6-3

文字数 4,404文字


 3.

 地球人にも神がいた。創造主たちの創造主である。その足許にあっては地球人もアースフィア人も変わりはない。地球にとっての神こそが唯一絶対の神であり、それを信仰すべきと主張する人たちがいた。『唯一神派』と呼ばれる人たちだ。
 唯一絶対の神の前に、地球人もアースフィア人も平等であるはずだ。
 そう唱える彼らは、地球人が消えたアースフィアでみな粛清された。同じアースフィア人によって殺され、改宗させられた。そうして、現在の地球人を崇め奉る信仰体系ができた。
 そうしなければ、たちまちアースフィア人は地球人に滅ぼされていたからだとシンクルスは言う。
 同じ口で、彼は信仰を捨てろと主張する。
 生きるために。
 リレーネは、アースフィア人が信仰を捨てて生き延びるために必要とされた道具なのだ。

 リレーネは考える。時間は腐るほどある。やれと言われた事もやれそうな事もないからだ。
 確かにシンクルスは自分を必要とした。シルヴェリアもだ。シンクルスやシルヴェリアの後ろにいる、神官大将や南西領総督もだ。
 しかしそれは、リレーネの生まれついてのこの肉体が必要とされているだけであり、能力や人格を評価されているわけではない。暇なのが証拠だ。いや、証拠がなくとも自明である。
 シンクルスは優しいが、その優しさは
「そなたは道具なので俺が使う時まで道具箱で休んでおれば良いのだ。道具箱の居心地が悪ければ何なりと申すがよい」
 という種類のものであり、道具としてのアイデンティティをくれるものではない。いや、そんなものは欲しくない。まだ人間のつもりだ。
 リレーネはテーブルの上の通信端末のインカムを取り、内線でシンクルスを呼び出した。
『お呼び出しをしましたが、ただいま席を外しております』
 電子音声が返ってきた。
『後ほど折り返しをいたします。お名前とご用件をどうぞ』
「クルスさん、少し聞いていただきたいお話がありますの。この先の事ですとか……先日仰った神殿に行く話……私の叔父の事ですとか」
 人間のつもり。冗談ではない。人間だ。人間だから親族がいるし、気にもなる。だからこそシンクルスはこの先にいる人物について、リレーネに了解させようとしたはずだ。
「お時間をいただけるかしら。お忙しい事は存じておりますわ。……ごめんなさい。失礼します」
 まんじりともせず時を過ごしていると、二時間ほどしてから端末が着信を告げた。
「クルスさん?」
『リレーネ、メッセージを確認した。如何した?』
「私と会って下さる? クルスさん、直接お話をしたいの」
『よかろう』即答。『十時五十分、俺の部屋に来るがよい。必要とあらば迎えを寄越すが如何か?』
「一人で行けますわ」
『この先のソレスタス神殿侵攻に関する話との事だが、護衛のリージェスがいた方がよいか?』
 リレーネは少し考えた。
「……ええ、その必要がありますわ」
 指示された通りの時間に、シンクルスの、ジャスミンがふわりと香る居室に出向いた。
 そこにはシンクルスの他にユヴェンサがいた。リージェスの上官として呼ばれたのだろう。
「やあ。元気になったようだね」
 気さくに声をかけるユヴェンサに笑みを返し、勧められるまま席についた。
「リージェスさんはまだですの?」
「ああ。少し時間に余裕を持たせてある。もうじき来るだろう……恐らくな」
「恐らくも何も、彼は時間を違える男ではあるまい」
「俺の知る限りでは」
 と、冷えたジャスミン茶のボトルを出しながら、シンクルスはユヴェンサに悪戯っぽい笑みを向ける。
「彼は指定した刻限に一分違わず来る。早くも遅くもない。そして、俺が指定した時刻は十時四十九分」
「君は嫌な奴だな」
 すると、廊下を走る足音が近付いてきて、顔を紅潮させたリージェスが息を切らして現れた。時計を見たシンクルスが、満足げに「此度も刻限丁度であるな」と笑みを見せた。
「それで」
 リージェスは額の汗をぬぐい、息を整えながら、不機嫌そうに部屋に鍵をかけた。
「話って何だ」
「リレーネからソレスタス神殿をめぐる作戦行動について、何か提案がある様だ。護衛銃士としてそなたにも同席していただきたい」
 シンクルスが、リージェスにも冷たいジャスミン茶を飲ませた。リージェスはそれを一息に飲み干すと、リレーネに躊躇いと動揺を含む視線をくれた。
「……それは」コップを置き、リージェスは背筋を伸ばす。「公的な話でありましょうか?」
「よい」
 シンクルスはゆっくりと首を横に振った。
「リレーネ、まずは話してみよ。そなたの考えている事を聞かせていただきたい」
 小さな心臓が音を立てるのを、リレーネは感じた。
 口を開く。
 顔に血がのぼり、汗が噴き出てくる。
 これから話す事が受け入れられるとは思えない。
 軽蔑されるかもしれない。
 呆れられ、失望されるかもしれない。
「リレーネ」
 そっと目線を合わせて声をかけるシンクルスは、穏やかで静かな目をしている。
「どのような事でも構わぬ。話してみるがよい。ここで黙っていては、後で後悔する事になろう」
 その目と言葉の優しさを信じ、リレーネは息を吸いこんだ。
「私は」吐く息に声を乗せる。「ソレスタス神殿を攻める際、連れて行っていただきたいの」
 シンクルスの目を見つめ返す。
 その目は何の動揺も衝撃も宿さない。
 拍子抜けするほどだった。リージェスもユヴェンサも何も言ってこない。二人がどういう顔をしているのか見たいとリレーネは願うが、シンクルスの瞳の深い瑠璃色から、どうしても視線を外せない。
 シンクルスが、そっと瞼を閉ざした。それによって顔を背けることができた。リージェスを見る。明らかに困惑し、どういうつもりかと訊いている。
「行って、何をするおつもりか?」
「叔父様に会いますわ。会って説得します」
「何を説得すると?」
「戦いをやめるように、ですわ」
「すなわち戦地に赴き、自ら戦線に加わり、二位神官将がいる指令拠点を目指しそこで武装解除するよう要求する、と?」
「不可能だ。護衛できる、できないの問題じゃない」
 リージェスが、険しい顔で首を横に振った。
 改めて言われると、馬鹿な考えだと思い知らされる。顔が熱い。今度は緊張で、ではない。恥ずかしさで、だ。
「では、戦いの前に話し合いはできないのかしら」リレーネは食い下がった。「その方は私の叔父ですもの、私を知らぬはずがありませんわ。ここに私がいると知り、無視するはずなどありませんわ!」
「平時なら、そうだろうね」
 今度はユヴェンサ。
 そういえばほとんど同じ言葉をブレイズの口から聞いた。あれは確か、婚約者イオルク・ハサはリレーネを撃つか、という話をしていた時だ。
 リレーネは戦時を知らない。
 北方領は平和だった。豊かで、他の天領地に対するリーダーシップがあり、そのような手腕を持つ父を誇りに思っていた。紛争などというのは、遠い、それこそ南西領や南東領での出来事である。戦時と平時の違いなどリレーネにはわからない。
「有り得ぬことだが、仮にそなたを戦線に送り出すという決断を師団長が下したとしよう」
 シンクルスは決して呆れたり、侮蔑するような態度は見せない――しかし思っているはずだ。リレーネの事を、何もわかっていないと。
「この師団に所属する兵も指揮官も、当然の事、人を殺す訓練を受けている。俺も、俺が領地から引き連れてきた部下の神官たちもだ。リレーネ、そなたは、違う」
 残酷なものが目に入らぬよう、周到な配慮のもとに育ってきた、ただの娘だ。
「そして事後、そなたの心身に十分な手当を施せるような保証はどこにもない。直接的な意味においてそなたを護衛するのはリージェスだが、心身の安全を保障し無事〈言語の塔〉まで送り届けるまでの責任は俺にある。師団長――いいや、たとえ総督閣下が命じようとも、神官大将が命じようとも、そなたを前線に放り出すような真似はこの俺が断じて許さぬ。そういう事だ、リレーネ、そなたの願いを聞きいれる事はできぬ」
 穏やかな口調そのままに、シンクルスは言い切った。
 そうだろう、この人は、誰に命じられようともリレーネの頼みを受け入れたりはしない。本気で言っている。
 全く呆気なかった。もはやリレーネには、自分なりに考えた末の提案を押し通す根拠がない。この基地に来る前や、来た直後と同じ無力と無知への恥ずかしさで、リレーネは泣きそうになった。
「……ごめんなさい、私が馬鹿でしたわ」
「俺はそなたを愚かであるなどとは全く思っておらぬ。リレーネ、サマリナリア基地に来る前に、さぞや怖い思いをしたであろう。人が目の前で殺されてゆくのを見たであろう。にも関わらず何故、敢えてこのような提案をなさったのだ?」
「私も何かをすべきだからですわ。何かを考え、為さねばなりません。できる事を見つけなければ。そうでしょう? だって」
 じんわりと目に涙が浮かぶのを感じながら、リレーネはシンクルスに食いついた。
「そうでなければ頭がおかしくなりそうですわ!」
「……リレーネ」
「私は、ただ、いるだけという事が我慢なりませんの。この後にどのような大役が待ち構えているとしてもよ。そんなのは鍵でさえあればいいのであって、私でなくとも良いはずですわ」
「すまぬ。そなたが斯様に思い詰められておられたとは」
 初めて、シンクルスの目が翳る。
「だからと言ってそなたを戦場に放り出して良い理由にはならぬ……だが、事情はわかった。俺としても、勇気を出してこのような話を持ち出したお気持ちを決して無駄にはせぬ」
 シンクルスはゆっくりと頷いた。
「そなたにできる事を……すべき事を……仕事を、何か考えよう。リレーネ、先に申した通り、『鍵』の中からそなたを選び出したのも、ここまで連れてくるようリージェスや、アズレラ達に命じたのも俺だ。そなたが感じておられる苦痛の責任は俺にある」
 今度はリレーネが首を横に振り、否定の意を伝える。シンクルスは笑顔を見せた。
「どうにかしよう、リレーネ、必ず今より良い状況にしてみせようぞ」
「ありがとうございます」
 体が軽くなったようだ。
 話して良かった。笑顔と同時に涙がこみ上げる。ユヴェンサがリレーネの首に腕を回して抱き寄せ、くしゃくしゃと頭を撫でた。
 強くならなければいけない。シンクルスやユヴェンサのように。それは難しくとも、せめて、自分が抱いている感情や苦痛について、この優しい人に責任を感じさせないように。
 リージェスを見た。視線が合う。リージェスはすぐに目を伏せてしまったが、以前のような拒絶の意志は感じられなかった。単に目が合うのが照れくさいのだ。


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