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文字数 1,137文字
4.
シンクルスの部屋を出た後、リージェスは部屋までついて来ると、廊下で躊躇いがちに尋ねた。
「リレーネ、何故あんな事を思いついた?」
ドアノブに手をかけたままリージェスの顔を凝視するが、彼はリレーネと目を合わせない。
もしかして傷ついているのだろうか。シンクルスではなく、まずリージェスに相談すればよかったかもしれない。
「……クルスさんにお話しした通りですわ。私も何かをすべきだと思いますの。リージェスさん、過ぎた願いかしら」
「あなたがここでできる事は限られている」リージェスは呟くように言った。「……あなたがそれを泣くほど気にしているとは思わなかった」
「もとより私にできる事など限られておりますわ。ここでなくとも」
自分にできる事などあっただろうか。
刺繍。裁縫。料理。自分がやらずとも、身の回りの誰かや使用人がやってくれる事だ。
ピアノ。これだって、下手なわけではないが、特技と言うほど上手いわけでもない。
絵。これなら。これなら唯一自信を持って、できると言える。
絵を描く事に何の意味など無かろうとも。
「リージェスさん、あなたを描いても宜しいかしら?」
「描く?」
「私、絵がとても得意ですのよ」
怪訝な顔で視線を合わせてきたリージェスに、気恥ずかしくなって肩をすくめた。
「おやすみなさい。良い夢を」
「……ああ」
一人の部屋の静寂の中で、リレーネは白いノートと鉛筆を取り出す。
遠く北方領の都には、完成間際のチューリップの丘の絵がある。
あともう数日、何もかもが遅れていたら完成していたはずの絵。
リレーネは知らない。シンクルスが伝えていない、今の北方領の惨状を。シンクルスがリレーネの耳に入らぬよう、周到に情報を遮断している、凍り砂の都の暴動の顛末を。
リレーネにもはや帰るべき家などない事を。リレーネのキャンバスに描かれたイマジネーションの源が、もはや血塗られてしまった事を。リレーネがスケッチブックに記した毎日の空想が、もはや燃え尽きてしまった事を。
リレーネは紙の上に解き放つ。チューリップの丘に吹く風を、一本だけ踏みにじられ枯れていたチューリップの嘆きを。
立て籠もりに利用され銃撃された画院から、折り重なって倒れた反王派の武装集団の骸の中から、運悪く巻き添えを食らった人々の骸の中から、ララトリィ先生の、キリエルの骸の中から、血霧の中から、リレーネは破壊され汚された自分の絵を見つけ出し、今この場所に、描くというたった一つの行為でもって絵画世界の救済を試みる。
窓がひどく泣いている。
外は風が強い、と、リレーネは漫然と考える。
窓を打つ風が部屋の中で吹き荒れている事に、彼女は気付かない。