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文字数 2,498文字


 6.

「進軍を止める理由はない」
 話し合いの末、南西領総督シグレイ・ダーシェルナキは言う。シルヴェリアと同じ褐色の肌、銀色の髪、壮年の体に活気と闘志をみなぎらせた男である。彼は後方のサマリナリア基地から、忍びでソレスタス神殿まで来ていた。
 難局を乗り越えた後の父と娘の再開は、決して和やかには訪れなかった。
 もう一人、重要な客人がいる。在位三十年、御年八十九歳の南西領神官大将メルシニー・オレーだ。
「どのみち手をこまねいていても、待つのは死だ。南西領に生き延びる術はない。宇宙港、南東領〈言語の塔〉への進撃を続行する。リレーネ、ついてきてもらうぞ」
 それで希望を引き延ばしにできるのなら、リレーネはついていく。絶望の尾を引きずって歩く。南東領〈言語の塔〉にたどり着いたところで、地球の戦艦など無かったら? あっても呼び寄せる手立てなどなかったら? 振り返っても、歩いて来た道には焦土と血だまりしかない。〈言語の塔〉が、そんな行き止まりだったら。
「私たち南西領の神官は、一丸となり、宙域の戦艦を呼び寄せる手立てを模索している」
 オレー神官大将が、老人特有の震える声で、穏やかに語りかけた。
「希望を捨てる必要はない」
 戦争をやめる必要も。
「領土が違えど神官は神官。先の戦いを生き延びたソレスタスの神官たちの内、南西領の方針に同意を示す者以外は全て神殿より追放される手筈でした。しかし実際には、強い探究心をもつ多くの神官がソレスタスに残るみちを選びました」
 シンクルスが言い、オレー大将に微笑む。
「私は深刻な人手不足に陥り、神殿の機能を維持できるだけの神官を確保できない事態も想定しておりました。これは嬉しい誤算です」
「南西領の方針云々より、神官としての好奇心じゃろうな。ソレスタスの神官将はよほど神官たちにつまらぬ思いをさせていたらしい。のう、砲兵長」
 無言で目をそらすメレディに、シルヴェリアは少し意地悪く笑った。
 メレディは征圧前のソレスタス神殿内において、有事には南西領に寝返るよう神官たちを煽った張本人である。彼は自分の部下からの信望は厚いが、一方で仲間を見捨てて死に追いやった面も否定できない。シンクルスがメレディを神官たちの統制に関与させず、自分の手許においているのは、そうした事情が大きいようだ。
「シンクルス、そなた、見ぬ間にやつれたな」
 オレー大将の言葉に、シンクルスの顔から微笑みが拭い去られた。
「そうでしょうか。そのような事は……」
「法衣は持ってきておらぬのかね?」
 リレーネは、シンクルスが戦闘服を着たままであることに初めて意識を向けた。
 毎日着替えてはいるだろうが、それにしても、オレー大将の言う通りだ。他の神官たちはみな平時の法衣を身にまとっているのに。その事を、シンクルス自身も気にしていなかった様子で、動揺したそぶりを見せ、己の着ている服を見下ろした。
 彼の意識はずっと戦いの最中だったのだ。
「クルス、お前は少し休んだ方がいい。メリルクロウ少尉」
 余計な口をはさむことなく、じっとそばで控えていたリージェスが、背筋を伸ばして総督と向き合った。
「はっ」
「これから色々と大変な事も増えるだろうが、余計な事は考えず訓練に励め。リレーネ」
「はい」
「体に気を付けて過ごせ」
「お気遣いをいただきまして、恐縮でございます」
 リレーネとリージェスは退室を許された。エレベーターホールまで来ると、後から出てきたシンクルスとメレディが追いついた。
 やってきたエレベーターの中に、ロアング中佐がいた。彼は一歩、エレベーターホールに足を踏み出したところで、リレーネ達に気付き足を止めた。
「中佐殿。どうなさったのだ?」
「ああ、神官将殿。総督閣下はまだお帰りになってはいないかね」
「師団長の部屋におられる。何かあったのだろうか」
「いや。今少し、総督閣下には穏便にお帰りいただくことができかねる状況でな。ソレスタス領の町の人たちが直訴に来ている」
「直訴? 何の」
 尋ねるのはメレディ。
「南西領による侵攻以前、ソレスタスの三位神官将によって領内の人間が神殿に拉致されたという話がある。砲兵長、何か心当たりはござらぬか」
 シンクルスは何も期待せずに意見を求めたような口ぶりだったが、あっ、とメレディは声を上げた。
「ある!」
「まことか! どのような」
「ゲートの詰所にいた部下が、戦闘車両用ゲートの近くの通用門から人が搬入されるのを見たってな」
「人が搬入されるとは……どのような状況だったのだ?」
「トラックから明らかに一般人とわかる人々が下りてきて、神殿内に入っていった……西棟だ。まあ何かあったんだろうって事でその時はそれきりだったが……」
「西棟! 西棟には何がある?」
 メレディの顔の皮膚が緊張で強張るのが見て取れるようだった。
「……地下牢がある。まさか」
 開きっぱなしだったエレベーターに、シンクルスとメレディが飛びこむ。リレーネはそれを追った。リージェスも。
「まさか、何だ」
「日光を遮断する実験をやってたんじゃないかってな。正位神官将殿はその点に結構な興味を持っていたからな。あそこならできる」
 西棟につながる長い廊下が屋内にもあるが、メレディは夜が支配する屋外に出て、西棟の側面に回った。
 半地下に下りる外階段があった。メレディが認証盤のロックを解除し、扉を開け放つ。
 中は闇に満ちていた。
「砲兵長……それはどれほど前の事か?」
「三か月」
 遅れて照明が点る。メレディは先頭を切って西棟の地下を大股で歩いた。
 廊下の先の階段を降りると、今度はひどく幅の狭い、鉄扉が並ぶ廊下に出た。
 メレディが銃を抜き、鉄扉の認証盤を撃つ。
 まったく躊躇いを見せず、扉を蹴り開ける。
 リレーネは風を感じた。風が叫んだ。叫びながら見えない人間が飛び出し走り去っていった。
 鉄扉の向こうは鉄格子で、廊下の照明が差しこむ空間には、床にくしゃくしゃの衣服が落ちている。
 衣服と靴。
 だけ。


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