7-6

文字数 1,708文字


 5.

 神殿を出たリレーネとリージェスは、並びあって広大な裏庭を歩いていた。なだらかな丘である。優しい起伏を見せる大地に、天球儀からの白い光が降り注ぐ。
 背後の神殿は明かりを取り戻している。無言でいることが心地よかった。いつまでも、黙ったまま目的もなく歩き続けていたところで、何も苦痛はない。しかし、
「……あなたは」
 リージェスがついに立ち止まり、星空を見上げて言った。
「俺を殺してやりたいとは思わなかったのか。誘拐されて理不尽だと、憎いとは思わなかったのか」
「私が強い人間であれば、そのように思ったでしょう。ですが、私はあなたが怖いばかりでしたわ」
「あなたを敵視するのは筋違いだとわかっていた」
 リレーネも、リージェスが見つめる方向に目を細めた。虚空。空は続いている。宇宙へと放たれている。あれほどの光る物に満たされた、果てしない空間へと。
 真昼の空に対しては、そんな感慨を抱いた事はなかったというのに。
「だが憎まずにはいられなかった。あなたに非はないと、頭では理解していたんだ」
「いいえ、リージェスさん、私は私の父があなたにした事を、謝罪したいと思いますわ。ごめんなさい」
「よしてくれ。……言っただろう、あなたは誰かの娘としてここにいるわけじゃないんだ」
 リージェスを見た。
 躊躇いがちな目で、リージェスもリレーネを見た。ちょうど頭一つ分、身長差がある。
「……リレーネ、俺の方こそ、これまでのあなたへの態度を許してほしい。あなたに恐怖を与えるつもりではなかったんだ」
「いいえ、いいえ、どうか謝らないで、リージェスさん。そんなことをいつまでも怒ってなどいませんわ」
 世界を汚す影の中で、二人は互いに向き合った。
 思わず手を伸ばした。宙を泳ぐ指先を、リージェスの手が捕まえた。
 力強く引き寄せられた。飛ぶような感覚の後、リレーネはリージェスの胸の中にいた。
 背中に腕が回る。リレーネも、華奢な腕でリージェスの体を抱いた。その体の震えに気が付いた。リージェスが鼻をすする。リレーネの背から片手を離し、自分の顔を拭いているのがわかった。泣いているのだ。しかし、それを指摘する理由はなかった。リレーネは全てを受け入れる心地で目を閉ざした。
「俺は――」耳もとで、微かな声が囁いた。「――俺は生きている」
 ギャアッ、と鳥の騒ぐ声が、囁き声にかぶさった。
 リージェスの体が強張る。
 一人の男が一人の戦士へと変貌する。それが肌でわかる。リレーネは瞠目した。リージェスが、リレーネの体を引きはがし、ホルスターに手を添え振り向いた。
 天球儀の下から、黒い鳥の大群が波のように押し寄せてくる。
 それが鳥ではない事を、二人は経験上知っていた。
 化生だ。
「走れ!」
 電源が入ったように、リレーネは神殿へと駆け出す。
 まだ撃つには遠い。リージェスが追いつき、手を取った。
 神殿が近付いてくる。
 自分たちが近付くのと引き換えに、銃を構えた兵士たちが飛び出してきた。
「早く! こっち!」
 アイオラが叫んでいる。息を切らして丘陵を登りきるが、まだ休むことは許されなかった。
「行け! リレーネ! 俺が良いと言うまで出て来るな!」
「リージェスさん!」
 手を掴まれ、神殿の扉の中に引きずりこまれた。
「あれは彼らに任せるんだ」
 アズレラだった。ブレイズもいる。久しぶりに顔を見合す夫婦は、しかし再会の言葉をかけあう余地も与えず、リレーネを神殿の奥に引っ張って行く。
「どこへ行くのです?」
「一番安全な所さ。〈禁室〉への扉の解除に成功した」
 リレーネは思わず立ち止まった。アズレラも、ブレイズも、真剣そのものの表情でリレーネを見返してくる。
「ずっと探してたんだ」
 ブレイズの言葉で、リレーネは理解した。
 いよいよ地球遺物に対面するのだ。
 そこに自分の仕事がある。初めて、『鍵』として生まれた役目を、ここに来た目的を、求められる唯一の仕事を、なそうとしているのだ。
「行くわ」
 リレーネは決意をこめて頷くと、手を引かれることなく足を踏みだした。
「行きます」


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