7-1

文字数 4,206文字


 1.

 この人たちは皆、人を殺す訓練を受けているのだわ、と、リレーネは司令作戦室に集う人々を見ながらシンクルスに言われた言葉を思い出した。
 自分だけが、ただの娘だ。
 半月状に並べられた何十列もの座席、その最後列の末席に、緊張に身を強張らせながらリレーネは腰かけていた。隣にはリージェスがいる。自分と同じく居心地悪そうだが、背筋を伸ばして視線をまっすぐ前に定め、堂堂とした態度を保とうとしている。
 呼ばれたからには呼ばれた理由がある。そう思ってリレーネもリージェスに倣おうとするが、なかなかそれができないのは、やはり自分がただの娘に過ぎないからだ。
 様々な徽章や肩章をつけた臙脂色の軍服の軍人たちが、真剣な面持ちで続々入室してくる。
 奇異の視線が向けられるを感じる。まるで胡散臭いものを見るような視線も。
 シンクルスは仕事をくれると言った、きっとそれに関する事だ、とリレーネは自分に言い聞かせる。そうでなければ、降り注ぐ様々な視線は耐え難い。
 私語を口にする者はなかった。全ての席が埋まると、氷のような沈黙の中シルヴェリアが立ち上がった。彼女の、うら若き師団長の、そして、自分と同じく総督の娘である女性の、なんと威厳に満ちている事か。
 長身のしなやかな体に視線を集め、壇上のシルヴェリアはしばし目を閉じ意識を研ぎ澄ました後、水色の瞳で司令作戦室を見まわし口を開いた。
「我が師団を取り巻く戦況は、各々がたの心得の通りである。南東領〈言語の塔〉への進撃を阻むレガリア山要塞、そしてソレスタス神殿が占める地域の奪取は今後の進撃において緊要である。しかしこの要塞と神殿は互いに強固な協力関係にあり、いずれか一方を叩けばもう片方から逆襲を受ける事は必定」
 将校たちは無言で次の言葉を待った。
「だがアースフィアにおける〈日没〉の進行状況を鑑みれば、これ以上手をこまねいて攻めあぐねているわけにもゆかぬ。各々がた、心して聞かれよ。我が南西領防衛陸軍第一陸戦師団は、二つの対象を同時に攻撃する」
 たちまちざわめきが沸き起こり、司令作戦室を支配した。隣のリージェスまで身じろぎし、何も言わないが、緊張を湛えた目で遠い壇上のシルヴェリアを見ている。
 シルヴェリアが片手を上げると、ざわめきはたちまち引いた。
「正気でございますか」
 誰か、男の声が尋ねた。
「皆が動揺するも無理からぬ話であろう。常識に則って考えれば、これは最も愚かな策である。単に兵力が分散され、各個撃破されるだけであろうからな」
「ならば何故――」
「この策の有効な点は、敵方も、我らが斯様な策を立てるほど愚かであるとは思っておらぬであろう所だ」
 彼女の冗談を受け、そこかしこで失笑が漏れる。シルヴェリアも獲物を前にしたヤマネコのような凶悪な眼をして笑った。が、彼女が真顔に戻るとたちまち室内は静寂に満たされた。
「無論、私は狂気に捕らわれてなどおらぬ。自覚する限りではな。そして勝算もなく斯様な作戦を打ち立てたりはせぬ」
「勝算があるというのですか」
「まずは作戦の大枠から説明しよう。極めて難度の高い作戦となるが、概要は明快だ。分隊で以てソレスタス神殿に奇襲を仕掛け、敵軍と敵将をひきつけ、同時に主力部隊でもってレガリア山要塞を撃破。その後主力部隊は征圧状態を維持できるだけの部隊を残し、ソレスタス神殿に向かいそれを征圧する。そして、我々には主力部隊・分隊ともに倍の戦力を撃破しうるだけの利点がある。
 一つは、敵将とその性格をよく把握しているため、それに合わせた作戦を立てることができる。そして我々は将・兵の隔たりなく、五か月間に亘り暗闇に慣れる訓練を積んできた。その成果を発揮すべき時である。我々は暗い場所から明るい場所、天籃石に守られた要塞を攻撃する事となる。これが如何ほど有利であるか、おわかりか」
 呻くような沈黙。
「以上の利点によって、我々は奇襲と挟撃、両方の効果を最大限に生かした策を立てる事ができる。モーム大佐」
 シルヴェリアの合図で、壮年の女性軍人が立ち上がった。鋭く尖った鼻と刺すような眼。
 通信連隊指揮官ピュエレット・モーム、師団内における名目上のシンクルスの上官だ。その名を聞いたことはあるが、本人を目にするのは初めてだ。
「モーム大佐、ソレスタス神殿侵攻の機に関して貴殿の部隊が入手した情報を、ここで改めて公表して欲しい」
 モーム大佐は一礼の後、見た目の印象よりかは幾分柔らかい声で話し始めた。
「通信連隊内、電子戦大隊と隠密工作部隊は共同の偵察作戦行動により、ソレスタス神殿正位神官将ミカルド・アーチャーが、昼食会の名目のもとレガリア山要塞に極秘に招かれている事実とその日程を突き止めました。ミカルド・アーチャーのレガリア山要塞滞在予定時間は十七時間。その間留守を預かる者は二位神官将リゲル・ガムレド、そして正位神官将が嫡男ハルジェニク・アーチャー、三位神官将」
 背中に電気のような緊張が走るのを、リレーネは感じた。
「更にこの間、三位神官将ハルジェニク・アーチャーは父親の代理として領内の近隣の町に兵器の徴収に赴く予定があります。陸軍工廠があるその町では、下請けの民間企業への待遇悪化が原因で鉄の生産が大幅に遅れており、待遇改善を求めるストライキの発生により、非常に治安が不安定な状況にあります。
 この影響により、親軍団から物資の補給を受けられるレガリア山要塞と違い、神殿内には予備の武器弾薬の不足が発生しております。彼らにとって早急に解決を求められる問題です」
「よくわかった。モーム大佐、そして電子戦大隊ロアング中佐、隠密工作部隊ライトアロー正位神官将、よくぞ斯様な情報を手に入れてくれた。そなたらの働きに感謝する」
「ソレスタス神殿が一時、非常に隙のある状況となる事はわかりました」
 ユヴェンサの近くに座る禿げ頭の軍人が尋ねた。
「しかし……だからと言って、容易に神殿が陥落するとは考えられませんな」
「無論、私もそう簡単に事が運ぶとは思うておらぬ。しかしだ、コーネルピン大佐、我が父である総督が当師団に神官を随行させた理由の一つをお忘れか」
 シルヴェリアの視線を受け、今度はシンクルスが起立した。
「容易に事が運ぼうとも、そうでなかろうとも、我らには……いいや、アースフィアには、もはや時が残されておりませぬ」
 軍服の代わりに、白い詰襟の神官将の戦闘服に身を包んだシンクルスは、リレーネから遠く離れた席にいたが、穏やかな口調のまま語られるその声はよく聞こえた。
「だがしかし、敵方は時間がないという現状と真に向きあっていない。南東領守護神殿が王領とはまた違う独自の冷凍睡眠に関する方策を打ち出し、準備に注力している事実がその証。そのやり方では、全ての領民を冷凍睡眠にて救うなどどだい不可能だと承知の上で、です」
 シンクルスはしばし目を伏せた。
「敵神官将ミカルド・アーチャーならびハルジェニク・アーチャーの人となりと能力を、同じ神官として、私はよく把握している。両名の不在は南東領進撃にあたり二度と訪れぬ好機である。また留守居の二位神官将はそこそこの政治能力を有する人物だが、およそ戦時向きの人物ではない。
 ソレスタス神殿の戦力は、分隊として派遣できるこちら側の戦力を大きく上回っている。しかし、敵方の指揮能力の低下に便乗した奇襲は、二位神官将の戦意を挫くに足る充分な効果をもたらすでしょう」
「どうだ、ロアング中佐?」
 今度は、シンクルスの隣に座る電子戦大隊指揮官が立ち上がった。色の薄い金髪の、中年の軍人だ。体格はかなり良く、顔つきには上級文官に通じる知性と落ち着きがある。
「神官将殿の意見に概ね同意ですな。我が電子戦大隊は隠密工作部隊と共同でソレスタス神殿防衛システムの解析に注力している。その結果、勝算のない戦いではない、と現在見込んでおります」
 再びの沈黙の中、シンクルスとロアング中佐が顔を見合わせて着席する。
「此度の策を思いつく者は、そう、思いつくだけであらば、いくらでもいよう。そして、それを一笑に付すことなく真に考え実行しうるは、我らが師団のみである。指揮官たちよ、私はそなたらの能力を信じている。……そして、ソレスタス神殿征圧後の戦略行動に欠かすことのできない人物をこの席に招いている。シンクルス、そなたが紹介するがよい」
 シンクルスが微笑み、席を立つ。壇上に歩む彼のため、シルヴェリアが場所を譲った。
「我らが南西領〈言語の塔〉の働きは、この場にいる多くの者が存知の事と思う。アースフィア各地の神殿より宇宙空間に点在する戦艦へと吸い上げられた全記録を地上において傍受し、書記システムに保存する事だ。そして、ソレスタス神殿地下に保存された遺物こそが、地球の戦艦とデータのやり取りをできるものだ」
 シンクルスがゆっくり息を吸いこむ様子が見えた。
「無人偵察舟艇〈バーシルⅣ〉、この小型舟艇は母艦・駆逐陽動艦〈バテンカイトス〉へと、二十四時間に一度、神殿に蓄えられた全ての記録を送信している。もし〈バーシルⅣ〉へのアクセスが叶えば母艦〈バテンカイトス〉を含むアースフィア宙域の多くの戦艦の状態を把握することができる」
「しかし、如何に高度な地球技術の産物とはいえ、少なくとも千年放置されていたような舟艇からそのような事が可能か」
「放置などされておらぬ。そのためにアースフィアには神官があるのだ。そして我々は、定期的に神殿から宇宙に向けて発信される強烈な信号波の存在を確認している」
 シンクルスは視線をロアング中佐に向けた。中佐は無言のまま深く頷いた。
「しかし、地球遺物そのものへのアクセスや操作が可能な人間は限られている。地球人を先祖とするアースフィア人の中で、ある一定の割合で発生する『鍵』と呼ばれる人間でなければ」
 次にシンクルスは、人々の中からまっすぐリレーネを見つけ出し、目を合わせてきた。それを追い、司令作戦室にいる多くの人間が、首をよじってまでリレーネを見た。
 リレーネは青ざめて立ち上がった。
「皆に紹介しよう。彼女は北方領より遥々この地に来て下さった。リレーネ・リリクレスト嬢、我らが戦略の要、『鍵』だ」



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