2-2

文字数 5,105文字

 2.

 王領だけが、(まった)き国王の統治領域である。
 その他五つの天領地では、王の代理人たる総督の統治領域と、神官たちの統治領域とが入り乱れている。
 王政府は各地の神殿に、地球技術の解放を求めている。封印された技術によって王国民の大多数を冬眠させ、残された者たちは太陽を追って〈日没〉現象を観測する。〈日没〉が来る世界になっても、生きる方法を探すために。
 そうした冬眠計画が目下、王政府の方針であり、北方領総督セヴァン・リリクレストは計画の急進派であった。
 リレーネは、前を歩く銃士の背中で腰丈のマントが揺れるのを見つめる。
 じゃあ、この人は冬眠計画に反対する反王派の人なのかしら。
 しかし彼は、運転士のマゴットこそが反王派だと言った。自分は違うとばかりに。それでは、やはり王領護衛銃士なのだから、王の忠実な臣下と考えていいのか。
 いや、自分への態度を見ているととてもそうは思えない。
 装甲車は山の中に停められていた。木々に挟まれた、大きな石が転がる未舗装の道を、リレーネはヒールのついた靴で懸命にバランスを取りながらついて歩く。
 銃士が振り向く。その目は冷たく、「はやく歩け」と言わんばかりだ。リレーネはすがる相手を求めて空を見上げた。地球(テラ・マーテル)は見えなかった。

 天球儀はアースフィアを包みこむ巨大な殻である。天籃石と呼ばれる物質で造られた天球儀は、昼の領域に降り注ぐ太陽熱を吸収し、夜の領域に送る。天球儀を失えば、アースフィアの環境は灼熱の地獄と極寒の地獄に二分され、人が棲息する事などできなくなる。
 どのような技術で、ただの一つも支柱を持たず、アースフィアを包む透明な天球儀を造り得たのか、リレーネには考えてもわからない。天球儀建造を可能にした地球技術について知識を保持しているのは、神官たちだけだ。
 視線を天球儀から前に戻すと、河原が見えた。
 浅く幅が広い川の岸に、またしても装甲車がある。リージェスが自分を乗せてきたものより大きい、二階建て装甲車だ。
 その陰から女が顔を出した。やはり儀礼銃士のマントを羽織った、金色の髪を肩まで伸ばした女で、リレーネと銃士を見て走ってきた。
「リージェス! 無事でよかったわ」
「ああ――」
 立ち止まったリージェスの声音に、少しだけ安堵が滲む。リージェスと、その女の銃士がそろってリレーネを振り返った。優しそうな人だった。
「突然こんなところに連れて来てごめんなさい」
 と、女は歩み出て言った。
「私はコンスティア。よろしくね」
 リレーネは頷き、戸惑いながら、口の中で呟くように名乗った。彼女の態度は、優しみこそ感じられるが、リレーネを政府要人の娘として重んじるつもりはないと、はっきり告げている。
 リージェスやコンスティア、彼らの集団がどれほどの規模かはわからぬが、その集団の方針なのだろう。
「怖い思いをさせてしまったようね」
 コンスティアがあらぬ方向を見て言った。
 その視線をたどった先に、今歩いて来た、大きくカーブを描く川の上の道が見える。木々の切れ目から、先程まで乗っていた装甲車が見えた。
 激しい銃弾を受けた痕跡がある。全体がへこみ、フロントガラスの運転席側は罅割れでほぼ真っ白だ。よく運転ができたものだ。しかもよく見れば血のような汚れが車の前面にしみついている。
 遠慮なく轢くなり撥ねるなりしたに違いない。
 怪物だ。
 石を蹴立てて、また誰かが走ってくる。
 今度は男だ。リージェスと違い、爽やかな印象の好青年だった。この男も、コンスティアも、リージェスより年上のように見える。そしてやはり、銃士のマントを身にまとっている。
「ここはどこ?」
 リレーネは我慢できなくなり、その男に尋ねた。
「私をどうするおつもりですの? どこへ行くおつもりですの? お父様は、お父様はどこ?」
 男は困ったような顔をして、短い褐色の髪に指を入れて掻いた。
「――誰の命令ですの?」
「うん、とりあえず」
 男は口ごもり、頭を掻くのをやめた。
「座ろうか。あの車の中でさ。話すから」
 彼はコンスティアと並び、装甲車に向けて歩き始めた。笑みを交し合うのが見え、あの二人は恋人同士だと、リレーネは理解した。リレーネには、冷たい視線を寄越して歩くよう促すリージェスがいるだけだった。
 装甲車の内部は、中央の通路以外黒いカーテンがかかっていて様子がよくわからない。そのカーテンの向こうから排熱音が聞こえる。車の前部から二階にあがると、そう広くはない、窓が一つだけある部屋が待っていた。
「レキ」
 部屋には男が二人いて、折り畳みの椅子に掛け、壁に掲げられたスクリーンを睨んでいた。そこに何が投射されていたのか、リレーネにはわからない。リージェスが声をかけると同時に、消されてしまったからだ。
 二人が同時に顔を上げる。一人は三十半ばあたりだろう。もう一人が笑みを見せた。恐らくそちらが『レキ』だ。若い。
 その笑みに応える形で、初めてリージェスが笑顔を見せた。
 そしてすぐに表情を引き締めると、もう一人の男に言った。
「レルノイ隊長、北方領総督の娘リレーネ・リリクレストをお連れしました」
「よくやった」
 隊長と呼ばれた男は、威圧的な気を纏っている。鋭い目でリレーネを見たが、目が合うとすぐに目つきを和らげた。
 重んじるつもりはないが、脅かすつもりもない。
 やはり彼らはその方針で徹底している。
「その娘が『鍵』か。……普通の娘だな」
 リレーネがその意味を問う間もなく、
「ウィーグレーとパンジェニーを呼ぼう」
 隊長は言い、頷いた。

 どう振る舞えば良いのかわからず突っ立っている間に、折り畳み椅子が用意され、座るよう促された。
「一等天領地所属護衛銃士隊第十四小隊隊長バル・レルノイだ。有り体に言えば我々は、さる政治上の目的から貴女を誘拐した」
 リレーネはどう反応していいのかわからず、「その様ですわね」と言うのも間抜けに思え、黙っていた。
 レルノイ隊長はリレーネの返事など、そもそも待っていなかった。
「シンクルス様への報告はどうなっている」
「成功コードを送信しました。作戦続行の指令コードが返信されております」
 下が騒がしくなった。複数人が階段を上がってきた。
 まず、見た事もないような大男が部屋に入る。髪は脂っこくてぼさぼさ、顔は顎ひげに覆われている。細い目から放たれる鋭い光がリレーネを射抜いた。
 続くのは、反対に小柄な女性である。リレーネを見るとどこか満足げに悪戯っぽく微笑んだが、リレーネに笑いかけたという様子ではない。
 最後にコンスティアが小さな保温ポットを抱いて入ってきた。
「どうぞ。飲むと落ち着くわ」
 礼を言って受け取った。中身はココアだった。
「さて。どうするかな」
 全員が椅子に落ち着いてから、レルノイ隊長が大儀そうに溜め息をついた。
「お嬢ちゃん、さっきここはどこかって訊いたよな。それから答えようか?」
 コンスティアの隣で、その恋人の青年銃士が身を乗り出す。
 はいと答えようか。このココアを飲んでいいのか。そのように彼らからの待遇を受け入れたら、二度と家には帰れない気がする。
 ココアのポットを握り、リレーネは俯きながら、次第に心拍が早まっていくのを感じた。一瞬全身が冷たくなり、次に、燃えるように熱くなった。
「ここはまだ北方領だよ。西方領との境界の近くだ」
 帰りたい、と言う前に、その銃士が続けて言った。
 ここはまだ北方領。
 帰る家につながっている。帰るべき日常につながっている。
 顔を上げたリレーネは、次の一言で視界が閉ざされるのを感じた。
「これから南西領を目指すんだ。南西の五等天領地、『(まが)つ炉の天領地』だ。今の俺たちの指導者はそこにいる」
「嫌ですわ!」
 リレーネは叫んだ。
「私、そんな遠くには行きません。家に帰してください」
 銃士たちは黙っている。
 傷ついたような、呆れたような、面倒くさそうな、あるいは何かを悼むような沈黙である。
「都は危険だ」
 レキと呼ばれた男が答えた。
「反王派のレジスタンスどもは総督の暗殺に失敗してる。凍り砂の都を封鎖しているけど、奴らには占拠状態を維持するだけの武力も能力もないよ。何日もしない内に総督が都を取り戻すだろうが、武力衝突は避けられんね」
「お父様は無事ですのね」
 複雑な沈黙が満ちる。誰も総督の無事を祝福していないのだと理解できた。
「あなたのお父様ですものね」
 コンスティアが取り成すように言った。
「あなた方は反王派の人たちとは違いますの?」
「大きな目で見れば、反王派という立ち位置では、凍り砂の都で暴れた連中と同じだ。だが我々は、この北方領にもはや用はなく、北方領総督軍を相手取るつもりもない」
 次に答えたのはレルノイ隊長である。
「まず目的地から言おう。さっきは南西領を目指すと言ったが、それは本隊と合流するためだ。最終的な目的地は南東の四等天領地〈不死廊の天領地〉、その守護神殿。そして『言語の塔』だ。あなたには必ずそこに行ってもらわなければならない」
「何故、南東領に?」
「その前に、今の戦局について大まかな解説をしておこう。王政府が推し進める冬眠計画については知っているな」
「〈日没〉現象を正確に観測するために、必要な人間を残して、その他の国民を天籃石のシェルターで冬眠させる計画ですわ。残った人間は〈日没〉の長さや影響の度合いを測定するとともに、夜の領域が昼になった時――そこが開発可能な地であるかを調査するのでしょう」
「そうだ。太陽光を蓄えた天籃石のシェルターで冬眠すれば、理論上、言語崩壊は発生しにくくなる。凍り砂の都で騒動を起こしたのは、この計画に反対する東方領〈蝶凱の天領地〉の勢力だ。連中は人間を冬眠状態にさせる地球技術がある事を信じていない。更に」
 隊長は一呼吸おいてから、続きを話した。
「連中はこの地上を、片時でも離れることを拒んでいる。目が覚めた時には、戻る場所などないのではないか。眠っている間に、起きていた連中によって勢力の構図は大きく変わるはずだから、とな……まあそれはまず間違いないだろうが。そういう連中だ」
「私の家に仕える使用人が、そうだったと仰いますの?」
「どうだ、少尉。略取決行直前の運転手の行動を報告しろ」
 銃士たちが部屋の隅のリージェスに視線を送る。彼は居心地悪そうに姿勢を正した。
「件の運転手は、定刻より二時間早い六時二十一分にリリクレスト邸を発ち、リリクレスト嬢の送迎に出向きました。彼は画院に入っていき、二十分後に画院から出たリリクレスト嬢が車に乗りこみました。その後車は総督公邸に向かわず、都の南門方面に走り出したため追尾しました。その後は車中からの簡易報告の通りです」
「リリクレスト嬢、都を離れる前、運転士の行動を不審に思わなかったか」
「それは……」
「ちゃんと証拠もあるんだよ」
 小柄な女性銃士が遮るように言う。目が合うと肩をすくめた。
「あたしはパンジェニー。よろしくね」
「東方の件の一派が手にした北方領内情の情報の糸をたどればあの男にたどり着く。あの男は東方の主導者と学生時代に接点があった」
 と、レキ。
「しかもその人物に、息子を師事させている」
「だからと言って――」
 銃士たちの口から繰り出される言葉を否定しようと、リレーネは言葉を探す、が、見つからなかった。何せあの男の事は何も知らない。
 リレーネは自分がひどく薄情な人間に思え、急に恐ろしくなった。今までもずっと恐ろしかったが、それでもどこか事態を他人事のように感じていた。
 自分の冷たさへの自覚が、恐怖と、対処しきれぬ事態に対する虚無感を連れてきた。
「連中の主張は、とどのつまり『冬眠の拒否』という点に要約される。だが俺たちは」
「聞きたくありませんわ」
 すっかり嫌になってリレーネはレルノイ隊長を遮った。
「聞きたくありません。私は疲れました。もう何も聞きたくありません」
「リレーネ、お願い。もう少しよ。もう少しだけ、聞いて」
「嫌!」
 癇癪を起こし、リレーネは叫んだ。立ち上がる。蓋の閉まった保温ポットが床を転がる。
 部屋から逃げる。
「リレーネ!」
「ほっとけよ」
 コンスティアと、もう一人誰かが言う。
 リージェスの声ではなかった。その事に何故か安堵する。


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