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文字数 4,201文字


 3.

 責められる夢を見る。
 画院のキャンバスの前の椅子に座り、ちやほやされて育ったお前には何の能力もないと責められている。あるいは総督公邸の庭園にいると、花壇の中からにょっきり人が生えて来て、お前は足手まといだと責められる。
 リレーネを責めるのは、シルヴェリアなる若き師団長と、シンクルスなるリレーネ略取の指示を出した人間である。
 もちろんそんな人間の事は名前しか知らないから、うなされて目を開け、また目を閉じてうなされるたび、それは様々な顔や体格や服装に姿を変える。
 しかし変わらない事があって、いずれの夢でも、二人は首から上に色とりどりのチューリップを咲かせたチューリップ人だった。
 基地に零刻のチャイムが鳴り、リレーネはもう悪夢を見なくてよいと安堵する。
 頭が痛い。具合が悪い。疲れは全然とれていない。しかし深く眠りたいとも思わない。
 生まれながらに、自分が地球につながる『鍵』である事。
 生まれながらに、アースフィア人の生存の可能性を秘めた『鍵』である事。
 それの何が特別で、何が凄いものか。
 アースフィアを救いたいなどとリレーネ自身が思った事はなかった。そんな事は国王陛下や父がする事だ。そのような能力や権力を、努力と競争によって身につけた人間がする事だ。
 なのに何故、このような所に連れて来られたのだろう。
 何故こんなにも劣等感や無力感を味わっているのだろう。
 アースフィア滅亡は恐ろしいが、自分の手で救いたいわけじゃない。できる限りの事はしたいが、中心に立つつもりはない。それは悪い事だろうか。誰もがそうじゃないか?
 北方領にいたかった。
 アースフィアの滅亡が避けられないなら、それはそれで、最後の時間を家族や友人たちと故郷で過ごしたかった。
 シンクルスというのは酷い人間だ。そうさせてくれなかったから。冷酷で無慈悲な人間に違いない。
 ノックもなしにいきなりドアが開いた。
 この配慮のなさはリージェスに違いない。
 リレーネはドアに背を向ける姿勢で横になっていたが、振り返らなかった。
「起きてるか」
 ベッドのすぐ近くまで来て、立ち止まる気配。
「リレーネ、朝食だ」
「食べたくありませんわ」
 何か躊躇うような沈黙。
「食べたくないなら別に構わんが、その後面談がある。師団長のお時間がとれた」
「会いたくありません」
 リレーネは頑として振り向かない。
「私、具合が悪いんですの。そっとしておいて下さる?」
「起きれないほど悪いのか?」
 全く気遣う素振りのない言い方に苛々しながら、リレーネは黙りこんだ。
 何を言っても、リージェスは自分を師団長の前に引きずり出そうとするかもしれない。それが怖いのに。助けてほしいのに。リレーネが怖がっているという発想さえ彼にはないのだろう。
「……リレーネ、駄目だ。昨日はお時間をとれなかったが、師団長はあなたの到着を心待ちにしていた」
「それはあなた方の都合でしょう? 放っておいて。私熱がありますの」
「そうひどい熱でもないんだろう」
「だったら何ですの!」
 リレーネは腹を立てて叫んだ。
「私は会いたくありませんの! 誰にもよ! お願いですから私の事は放っておいて!」
「リレーネ」
 リージェスは少し焦りを感じたようで、ベッドの方に歩を詰める気配を感じた。
「いや、今のは俺の言い方が悪かった。だが――」
「今の言い方が何だと仰いますの? 今まで散々私に冷たい態度をとっておいて、今更言い方ひとつが何ですか! おためごかしはおやめになって!」
 リージェスは何も返事をしない。
 立ちつくして途方に暮れている様子が目に見えるようだ。
 そっと踵を返して立ち去るのが、気配とドアの音でわかった。
 廊下に出たリージェスは、暫く何かに耐えるように目を伏せて、唇を結んでいる。
 すると廊下の向こうに人の気配を感じた。階段を上がってきた人物が、廊下の向こうからリージェスを見る。
 その茶褐色の肌、黄土色の髪に見覚えがある。
 こちらに歩いてくる。リージェスもまた歩み寄った。かなり背の高い、威圧感さえある男だ。
「リージェス・メリルクロウ少尉だな」
「……そうだ、ロックハート大尉」
 男は目を見開き、肩を竦め、表情を少し和らげた。
「何だ、知ってんのかよ。誰から聞いた? ユヴェンサか?」
「特殊銃戦部隊の銃士から」
「そうか、まあいいや。オレは独立戦車大隊第一中隊指揮官、カルナデル・ロックハートだ。よろしくな」
 意外にも、相手は親しげに右手を差し出してきた。握手に応じると、力強く手を握り、白い歯を見せて笑った。
「リリクレスト嬢はどうした?」
 リージェスは躊躇いがちに背後に視線をやり、カルナデルから目をそらして答えた。
「今は、そっとしておいてやって欲しい」
「……ふぅん、そうか」
 カルナデルはあっさりと頷いた。
「いいのか? その……」
「しょうがねえや、疲れてんだろ。じゃ、お前だけでいいから来いよ」
 カルナデルはくるりと背を向け、手の動きでリージェスを招く。リージェスは困惑しながらカルナデルについて行った。

 部屋に一人残ったリレーネは、リージェスが来る前より更に激しい自己嫌悪と怒りと寂しさに襲われた。
 師団長に会いたくないと言ったところでどうなるというのだ。
 ここにいる以上いつかは会わなければならない。師団長は自分と違って忙しいのだ。そんな中時間をとってくれたというのに。全く無意味で子供じみた反抗をしてしまった。
 リレーネは堪らなくなりベッドから起きる。
「リージェスさん」
 今からでも会えるだろうか。
「リージェスさん?」
 今からでも自分の馬鹿げた行動を取り消せるだろうか。
 しかしもう廊下には誰もいない。
「リージェスさん、リージェスさん」
 天井に埋めこまれた天籃石によって優しく照らされる廊下は、リレーネの声を壁の中に吸いこんでしまう。
 右を向いて「リージェスさん」と呼んでみる。左を向いて「リージェスさん」と呼んでみる。
 返事はない。
 たしか昨日は廊下の右側からこの部屋に来た、と思いだし、そちらに進んでみる。
 下り階段と、渡り廊下に出た。
 渡り廊下を満たす不思議な茜の色彩に心惹かれ、そちらに進んでみた。そして後悔した。渡り廊下に特殊な照明があったのではなく、窓が、すなわち窓の向こうの空が、茜色になっているとわかったからだ。
 こんな色の空など見た事がない。〈日没〉は空の色をこのようにするものなのか。この茜色の次は、どんな色が来るのだろうか。窓と反対側の壁に、べったりと黒い自分の影が大きく映る。リレーネは、この恐ろしい世界に自分一人になったような気がしてぽろぽろ涙を流す。こんな色になった空を、こんな色に染まった王国を、どうしろと言うのだ。
 廊下を渡りきる。そこはまた違う廊下。暗く感じるのは、天籃石が足りていないのだろうか。それとも渡り廊下の茜の光が強すぎて目が眩んだからか。
「リージェスさん?」
 何度めかの角を曲がった時、廊下の向こうの暗がりからゆっくり歩いてくる人を見つけた。
 その人間がはじめ、薄ぼんやりとしか見えないから、この廊下が本当に暗いのだとわかる。
 白い服が、壁や天井に取り付けられた天籃石の光を跳ね返している。丈が(くるぶし)まである、ゆったりした大きな服。
 あれは神官が着る法衣だ。
 神官?
 何故、神官が軍事基地に?
 その人物は、歩調を変えることなくリレーネに近付いてくる。
 顔を判別できる距離まで近付いて、法衣の人物は足を止めた。男だ。リレーネは呼吸を止め、その男から目を離せなくなる。
 それほど美しい男だった。
 瑠璃色の髪。瑠璃色の瞳。
 長い睫毛に縁取られた切れ長の目には、謎めいた光が宿っている。
 肌は透きとおるほど白く、法衣に包まれた体はすらりと背が高くて姿勢が良い。
 目があうと、彼は笑みを見せた。その笑みに不敵なものを感じ、怖くなって目をそらした。
如何(いかが)した?」
 穏やかなテナーの声で、神官は尋ねた。
「何を泣いておられるのだ?」
 リレーネはもう泣いていない。この男のただならぬ存在感に気圧されて、戸惑うばかりだ。
「あの……ごめんなさい」
 一人で部屋の外をうろうろしてはいけなかったに違いない。
「何を謝ることがあろうか」
 神官はうろたえるリレーネに歩み寄り、そっと顔を覗きこんできた。リレーネはさっきまで泣いていたみっともない顔を見られ、たまらなく恥ずかしくなった。
「お辛いのか?」
「……いえ。部屋に戻ります、ごめんなさい」
「そう慌てふためく事もなかろう。どうなさったのだ? お力になれるかはわからぬが、話を聞くことはできる」
「あなたは?」
 神官は、一音ずつ確かめるように告げる。
「シンクルス」
 リレーネは呆気にとられて神官を見つめ返す。
 何故突然、その人の名を口に出すのだろう。リージェスに、リレーネを略取するよう命じた人物の名ではないか。
 今この場でその名を口にする必要はないはずだ。
 あるとしたら、一つしかない。
 この男がシンクルスなのだ。
「シンクルス・ライトアロー、南西領ヨリスタルジェニカ〈灰の砂丘〉神殿の正位神官将だ。ゆえあって当師団に同行している。リレーネ・リリクレスト嬢、よくぞここまで来てくれた」
 リレーネは自覚せぬまま後ずさる。古風な喋り方をする男だったとリージェスは言っていた。神官かもしれないと推測していた。
 正位神官将。
 神殿において神官たちを束ね、戦時には神殿を守る部隊指揮官となる地位。通常は、平均して四十代中ほどでその地位に就くが、目の前の男はどう見ても二十五、六といったところだ。
「もう少し――」
 北方領の娘を略取誘拐しろ。それほど重大な指令を出せるだけの地位と力を持った人間に、どう対応すればよいかわからぬまま、リレーネは喋った。
「もう少し、お歳を召した方かと思っておりましたわ」
「俺が頼りなく見えるか?」
「いえ」
 シンクルスは、大きな法衣の袖で口を隠すように、クスクスと笑った。
「こちらへ来るが良い。いつまでも一人で泣いているのは辛かろう」


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