7-5

文字数 3,514文字


 4.

 ハルジェニクが敗走した後の神殿に、第一陸戦師団の本隊が迫り来る。リゲル・ガムレドの寿命はシルヴェリアの到着まで引き延ばされた。
 地球遺物を収めた地下空間、〈禁室〉にいたるエレベーターシャフトを守る形で司令室は存在する。
 司令室に、護衛銃士のアイオラとアウィンが入ってきた。
 続いてリージェス。そしてリレーネが。
 ヨリス少佐が、拘束されたリゲルからリレーネへと視線を移した。ヨリス少佐は一見細身の、三十代半ばの男である。一重まぶたの細長い目は暗い翳りに満ちているようで、しかし、少し注意すればすぐに、身の内深くに燃え盛る苛烈な闘争心の炎を見出す事ができるだろう。
 リージェスとリレーネがリゲルの前に立っても、少佐は沈黙を守った。
 リレーネは静かに、面識のない叔父の顔を窺った。土気色の顔でうなだれている。
 リゲルは上目づかいにリレーネを窺った。それが軍人でも何でもない、ただの少女である事に気が付き、驚愕に貫かれて背筋を伸ばす。
「私が誰だかおわかりになりますかしら、叔父さま」
「……叔父さま?」
 リゲルは、初めて口をきいた。
「北方領総督セヴァン・リリクレストの娘、リレーネと申します。あなたの姪ですわ」
 この人は驚愕のあまり死んでしまうかもしれませんわ、と、リレーネは不安になった。そうしたら、私が殺してしまった事になるのかしら。それほどリゲルの驚きようは凄まじかった。両目を極限まで見開き、唇をわななかせ、意味のない言葉を呟いている。
「嘘、嘘だ、嘘、嘘、嘘だ」
 非戦闘員たるリレーネには、彼を無様とは思えなかった。立場が逆であったら、もっと怯えていたり、取り乱したり、泣き叫んでいるに違いないからだ。
「本当ですわ、叔父さま。もっとも私には、過去にあなたにお会いしたという記憶はございませんが……」
「嘘だ、何故だ、何故リレーネが! 兄上の末女がここにいる!」
「色々とありましたの。私は北方領総督の娘として南西領にいるのではありませんわ。私は今、自分の意志でここにいるのです。すなわち……叔父さま、私とあなたは敵同士ということになりますわ」
 リージェスが前に出て、庇うようにリレーネの体の前に己の腕を突き出した。リレーネは大人しく下がった。
 リージェスが銃を抜き、銃口をリゲルの顎の下に突き付けた。ヨリス少佐はぴくりと動いたが、すぐに構えを解いた。リージェスの銃に安全装置がかかっているのを見てとったからだ。
「じゃあ次は、俺のことを思い出してもらおうか」
 今度はリレーネが驚愕する番だった。
「リージェスさん、何をなさるの」
「俺は元北方領所属の王領護衛銃士リージェス・メリルクロウ少尉だ。この顔とこの名に覚えはないか」
 リゲルは恐怖に息を荒らげながらかぶりを振るばかり。
「そうか……では、リージェス・アークライトの名ならどうだ?」
 首を横に振る、その動きが止まる。
 リージェスは、彼の復讐を遂げようとしている。
 その後どうなるのか、リレーネにはわからなかった。ただ、リージェスは、過去の出来事をリレーネに曝け出そうとしている。……リレーネが既にそれを知っているとも思わずに。
「思い出したようだな」
「……何故。何故だ? お前は奴隷として売られたはずじゃ」
 リージェスはリレーネの言葉を真似し、
「色々あったんだ」
 リゲルを遮った。
 唐突にリゲルから激しい光を宿す目を向けられて、リレーネは立ち竦んだ。
「助けてくれ! リレーネ!」
 怯える体に、後ろから、アイオラが手を添えた。
「この男は――この男は――かつてリリクレスト家が所有していた奴隷だ! 騙されてはならんぞ、リレーネ! この男はお前を憎んでいる!」
「存じておりますわ!」
 気付いた時にはリレーネは叫んでいた。
「……何だと?」
「この方の過去のことなど、とうに存じていると申し上げたのですわ、叔父さま。この方が過去に何であったとして、どうだと仰いますの?」
 リージェスの横顔は、リゲルに視線を注いでいるままだ。リレーネを見ようとしない。彼が何を考えているかわからず、リレーネは不安になり、ついで怖くなった。
「リージェスさん……ごめんなさい、私は」
「知っていた」
「えっ?」
「あなたが俺の背中の傷について知っている、ということを、俺は前から知っていた。俺の方こそ知らないふりをしていたんだ」
「……どうして、知ってらっしゃるの?」
 全く思いもしない反応だった。そんな事を、アズレラやブレイズやシンクルスが口外するとは思えない。となると、答えは一つしかない。
「……あの時は……眠っていらっしゃるのかと思っておりましたわ。聞いていらしたのね」
「というよりは、聞こえていた。素知らぬふりして、あなたが俺にどう態度を変えるか見てやろうと思ったんだ」
 リージェスは銃をおろし、ホルスターに収めた。
「すまんな」
「……いいえ。いいえ! そんなの、全く大した問題ではありませんわ」
「狂ってる」
 望みを絶たれたリゲルが呟いた。
「狂ってる、お前は父親や俺を裏切り、そんなどこの種から生まれたかもわからんような男を庇うんだな。地獄におちろ、あばずれめ! 死んでしまえ!」
 アウィンが隣で舌打ちする。
 司令室の両開きの扉が開かれた。
 シルヴェリアが立っていた。リゲルは、この若き女性が師団長であるとは思わなかったようだ。しかし、彼の寿命の時がきたことには違いなかった。
「そなたが、リゲル・ガムレドか」
 リゲルは歯を食いしばって泣いている。答えない。が、仲間たちが無言でシルヴェリアに頷いた。
「……さて。敵将の首、誰に獲らせるが相応しいかな。どうじゃ、ヨリス少佐」
「恐れながら、このような者には将として死なせる値打ちはございません。即刻銃殺してしまうが宜しいでしょう」
「よかろう」
 シルヴェリアは鷹揚に頷き、リージェスとリレーネを振り向いた。
「メリルクロウ少尉、リリクレスト嬢を連れて退室せよ」
「はっ」
 リレーネはリージェスの背中に続いて地下司令室を出た。最後に振り返った時、リゲルが縋るような眼差しで自分を見送っていることを知った。
 さようなら、叔父さま。胸の内だけで呟いた。ほどなくして、一発の銃声が廊下を打ち震わせた。

「この中にゲート砲台を担当した者はおるか!」
 次にシルヴェリアは、神官たちの宿舎の食堂に向かった。武装解除されたうえ一まとめにされた神官たちが、広い食堂を埋め尽くしている。
 答える声はなかったが、神官たちが一部でそっと目線を交わし合うのがわかった。その目線が集まる場所で、一人の男が立ち上がった。
「俺だ」
「……ほう」
 シルヴェリアは従卒を引き連れて神官たちの間を縫い、後ろ手で手錠をかけられた、その神官の前に立った。
「名を名乗れ」
「バジリュース・メレディ、砲兵長だ。あんたの言いたい事はわかってる……俺は今回の防衛戦に当たり、砲台の守備を放棄した」
「前もって打ち合わせていたのであろう。そうとしか考えられぬ動きであったと聞くぞ」
「そうだ。一部の部下たちに、南西領に降伏しろと根回ししてあった」
 神官たちがざわめいた。
「裏切り者め」
 声がした方を砲兵長は睨むが、反駁の声はあげなかった。
「何故だ? メレディ砲兵長。これほどの規模の神殿に立て籠もりながら、我が軍勢に恐れをなしたでもあるまい」
「……未来がないからだ」
 シルヴェリアの眼に鋭い光が走る。
「未来とな」
「どうにもならねぇんだよ。神官将や神官大将、総督の方針に付き従ったところでな。何にもならねぇんだ。冷凍睡眠システムが不完全なのはわかってる。それを目覚めさせて、更にそれを巡って殺し合いをさせられるなんて俺はごめんだね。俺の部下たちもだ」
 メレディは乾いた笑いをこぼし、首を竦めた。
「どうせ死ぬなら、あんた方のやり方に加担してみた方が面白い。そうだろ?」
「面白い、か。斯様な価値基準のもと己の将を見はなすとはな」
 シルヴェリアの目には愉悦が宿っている。が、メレディはもう笑っていない。
「そういう事だ。俺は砲台を守る部隊の指揮官だ。いや、指揮官だった。お前らに首を斬られても文句はねぇ……だが俺の部下たちは助けてくれ。いいや、使ってくれ。役に立つ。必ずだ」
「当然じゃ。神官を無意味に殺戮などできぬ。神官なしに、我らだけで神殿の遺物に触れる事など叶わぬからな。……そなたもだ、砲兵長。今生き残っている神官たちにもだ。役に立ってもらう」


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