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文字数 4,190文字


 1.

 医療用、実験用、あるいは刑罰用の冷凍睡眠施設は王国各所に散らばっている。
 その日、隠匿されていた山上の施設に向かうシャトルバス隊が市民たちに襲われた。初めの襲撃はバスの出発地点となった南東領の都の議事堂で、二度目は市街で、三度目は都を守る門を出たところで発生した。いずれもシャトルバスを護衛する武装警察に蹴散らされたが、施設に至る山門付近では、武装した過激派グループによる本格的な襲撃が待ち構えていた。
 予想を超える攻撃の激しさに今度は護衛隊が散り散りになり、バスは横転し、中の人間は引きずり出されて施設への入場券を奪い取られ、無差別に発砲される銃弾が飛び交い、第二、第三の過激派の実行部隊が屍を乗り越えて押し寄せ、彼らはバスの乗員を人質に徒歩で山門に押し寄せた。
 邪魔で足の遅い人質たちは後方にいるに違いないとの現場指揮官の判断のもと、山門を守る陸軍部隊は過激派集団への銃撃を開始する。
 倒れる者、応戦する者、逃げる者、行き交う足の中で泣き喚き、うさぎのぬいぐるみを引きずって歩く小さな子供がいる。
 母親を探す子供のぬいぐるみを、誰かの足が蹴った。土の上を転がるぬいぐるみを追って、子供が前に走り出る。するとまた、誰かの足がぬいぐるみを蹴った。
 混乱の中、次第次第に前方に押し出され、いよいよぬいぐるみを拾い上げようとその子が腰を屈めた時、爆炎が幼い頬を染め、舐めとるように包みこんだ。
 空を染める炎の色が、リレーネにも見えた。あんなところにも戦線が広がっているのかしら、と、リレーネは思っただけだった。

 南東領〈言語の塔〉に続く木道を、兵士たちが踏み荒らす。木道の下の砂地は、南西領の戦車の群れが征圧状態を維持している。〈言語の塔〉を巻く二重の城壁、その内側の第二城壁地下は一切の地上の喧騒を受け付けない闇に満ちていた。
 言語の塔は金属でも石でもない物質で構築されている。そのどちらであっても、千年を超す時の摩擦に耐えられなかっただろう。
 排水路の点検作業用通路に、白く鋭い光が差す。光は警戒するように左右に動き、続けて手すりのないアーチ型の橋に踊り出た。わらわらと人影があとに続き、急ぎ足で橋を渡る。足音からして、橋の下が遥か深き奈落であるとわかる。排水路は乾ききっている様子で、何の音もない。
 橋を渡りきった最初の二人が照明を弱め、互いの顔を見あった。ブレイズとアズレラだ。次に橋を渡りきったのは隠密工作部隊の兵と神官たち、シンクルス、リレーネとリージェス、最後にしんがりを務める護衛銃士のヴァンの班、と続いた。合計で二十一人。リレーネ以外の全員が、耳に小型通信機を装着している。
「リレーネ、先ほど入った知らせだが、敵将の所在が不明だ。敵神官大将が戦場を放棄し密かに逃走した可能性が高い」
 白い息を吐きながら、シンクルスが小声で言った。
「敵将がいないのなら、何故まだ戦いが続いておりますの?」
「戦闘を終わらせられる人間がいないからだ。我々が敵拠点に到達し、戦列艦〈セト〉をはじめとする戦艦群が南西領の手にある事を示さねば、不毛な人死には終わらぬ」
 リレーネは頷いた。この闇と静けさのせいだろう、戦場にいるという実感は今一つない。
「偽の『鍵』を連れた囮部隊が、既に木道から〈言語の塔〉内部に侵入している。行こうぞ」
 全員が無言でうなずき、橋の先の廊下へと走り出した。ここまでと同じように、ブレイズとアズレラが先頭、背後をヴァンの班が警戒する。ヴァンはリージェスと一番相性があうという事で、ユヴェンサの特殊銃戦部隊から貸し出されていた。
「疲れてないか」
 階段室に着く。リージェスが尋ねた。
「平気ですわ」
「そうか。体力がついたな」
 踊り場から、シンクルスの従卒の神官が手信号を寄越してきた。狭い空間を正方形に巻く階段の上で、音もなく発射された銃弾が空を切る。遥か下方に人体が落下する、湿った音が続く。
 リレーネ達は走り出した。階段室を抜け、廊下に出る。廊下の先でライトが揺れていた。地上階までそう遠くはないはずだ。再度、少し遠くでアズレラかブレイズのどちらかが銃を撃った。今のところは順調に進めている。しかし、間もなくそうはいかなくなるとリレーネは覚悟する。
 開けた場所に出た。
 壁が蜘蛛の巣状に白く光って見える。地上からの光と熱を送りこむ天籃石の回路だ。ここは広間になっている。円形の壁には何階層ぶんもの廊下が巻き付いており、ここが何に使われていた施設なのか、天井までどれほどの高さがあるのか、推測することは難しかった。シンクルスとアズレラ、その他の神官たちが広間の中央の床に立つ機械に駆け寄り、何か相談を始めた。小柄なアズレラの胸のあたりまで高さがある、柱状の機械だ。兵士たちは広間の警戒に当たる。
「ここは外の荷揚げ場に繋がる倉庫だ。荷揚げ場にたどり着けばロアング中佐の電子戦大隊と合流できる」
「管制塔までもう少しですわね」
「おそらく。……南西領守護神殿が総力を挙げて文献や資料をかき集めたが、この宇宙港内部について十分に把握できたわけじゃない。当初の予定ではここで電子戦大隊の支援部隊と合流できるはずだった。道に迷ったか、妨害に遭ったか……いずれにしろ気を抜くな」
 大きなものが身震いするような震動が、全身を貫いた。音は円形の広間から筒状の空間の上に向かってまっすぐ吸いこまれてゆく。広間に散っていた兵士たちが、神官たちのもとに走る。リレーネとリージェスもそれに倣った。
 床が丸く浮き上がり、上昇を始めた。床の機械は操作盤らしい。遥か昔、この操作盤で床を動かし、作業にあたっていた言語生命体がいた。リレーネは不思議に思う。
「どこまで上がるのでしょうね」
 リージェスは首を小さくかしげるだけだった。そのまま上を見る。リレーネもつられて天井があるはずの闇を見上げた。
 ほの白い輪郭が見えてきた。闇に目が慣れたか、または天井が近いのだろう。あれは大きな円を中心に据えた、天籃石の光の紋様だ。
 隣に立つヴァンが、微かに息をつく。彼は生来の楽天的な性格をここでも発揮して、振り向いたリレーネに話しかけた。
「きれいだね」
「……ええ」
「こんなことで来るんじゃなかったら、楽しかったよね。もし観光だったらさ――」
 咎めるような目でリージェスがヴァンを振り向いた時、一瞬にしてヴァンの目の焦点が、ゴーグルの向こうで、殺気によってひき絞られた。
 銃を抜く。
 銃口を上へ。
 リージェスがリレーネにかぶさり、掌で目を覆った。破裂音が鼓膜のみならず全身を打った。倒され、体が床に押し付けられる。その場にいる兵たちが自分を庇うために集まる気配を感じた。
 目からリージェスの掌が外れた。兵士たちの足をすかして、破壊された人体らしきものが壁際を落下していくのが見えた。体が浮くほどの激しい震動の後、床が停止する。立っていた兵士が何人か倒れた。
 敵がいる。上層階に。
「リージェスさん――」
 四方向から壁につながる通路が伸び、動く床に接続された。ヴァンと兵士たちが上に向かって銃撃を続ける。手を掴まれた。
「立て!」
 ちょうど目の前に通路があった。手を引かれて走り出す。少し間を開けて、ヴァンの班がついてくる。
「リージェス! 先頭代わって!」
 通路の先は壁を巻く廊下で、扉のない壁の中の部屋に飛びこんだ時、ヴァンが叫んだ。白い光が蔦状に這う部屋に駆けこみ、班の兵士が揃っていることを確かめたヴァンが、部屋の戸を開けて飛び出してゆく。仲間の銃士を頼もしく思いつつ、隠密部隊の面々がついて来ないことが気になった。
 間もなく先行するヴァン達が交戦を始めた。
「くっそ! リージェス、通信を切って!」
 曲がり角からの声に、聞き慣れない種類の銃声がかぶさる。味方が使う銃ではない。リージェスがゴーグルに手を触れる。通信機能を切ったのだろう。そして、銃を抜き来た道に向けた。リレーネは目を閉じた。銃声。
「追っ手が来ている。ヴァン、進めるか? ヴァン!」
「無事だよ」
 角からヴァンが顔を見せ、手で「来い」と合図する。先にリレーネが、後から背中を守るかたちでリージェスが走った。脇道の階段をのぼり、全員でその先の扉に身を隠し、鍵をかけた。
 扉の先はいきなり生活感のある空間となっていた。平均的な高さの天井と、狭くも広くもない廊下。いくつも並ぶ扉の一つを、リージェスが開けた。
「宿舎だ」
 ベッドが見えた。
「あいつら、まっすぐ俺たちを挟み撃ちにしようとしてただろ。俺たちのゴーグルの通信機から位置を読み取ってたんだ。つまり……電子戦大隊からの支援部隊は期待しない方がいい」
 ヴァンもリージェスも、悔しさを滲ませて唇をかんだ。
 それでも、ここまで来た以上やることは同じだ。
「ヴァン、突破しよう。俺たちは単独で電子戦大隊との合流を目指す」
「シンクルスさんたちは、どうなさるのかしら」
 表情に覚悟をみなぎらせ、リージェスはいまのところ無人の廊下の先を睨んでいる。
「……ヴァン、一瞬……一瞬だけ通信機をつける。備えてくれ」
「ああ」
 リージェスがゴーグルに触れ、すぐ通信を切る。
「……俺たちが気付くような事態に、あの人たちが気付かないとは思えない」
「どうしたの」
「全員が位置情報をばら撒きながら遠ざかっている。囮になる気だ。シンクルスは俺たちとの合流を望んでいない」
「でも……見殺しになんてできない」
 リージェスとヴァンは無言で見つめあっていた。
 二人がそうするのをやめるのを、リレーネは待った。銃士として同じ思いを抱いていることを確かめあっているのだろう。リレーネも戦士であれば、お荷物でなければ、その思いを共有することができた。それが悔しかった。
「……地上を目指して。どこかで他の銃士と合流できるように、こちらでチェルナー上級大尉と調整する」
「頼む」
 二人とも、最期になるかもしれない会話はそれだけだった。
 ヴァンはいつかソレスタス神殿の森でしたように、リレーネに親指を立てて、歯を見せて笑った。
 そして、扉から廊下を出て行った。
 リージェスが鍵をかけた。


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