8-2

文字数 2,963文字


 2.

 長い緊張状態から解放されたせいか、リレーネは深く眠った。零刻をとうに過ぎても誰も起こしに来なかった。
 存分に眠り、起きた時、テーブルにはパンが盛られた籠とジャムの瓶が置かれていた。
 リレーネにあてがわれたのは客室棟の賓客室だった。安全かつ、有事には兵たちの邪魔にならない場所だ。
 パンを食べていると内線端末が着信を告げた。
『リレーネ、起きたか』
 リージェスだった。
「ええ。私、すっかり眠りすぎてしまって……ごめんなさい」
『いや……。起きていて、体に不調がないなら仕事を始めたいとシンクルスが言っているが、出てこれるか?』
「もちろんですわ」
『わかった。迎えに行くから部屋から出るな』
 その一方的な物言いさえ、リレーネはもはや気にならず、むしろ愛しかった。ふらふら出歩かれたら迷惑だから言っているのではなく、心配して言ってくれているのだとわかるからだ。
 リレーネは髪を梳きながら、歌を歌ってリージェスを待った。髪をまとめるピンの質素なこと。北方領のお屋敷には、誰に見せても恥ずかしくないかわいらしい髪飾りが沢山あるのに!
 ドアが開いた。
「リージェスさん! お疲れではなくて? よく眠れましたの?」
「ああ……」転がるように部屋から飛び出すと、照れたような、困惑した様子でリージェスは目を逸らした。「あまり、よく眠れなかった。まだ興奮して」
 二人は寄り添いあって大理石の階段を下りてゆく。一階の小広間、階段の下でアズレラが待っていた。ユヴェンサがアイオラを付き添わせてくれたのと同じように、シンクルスはアズレラをそばにいさせてくれる。多くの人に支えられてここにいることを感じ、リレーネは嬉しくなった。真鍮の手すりに肘をつき、リレーネに片手を上げるアズレラの隣には、夫のブレイズも一緒だ。
「元気だね、リレーネ。顔色が良い。よく眠れたかい?」
「ええ。皆さまがそっとしておいて下さって、お陰でこんな時間」
 笑いあい、笑顔のままリージェスを窺うと、彼はお付き合い程度にほんの少し、愛想笑いを浮かべた。
 アズレラに目を戻すと、ふと彼女が真顔になる。
「それで、リレーネ、いきなりで悪いんだけどさ。少し約束してくれるかい?」
「何ですの?」
「今日は外に出ないって。いや、リージェスや私がいいよって言うまでだね。正面玄関に近寄るのも駄目だ」
「外に、何か?」
「町の人たちが押しかけてきている」
 渋い顔で立っているブレイズに、リージェスが目を送った。
「どういう事だ?」
「兵器工廠のある町について知ってるだろう」
「ああ。その町の人たちか。何をしに」
「……まだはっきりしたことは何も言えん。とにかく神殿の中にいてくれ。リージェス。できるだけリレーネを一人にするな」
「わかった」
「リレーネは、わかった?」
「はい、アズレラさん」
 アズレラは笑って頷き、「行くよ」、リレーネを促した。ブレイズとリージェスを小広間に残し、禁室に向かう。
 ハンドル式の鉄扉の向こう、禁室の薄青い闇に身を浸すと、シンクルスの声が優しく尋ねた。
『リレーネ、具合は如何か?』
「とても良い気分ですわ」
『それはよかった。強いストレスで眠れなかったのではないかと案じていたのだ』
「心配ご無用ですわ。クルスさんはよくお休みになられまして?」
『いや、まだ休んでおらぬ』
「えっ?」
 壁沿いにスロープや階段を下り続け、禁室の底に下り立った。バーシルⅣに乗りこみ、ヘルメットを被る。
『していただくことは昨日と同じだ。だが今日は、バーシルⅣの母艦以外の艦にも救援信号を送ってみよう』
 リレーネは救援信号を送る作業を三度、繰り返した。三度目の作業が終わっても、シンクルスは次の指示を出してこない。
 シンクルスを含む数人の人物が、深刻な様子で囁きあうのが漏れ聞こえる。リレーネももはや上機嫌ではいられない。
『リレーネ、もう少し頑張れるだろうか。兄弟機、バーシルⅠからバーシルⅢに増援要請をしたい。この三機は今、母艦〈バテンカイトス〉に格納されているはずだ』
「はい」
 しかし、それでも神官たちにとって思わしい結果は出なかったようだ。
 続いて、所在不明と言われるバーシルⅤ、バーシルⅥにも同様に増援要請を発信する。
 このまま、宇宙のどこかから応答があるまで偵察舟艇から降りられぬのではないか。不安になったが、シンクルスは昇降口を開けてくれた。
『リレーネ、ヘルメットを外してもよい。疲れたであろう』
「いいえ、クルスさん。私は何ともありませんわ。あなたはまさか一睡もしておりませんの?」
『大丈夫だ』
 なだめるような声が、間を置かずして返ってきた。
『大丈夫……リレーネ、心配は無用だ。そなたはお体に気を付けて過ごして下さればよい。バーシルⅣを内部から操作できるのはそなたしかおらぬのだ』
 リレーネは翼にかけられた梯子を伝い、バーシルⅣを降りた。シンクルスが言う「大丈夫」をどこまで信用して良いのかわからない。しかし、大丈夫じゃないとして、それでリレーネにできる事があるならば、「大丈夫じゃないからこうしてくれ」とはっきり告げているはずだ。シンクルスが「大丈夫」と言っている内は、何もできる事はないのだ。
 しかし、リレーネにだって察しが付く。返答がないのだろう。あるはずの、地球の戦艦から。
 一人で禁室を出ると、司令室前の廊下でリージェスが仲間の銃士と話しこんでいた。ソレスタス神殿侵攻時、陸艇から退避するリレーネを機銃小艇に乗せた銃士だった。
 銃士はリレーネを見ると、気のいい笑みを浮かべ、片手を上げた。
「やあ。元気?」
「はい。ご無事で何よりでございますわ――」名は確か、「リンセル少尉」
「ヴァンスベール。ヴァンでいいよ。君、今この神殿の地下に出入りしてるんだよね」
「ええ。地下の禁室に」
「人の姿を見たりしなかった? 変な声が聞こえたりとかさ」
 質問の意図がわからず、困惑してリージェスを窺った。
「町から押しかけて来たという人々だが、彼らは町の住民がこの神殿に連れ去られたと主張しているそうだ」
「まあ、確かですの? ここの神官さんたちが領内に暮らす人々を……という事ですわね。そのような事があるのかしら」
「神官たちは……少なくとも昨日生き残った神官たちには覚えがないようだが……」
 二人の話によると、三位神官将ハルジェニク・アーチャーと部下の神官たちに連れ去られたのは、町で一番大きな製鉄工場の役員たちと社長の娘。その一件以来、町は神殿が制圧されるまで、実質兵器工廠の重役たちに支配された状況だったという。
 今は違う。
 この神殿は師団一つを収容するには小さすぎるうえ、その町の征圧状態も維持しなければならないため、町は南西領防衛陸軍に接収された状態にある。兵器工廠の重役たちも遠からず町から追い出されるだろう。
「ですが、そのような方たちが神殿に囚われていて、誰も気付かないはずがありませんわ」
「そうなんだよね」
 と、ヴァン。だとすると、その人たちの未来について明るい想像はできない。なんとか力になりたいが……誰が今、そんな不確かな情報で動ける状態にあろうか。


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