10-1

文字数 4,543文字


 1.

《我々は消え去る》
〈どこへ?〉

「良い知らせと悪い知らせがある」
 シンクルスが来て言う。荒廃した町の、かつてホテルだった建物の中。部屋のカーテンは閉じっぱなしだ。開けても夜と煙が見えるだけだ。
 ソレスタスを出る頃にはまだ幾らか具合が悪そうだったシンクルスも、今は以前の余裕を取り戻している。
「お知らせもですが、あなたのお体の方も気になりますわ。シンクルスさん、もう以前のようなご無理はしてらっしゃらないでしょうね?」
「大丈夫だ。心配をかけてすまぬな」
 笑って答える彼は、何があってもリレーネが悲しくなるような答えはしない。過労で倒れるまで、彼が何日寝ていなかったかアズレラに訊いたことがある。恐らくソレスタス神殿侵攻以前から寝ていなかっただろうと言う。食事もまともに摂っていなかったはずだと。
 この人が『鍵』であればよかったのに。有能な人が、多くの人の役に立つ人が、優先して守られ労わられる『鍵』であればいいのに。けれどそんな生活を……今のリレーネの生活を……この人が受け入れるはずがない。リレーネにはわかる。
「まず良い知らせだが、戦列艦〈セト〉の所在がわかった。更に、もう一人の『鍵』を擁する南西領守護神殿が、南西領〈言語の塔〉にて聖遺物群と戦艦群との交信が途絶した時期を割り出した」
 シンクルスは小さなテーブルの左端に人差し指を置く。
「建国時代」見えない年表を指し示すように、人差し指を右へ。「地球人による統治時代」右へ。「神界(ガイア)戦争、そして天球儀建造時代」さらに右へ。「そしてアースフィア人による自治が始まり約二百年」
「……八百年前」
 リレーネの呟きを肯定し、シンクルスが頷く。
「悪い知らせの方だが、直後に『鍵』が殺害された」
 心拍が早くなる。「何故」悼むように目を閉ざし、シンクルスは沈黙を挟む。
「町で、強盗に襲われた。護衛銃士がついていたが、目を離した隙だった。人心の荒廃は敵地・南東領のみで起きているわけではないのだ。リレーネ」
 そっと膝を屈め、座るリレーネに目線を合わせてくる。
「……俺は、更に幾つかそなたの自由を制限しなければならぬ。同じ目に遭わせるわけにはゆかぬのだ」
「ええ」
 わかりますわ、ええ、クルスさん。あなたの仰せの通りに。リレーネは結局自分が変われない事を知る。人に守られてばかりいる事。守られているべきだと理解した事は、成長と呼べるのだろうか。己の無力と無能を知った事が?
「生きてこそだ、リレーネ。生き延びた先に必ず自由はある。そのためにそなたのお力が必要なのだ」
「お力? 私の遺伝子が必要、でしょう、クルスさん……ええ、私、行きますわ……必要とされるのなら」
 目に憂いを湛え、シンクルスは口をつぐむ。
 何か喋らないと、この人は部屋から出て行ってしまう。そして永遠に一人になるのではないか。不安に駆られ、何か言おう、しかし言葉が出てこない、一人焦っていると、シンクルスの方から次の言葉を持ち出す。
「南西領〈言語の塔〉の書記システムの最後の話し相手は、アースフィア宙域のどの戦艦でもなく、後方の艦隊司令部であった」
「司令部が直接アースフィアに交信を? 何故です?」
「理由はまだ判明しておらぬが、最後の交信は――」
《我々は消え去る》
〈どこへ?〉
「消え去る」
 立ち去るのではない。地球に帰るというのでもない。シンクルスは口を閉ざす。リレーネは口を開く。
「どこへ?」
 あるいは、「いつへ?」と、問えば良かったのかもしれない。

 子供が泣いている。翼が欲しいのだろう。

「この先、南東領〈言語の塔〉近傍の町を拠点に、敵一個師団が上級軍団の来着を待たずして進撃を開始すべく、支度を整えております。奥レガリア山脈の裏手へ回りこむ我が師団の行動に対処しての動きである事は間違いありません」
 そうシルヴェリアに語るのは、通信連隊指揮官ピュエレット・モーム大佐。戦火を免れた市庁舎の市長執務室には、今は征圧の証として、ダーシェルナキ家のヤマネコの旗が掲げられている。
「進撃の支度とな。……我々は自ら退路を断ち、山脈裏手に回りこんでいる。敵にしてみれば親軍団と並んで出口で待ち構えていれば良さそうなものを、何故」
「敵将は過去、サマリナリアの友軍と合流し防御態勢を整える作戦に失敗しております。それゆえ我が師団にサマリナリア基地を明け渡す結果となり、上級軍団の指揮官の性格を鑑みれば、厳しい叱責を受けたことは確実です。敵将は前回と同様の叱責と追及を恐れ、功を焦っていると考えられます」
「良い場所はあるか」
 シルヴェリアは頬杖をやめ、軍服の襟を正す。
「こちらの被害を最小に、敵の被害を最大に、そして最も早く進撃を行うに都合の良い場所が」
隘路(あいろ)があります」モーム大佐は視線を受け止めて言う。「それの使い方次第となります」
 隘路を抜ける前に決戦する。
 隘路を抜けた先で決戦する。
 隘路内部で決戦する。
 さあ?
 半日もせぬ内に、全将校が師団長の指示を心得る。
「どうかね」
 歩兵連隊指揮官モリステン・コーネルピン大佐は会議後、廊下で部下を呼び止める。
「どうとは」
 と、強行攻撃大隊のマグダリス・ヨリス。
「師団長ときたら、また大胆な作戦を考えつくじゃないか」
「私としては、隘路の手前で押しかけてきた敵軍を叩きのめす作戦であったとしても異論はございませんでした。むしろその方が効率的だったのでは」
「隘路内での伏撃がうまくゆけば、より大きな戦果が期待できる。それは君も認めるところではないかね?」
「ええ、勿論です。そして」
 ヨリス少佐は目を歪め、ほの暗い戦闘欲の熱気を滲ませて笑う。
「どのような作戦行動であれ、刃向かう者は殺し尽くす……我が強行攻撃大隊は、そう在るのです、大佐」
 大佐は怯む。この男は平時に生まれていたらろくな人生を歩まなかったに違いない。
「まあオレは、隘路を抜けた先での決戦を考えているとは思ってなかったがな。期待できる戦果が小さすぎる」
 そう話すのはカルナデル。彼と、話し相手のリアンセは、まだ会議が行われた市庁舎の中にいる。市庁舎のロビーは広いが、壁沿いに天籃石がまばらに取り付けられているだけなので、十分な明るさはない。そんなロビー中央の一番薄暗い所で、二人は立っている。
「あなたの戦車部隊にとっては戦いにくくないかしらね」
「動きにくい立地ではあるかもな」そんなものは何でもない、と、首を横に振った。「メシに行こうぜ」
 星と天球儀の下、市庁舎の中庭を見下ろす渡り廊下の窓の一つに、誰かが影を作っている。リアンセとカルナデルは、どちらともなくそれに気付き、足を止める。
 人影は、リレーネは、二人の視線を受けて、三階の渡り廊下から姿を消した。
「あの子、リージェスを探しているのかしら」
 歩き出したリアンセが呟く。
「かもな」
「仕方ないわね。シンクルス様に一人で出歩くなって言われてるはずなのに」
 尉官たちの食堂がある建物のガラス扉を押し、不意に真剣な目をしてカルナデルが振り返る。
「何?」
「お前さ、この先ずっと……例えばアースフィアから脱出しても……あいつの事シンクルス様、って呼び続けるのか?」
 息が止まるのを、心臓がひときわ大きく鼓動を打のを、リアンセは思考を消して感じる。体がすっと冷え、背に寒気が走り、反対に、顔には遅れて熱が上るのを感じる。
「……大きなお世話だったら悪かったな」
 カルナデルは先に建物に足を踏み入れ、リアンセのために扉を開けて待っている。
「いいえ」
 と、リアンセは答えて、カルナデルに続いた。
 人の手による支えを失い、ガラス扉は風を絶つ。
 兵士たちも将校たちも、戦場に流される血を体に溜めている。冷たく凝る死の気配を吸って、リレーネは市庁舎をさまよう。
「リージェスさん」帰りが遅い。「リージェスさん」食事を摂って来るだけだと言ったのに。
「リージェスさん」
 呼べば体に血が通う。体に熱があれば、死の清流にあっても生きていける。
 書庫として使われている棟に迷いこみ、秘密めいた調子で囁かれる、男女の言葉を耳にする。廊下を曲がった瞬間、壁に背を預ける男と、その胸に身を寄せる女をリレーネは見つける。
 その二人、ヨリスとユヴェンサが、まさに敵を見極めんとする戦士の目つきで振り返る前に、リレーネは足音を立ててその場から逃げている。
 前庭を突っ切り、市庁舎正面のホテルの一室に駆けこむと、部屋に探し焦がれたリージェスの姿があった。椅子から立ち上がり、リージェスが責める。
「どこに行ってたんだ」
 あれほど探していたのに、あれほど姿を見たかったのに、もう気持ちが萎えている。
「……どうした、気分が悪いのか?」
「ええ……気持ち悪い……いいえ、いいえ。何でもありませんわ」
 あれは、見てはいけなかった。だからと言って気持ち悪いなどと断じてしまった事で、リレーネは自己嫌悪する。
 市庁舎の正面のスピーカーから、突如としてノイズが流れ出す。それが束の間、嫌悪も悪心も拭い去る。
 その時刻、町の、人がいる所でもいない所でも、等しくラジオが流れ始めている。激しいノイズ交じりの演説を、リレーネもリージェスも聞く。

『南東領のみなさん、お食事時に失礼します。まだ食べる物がある人も、そうでない人も、今少しの間手を止めて(――……)』
『私は(――……)神殿の(――……)です。この度は(――……)(――……)の神官として、みなさんにお話をお聞きいただきたく(――……)』
『南東領のみなさん、私たちの故郷は、今大きな混迷の中にあります。私たちは暴力の渦の中にいます。目の前でかけがえのないものが奪われた方もいるでしょう。みなさんの内、実に多くの人々が大変なショックを受けているでしょう』
『本日は重大な発表を(――……)』
『(――……)それは、国王並び王の代理人たる総督閣下が推し進める冷凍睡眠政策についてです。私たち(――……)の神官は、信頼できる地球人統治時代の記録により、南東領に残された冷凍睡眠装置に収容できる(――……)上限は(――……)』
『(――……)』
『(――……)これは既に冬眠が決定している一握りの政治家、官僚、上級神官、そしてその家族を合わせれば、既にみなさんの分は残されておりません』
『〈日没〉の始まりから、この件については多くの勇気ある人々が繰り返し指摘してきました。結果としてそうした人々の多くが汚名を着せられ、名誉やその地位を、果ては命を奪われました。説明を求める領民の多くが南東領各所で弾圧を受けたこと、そして今も受けていることは、みなさんの記憶の通りです』
『みなさん、私たちは生きるため、未来のため。子供たちのために、もはや南東領総督にも南東領神官大将にも、従うべきではありません。みなさん、夜は刻々と私たちの体を蝕んでいます。みなさん、生きる道は宇宙にあります。宇宙に飛び出せばそこに太陽はあるのです。みなさん――』


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み