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文字数 4,042文字


 1.

 リレーネの旅は装甲車での旅に変わる。もっとも初めてリージェスに乗せられた時のような狭苦しく無骨なものではない――内装は。ある程度の地位の人間を護送するためのものらしく、床に絨毯が敷かれ、寝床は少しは柔らかい。
 運転士とリレーネの他にはリージェス、そして南西領のアイオラという女性護衛銃士が乗りこんでいた。
 アイオラはリレーネの付き添いを命じられたそうで、同性のそうした付き添いがいる事は、リレーネにとって大いなる心の救いとなった。
 コンスティアに似ている。
 顔立ちも声もまるで違うのに、思い出さずにいられない。
 物腰のせいだろうか。
 たおやかな手つきのせいだろうか。
 凛とした眼差しのせいだろうか。
 コンスティアはまだあの営林事務所で倒れているのだろうか。虫がたかっているだろうか。腐り始めているだろうか。そう考えると胸が張り裂けそうになる。誰か、誰かがあの人たちを弔ってはくれないだろうか。
 時折アウィンという青年銃士が顔を見せる。
 見た感じの歳で言うなら、リージェスよりは上、ユヴェンサよりは下、アイオラや、そしてコンスティアと同じくらいだろう。彼はリージェスに軽口を叩き、アイオラをからかい、リレーネに菓子をくれる。
 旅が一週間を越えた頃、どこまで行くのかアイオラに尋ねた。
 菫色に輝く髪を持つ細身の銃士は、リレーネの隣に腰かけて、優しく微笑んだ。
「ここはもう南西領よ。このまま南東領に行くの」
 リレーネは、リージェスと出会う直前にララトリィ先生が言った『悪い事』について知る。南西領〈呪(まが)つ炉の天領地〉による南東領〈不死廊の天領地〉への侵攻について言っていたのだ。
 リージェスは装甲車のドアの近くに佇み、憂いに満ちた視線を窓の外に投げている。いつしか護送車には戦車の護衛がついている。南東領に入ってからは、更に戦車を支援する特殊装甲車が加わる。
 戦車を降りた兵たちが、戦車にまたがって話しあっており、地面にかつて見た事ないほど長い影が落ちている様子を見た日に、リレーネはひっそりと泣いた。

 南東領は西方領〈鋼塔の天領地〉に次いで神官たちの力が強い。力が強いとはすなわち、神官たちの統治領域が多いということだ。
 神官たちを束ねるのは各神殿の神官将であり、それら神殿を統べるのが、天領地ごとに存在する守護神殿である。
 守護神殿に君臨するのは神官大将だ。
 西方領には神官の名門と称される家系が多くある。アーチャー家がその一つで、現在の西方領の神官大将の地位にはアーチャー家の当主が就いている。更に西方領のみならず、アーチャー家の人材はその他の天領地においても要職を占めており、その影響力がとりわけ顕著なのが南東領である。
 そういうわけで、南西領は結託した西方領と南東領に取り囲まれた苦しい戦況にある。
「これから向かうサマリナリア基地は南東領総督の統治領域にあった基地よ」
「そこから南東領奥地に攻めこむのね」
「ええ。師団長があなたの到着を待ってるわ」
「どのようなお方ですの? 師団長は」
「師団長は総督閣下シグレイ・ダーシェルナキ公がご息女、シルヴェリア・ダーシェルナキ。総督閣下の長子として一個師団を率いていらっしゃるの」
 ドアの近くの壁に凭れかかっていたリージェスがアイオラを振り向いた。
「総督閣下の長子? 確かまだ、それほどのお歳では――」
「先月、御年二十歳になられたわ」
 二十歳。リレーネは衝撃を受ける。自分と三つしか違わぬではないか。そんな人が、総督閣下の娘として……自分と同じ身分の人間として……一個師団を率いている?
 その日、リレーネを乗せた護送車は南東領サマリナリア基地に到着する。

 2.

 護送車を降りたリレーネは、はじめそこを屋内かと思う。それほど暗く、肌寒かった。
 下り立つ地面は土。
 暗いのは、それだけ空が暮れているからだ。
 空が東の端から西の端にかけて、水色から茜色のグラデーションになっている。
 うっすらと雲がかかった頭上は淡い紫。
 西方領に入った時、空はまだ僅かに黄色いだけだったのに。
 そして月が明るい。
 月など、これまで天球儀の網目から、かき消されそうなほど白くうっすらと見えるだけのものだったのに。月が、ああして白く光るとは知らなかった。
 宇宙には地球の船がある。それに乗るために連れてこられた。
 リージェスやアイオラが引きずる影の長さに怯える。二人が化け物になってしまった気さえする。そして自分の影の長さを目にし、リレーネはもう、涙を流すためにひっそり隠れてなどいられないほど動揺する。
 護送車から離れた位置に、戦車や特殊装甲車が停められる。
「長旅ご苦労だった」
 ユヴェンサの張りのある低い声がそう言った。振り向けば、堂堂たる立ち姿の彼女には旅の疲れなど微塵もない。この寒さ、暗さや影の長さを何とも思わないのだろうか。その大きな体から振り撒かれるのは、自信、それだけだ。
「リージェス、リレーネを頼む。アイオラ、二人を控室に連れて行ってくれ。私は大隊長に報告に行く」
「承知しました」
 ユヴェンサと入れ替わりで向かってくる人物がある。
 臙脂色の軍服、深緑のマント。茶褐色の肌を持つ女性兵士だ。一本の三つ編みに結った黒髪が、肩の上で跳ねている。
「南西領防衛陸軍第一陸戦師団、独立戦車大隊、第一中隊第一小隊所属ジョスリン・ミグ伍長であります。リリクレスト嬢、これをお使いください」
 生真面目な口調で話す伍長は、折り畳み式の小さな櫛をそっと差し出してきた。
 リレーネは意図がつかめず白い櫛を凝視した。
 髪を梳けと言っているのか。
 いいや、好意から、これを使うと良いと言ってくれているのだろう。
 櫛なら護送車の中で受け取った。
 それをろくに使っていなかったことに気が付く。髪を気にする余裕さえなかったのだ。血の気が引くのがわかった。同時に恥ずかしさでカッと顔が熱くなる。人の目に、今の自分はどれほどみっともなく見えているのだろう。
 兵士たちが慌ただしく車両を点検している。その声が響く中、リレーネはほとんど泣きそうになりながら、
「櫛なら、持っておりますわ」
 絞り出すような声で言った。
 ジョスリンは何か衝撃を受けたような目でリレーネを見つめたが、すぐに一礼して駆け戻っていった。
 戦車のそばで、このやり取りをじっと見ていた男がいた。
 かなり大柄な男だ。ジョスリンと同じ茶褐色の肌に、ごく短い黄土色の髪。臙脂色の軍服と深緑のマント。あの色のマントが戦車部隊のシンボルなのだろう。
 男とジョスリンが会話をかわす。
 離れすぎていて聞こえなかったが、男が最後にはっきりとリレーネを見たのがわかった。
「リレーネ、寒いの?」
 アイオラが腰を曲げて、顔を覗きこんで聞いた。リレーネは顔を背けて頷いた。
「ごめんなさいね、もっと早く気付いていればよかったわ。ここは標高が高いから、寒いのよ。中に入りましょう。いいわね、リージェス」
「……ああ」
 アイオラがマントを後ろからかぶせてくれた。
「さっきの男は?」
 リレーネの様子など気にも留めない様子で、リージェスがアイオラに尋ねる。リレーネは憎しみさえ感じた。
 もう目的地に着いたから、リージェスは護衛の任を解かれるのか。もう自分に構う必要がなく、だから無視するような態度なのか。
「独立戦車大隊第一中隊隊長のロックハート大尉よ」
 温かい控室で、リレーネとリージェスは並んでソファに座った。リージェスは一言も発しない。リレーネは、気まずさに耐えるより会話をしたいけれど、話題を探す気力もない。
 紅茶が出される。
 師団長との面談があるはずなのに、なかなかその時が来ない。
 茶菓子が出された。
 それをゆっくり、ゆっくり食べてしまってもまだ来ない。
 リージェスは口を利かず、こちらを見もしない。
 シルヴェリアという人物は自分をどう見るだろう。天領地の総督の娘。自分と同じ立場。そんな人が二十歳にして一個師団を率いている。さぞかし剛毅で有能な人物に違いない。その人の目には私などきっと、自分の身さえ守れない無能な役立たずにしか見えない、リレーネは思う。
 帰りたい。家に。北方領に。あそこには、少なくとも自分の住環境の周囲には、自分と同じような人間しかいなかった。お喋りをしたり行儀作法を習ったり絵を描いたりしていればいい、そんな環境とそんな人たちばかりだったし、それ以上を要求された事もない。まして二十歳で一個師団を率いているような人間など。
 胃がきりきりと痛み、情けなさと、自分がこんな思いをしなければならない現状への恨みで涙が浮かんでくる。
 じっと待つ二人のもとに、アイオラがやって来る。
「散々待たせてごめんなさい。急で悪いのだけど、今日の面談は不可能になったわ」
「……わかった」
 リージェスはあっさり頷いてソファから立つ。
「寝室に案内するわ。ついてきて」
「リレーネ」
 ぼんやりしていたリレーネに、リージェスが苛立ったように声を重ねた。
「リレーネ」
 重い体に力をこめて立ち上がる。そんな怒ったような声で催促せずとも良いではないか。
 廊下で、リージェスは別の銃士に連れて行かれた。
 リレーネは明らかに賓客用とわかる、広々とした居室に通された。久々のちゃんとしたベッドなのに、喜ぶ気にさえなれない。気分が悪くて、頭痛がする。
 微熱があると判明した。
 服を着替えて少しすると、アイオラが医師を連れてきた。
 気もそぞろに問診に受け答えし、風邪薬と吐き気止めと頭痛薬をもらう。それを服んで横になった。
 もはや何が苦しいのか、悲しいのか、腹立たしいのか、切ないのかわからない。
 リレーネは一人きりになった後、寝付くまで泣いた。


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