうに小さくなる。
「君が、私が目を離した隙に死んでいたら……私は自分を許さなかった……」
「中佐殿――」
「……クルス、クルス……」
 がくりと、腕の中でロアング中佐の体が重くなった。シンクルスが血を吸った袖で両目を拭った時には、ロアング中佐は目を閉じていた。
 両腕に力をこめ、流れる血ごと、シンクルスはロアング中佐をじっと抱きしめ続けた。


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