8-1

文字数 3,029文字


 1.

 司令室奥の扉の二重ロックを解除し、冷たい光に満ちた広い廊下を渡る。廊下の奥、エレベーターを降り、さらに長い階段室を降りた先が禁室だった。
 アズレラが、禁室の扉のハンドルを握る。目盛りに合わせてハンドルを左右に回すと、厚い扉が開いた。
 薄青い闇に満ちていた。扉の音が幾重にも反響し、吸いこまれそうな広さを予感させる。足を踏みこむ。鉄路の下に、咲き誇る花のように青い光が点々とともっている。
 底がどれほど深いのか、リレーネには予測もつかない。闇を見ていると、たちまち眩暈を起こし、禁室の底深くへ転落しそうになる。
「アズレラ、リレーネを保管室へ」
 シンクルスの声がすぐ近くから聞こえた。スピーカーがあるのだ。
 アズレラに先導され、螺旋状の鉄路を下る。途中、階段や梯子があった。底が迫るにつれ光が濃くなる。底に着く頃には、隣のアズレラの表情が見えるほど明るくなっていた。
「このまままっすぐ行ったとこだよ。足許に気を付けて」
「はい、アズレラさん」
 禁室を貫く通路の両側に、繭のような形の奇妙な物体が並んでいる。その一つ一つがコンソールだと、歩いている内にわかってくる。上から見た青い光の正体だ。
 禁室の最深部に、それが置かれていた。
 地球人が残した無人偵察舟艇〈バーシルⅣ〉。
 大きくて平たい三角形。
 それが、生まれて初めて目撃する、空を飛ぶための機械に対して抱いた印象だった。薄墨色に塗装された機体に梯子がかかっている。
「コクピットに……」シンクルスは少し口ごもり、言葉を変えた。「上の方に、天井が開いた部分があるだろう。梯子を上り、そこに入るがよい」
 リレーネは躊躇いののち、梯子に触れた。冷たい。この航空機に触れる事自体が重大な禁忌に思え、禁忌を犯すのが自分一人だけである事実がリレーネを怯えさせた。
「乗りこんだら天井がおりるが、慌てる必要はない。座席に座りヘルメットをかぶるのだ」
 シンクルスが言うとおり、乗りこんだリレーネが座席に座ると、窓と天井を兼ねたような乗降口が静かに閉ざされた。一つしかない座席はリレーネの体には大きすぎる。重いヘルメットを手に取り、被ると、シンクルスの声が今度はヘルメットの中から聞こえてきた。
『リレーネ、俺の声が聞こえるか』
「聞こえておりますわ。私の声はどうです?」
『問題ない。よく聞こえている』
 ヘルメットが重くて頭がぐらぐらする。後頭部を座席に押し付けるようにして、リレーネは頭を支えた。
『先の説明の通り、〈バーシルⅣ〉は駆逐陽動艦〈バテンカイトス〉に属する戦術戦闘機だ。無人機だが有人飛行もできる』
「創造主たちは……地球人たちは、何のためにこのような兵器をお造りになられたの? 真の平和と平等を手にしたと言われる地球人たちが、何と戦うために?」
『もともとは、地球人同士で戦うためでなかったことは確かだ。そう……もともとは』
 その意を問おうとした時、視界の下の方に緑の光が走った。
 幾列もの四角い緑の光の枠が手許に現れる。四角の中にはまるで見覚えのない図像がそれぞれ描かれていた。
『ヘルメットバイザ―越しの視界はこちらのモニターにも反映されている。リレーネ、それはキーボードだ』
「では、これは文字ですの? 地球の?」
『そうだ』
 シンクルスの言によれば、一口に地球人と言っても、そこには様々な人間の種類があり、国があり、信仰があり、文字があったという。
 言語生命体は地球の各地で産み落とされ、それがまとめてアースフィアに置き去りにされたのだから、地球人から見ればアースフィア人は様々な人種や国籍の人間の寄せ集めである。
 しかし、アースフィア人にはそのような意識はない。アースフィア人はアースフィア人でしかない。地球人と、被造物。何より千年の時の流れが、もともとの人種も国籍も、すべてアースフィアという土地の上で混ぜ合わせてしまった。
 地球は、到底ただちに理解などできない異世界だとリレーネは感じる。
 ヘルメットバイザーの内側に、緑の光点が現れた。随分と視界の遠くに照射されている。ダーツの的のようだ。焦点を合わせると、光がまっすぐ目に飛びこんできた。左目の眼球に微かな圧力を感じ、顔面が熱くなった。
 説明は事前に受けている。バーシルⅣが、パイロット席に乗りこんだ人間の身体検査をしているのだ。
 アースフィア人の体には、自然と体を崩壊させる分子キーが組みこまれている。言語子と呼ばれるキーの働きは太陽光によって抑えられているが、もともと言語子の働きが極端に弱く、それゆえ言語崩壊が起きにくいアースフィア人がいる。それが『鍵』だ。
 無数の文字列が表示され、流れ去り、消えた。リレーネにはどれも読むことができなかった。
『検査は終わりだ、リレーネ。言語子検出検査の結果、バーシルⅣはそなたをアースフィア人と認定しなかった』
 リレーネは大きな安堵がこみ上げるのを感じてため息をついた。バーシルⅣがリレーネを拒否したら、これまでの旅は全て無駄になっていた。
『リレーネ、今から言う順番にボードを操作してほしい』
「はい、クルスさん」
 指示の順番通りに、見慣れぬキーボードを押していった。長く時間がかかったが、シンクルスは決して急かしたりしなかった。
「今、私はどのような文章を入力しましたの、クルスさん」
『要約すると、私は地球の民間人で、救助を必要としている、という内容だ。それを母艦に送った』
「あとは応答を待つだけですわね」
『そうだな』
『少しいいか』
 別の声が割りこんだ。
『如何した、メレディ砲兵長』
『変だ……指示通り、バーシルⅣから母艦に送信された一か月分の信号を解読したが、母艦がそれを受け取ったという情報がない』
 それが何を意味しているのかすぐに理解できず、リレーネは誰かが口を開くのを待った。
『……バーシルⅣは母艦の無応答にどう反応しているか?』
『応答を求める信号を送っている。一か月ひたすら現状報告と、それだけだ。今日も何もありませんでした、お返事ください、ってな。もっと遡ってみるか? 同じだと思うがな』
「バーシルⅣが母艦と交信できていないという事ですわね。何故かしら。母艦が壊れていなければよいのですけれど」
『あるいはバーシルⅣが、であるな。状況を精査する必要がある。単に母艦がバーシルⅣより発信される情報を無用と判断し、無視を決めこんでいるだけかも知れぬ。ならば先ほどの救助要請には何らかの応答を寄越すはずだ。リレーネ、今日はもうよい』
 ヘルメットを外すと、乗降口が開いた。シンクルスの声が禁室内のどこかのスピーカーから聞こえてきた。
『何もかも思い通りにはゆかぬ。あまり案じられるな』
 禁室を出ると、地下司令室の前の廊下でリージェスが待っていた。
「終わったか」
 リレーネは少しの間硬直し、見たところリージェスに怪我がなさそうだと確かめると、返事をせずに駆け寄った。
「リージェスさん! ご無事ですの?」
「ああ。リレーネ、疲れただろう。シンクルスはもう休んでいいと?」
「ええ。あとはシンクルスさんや神官さんたちが……」
 応答なし。
 その不安を押しとどめ、リレーネは言い切った。
「きっとうまくやって下さるわ」
 リレーネはリージェスの二の腕に触れた。抱き寄せられるまま抱擁を交わす。


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