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文字数 4,544文字

「リレーネ! リレーネ、待って」
 森の中の道に入ったところで、コンスティアに手首を掴まれた。リレーネは怒って振り払おうとしたが、捕まったことに安堵した。誰も追いかけて来なかったら死ぬしかない。
「もう嫌!」
 振り払おうとすると、コンスティアはあっさり手を離した。バランスを崩した途端、足首に痛みが走り、ほとんど転ぶようにうずくまってリレーネはそのまま悲鳴のような声で泣いた。
「嫌です! 私は何もしたくありません! お父様のところに帰してください」
「リレーネ――」
「勝手を仰るのはおやめになって。あなた方のためなんかに、これ以上一歩だって動くものですか。帰して! 帰して」
 リレーネが泣いている間、コンスティアは隣に立ったまま、何も言わなかった。
 もう一人、誰かが歩いて来た。パンジェニーだ。
「こんな所にいたのか。おお、よしよし。怖かったね」
 パンジェニーは若干投げやりに言うと、屈んでリレーネの肩を叩いた。
「家に帰してください」
「駄目だ。ごめんね、こんな目に遭わせといてさ。でも駄目なんだ。あたしらにはリレーネが必要なんだよ」
「嘘」
 リレーネはしゃくりあげながら、顔を上げてパンジェニーを睨んだ。
「さっき、どなたかが私の事など放っておけと仰ってましたわ」
「あいつか」
 パンジェニーは舌打ちし、顔をしかめた。
「ウィーグレーはああいう奴なんだよ。気にすんなって」
「ウィーグレー?」
「あのデカくてむさ苦しい毛むくじゃらだよ。ヤな奴だよ、無頼漢気取りでさ。馬鹿じゃないの。銃士の仕事をナメてんだ」
「パンジェニー、そんな言い方……」
 立ったまま、コンスティアが躊躇いの滲む声で諭す。リレーネも、泣くのが馬鹿らしくなって立ち上がった。それを待っていたかのように、コンスティアが顔を覗きこむ。
「リレーネ、私たちは船に乗るの」
「……いいのかい、今言っちゃって」
「隊長の口から伝えるはずだったけど、構やしないわよ。今戻ってもさっきと同じ事になるだけでしょ」
 パンジェニーは反論しなかった。
「船?」
 海を越えて太陽を追いかけるとでも言うつもりだろうか。
「宇宙船よ」
 コンスティアは声を潜めて、秘密めいた口ぶりで囁く。
「アースフィアを軌道周回する無人の戦艦よ。この宙域に残された全ての戦艦を呼び寄せて、人々を収容するの」
「乗るとはどのように。私たちアースフィア人は、この星を離れるどころか、空を飛ぶ技術を持つことだって許されておりませんわ」
 そんな事をしたら、天籃石(てんらんせき)の天球儀を傷つけてしまう。太陽熱の循環システムが破壊されたら、アースフィアに人は住めなくなってしまう。
 リレーネはまたも仰ぎ見る。天球儀を。この星を覆う檻を。
「地球におわす創造主たちは、この地上から宇宙に飛び立ち、遥か地球へお帰りになった。千年前の神界戦争の終わりに」
「その時すでに天球儀はあったからね。天球儀を傷つけずに宇宙に出る方法はあるんだ。技術は神官たちが保持している。神官や神殿がどういうものかはわかるね?」
「神殿は、私たちの創造主がこの星にお残しになった聖遺物を祀る場所ですわ」
「そうだね。聖遺物ってのは要するに地球文明の遺産だ。アースフィアの文明レベルではその技術を理解できない」
「そのために神官があるのでしょう。地球の技術と文明を脈々と受け継ぎ、聖遺物を保持するために」
「そう。神官には、頭さえよけりゃ誰でもなれる。けれど各神殿の神官を束ねる神官将はそうじゃない。創造主……地球人の血を引く者じゃなきゃ駄目なんだ。それは知ってるかい」
「ええ」
「じゃあ、理由は?」
 リレーネは首をかしげた。
「地球人の血を引く人間じゃなきゃ、聖遺物にアクセスできないからだ。その血筋の家に生まれた子供は、五歳になるとその血がどれほど強く表れているか身体検査をされる。リレーネもされたはずだよ」
「覚えておりませんわ」
「そっか、五歳だもんね。じゃあ別にいいや。とにかく、あまり知られてない話だけど、特に強く地球人特有の遺伝子の特徴を持つ人間を『鍵』と呼ぶんだ」
 鍵。
 そういえば、さっき誰かの口からその言葉を聞いた。
「……あの隊長だわ。私の事を『鍵』と」
 パンジェニーは目をそらさず頷いた。コンスティアはというと、何か痛ましいものを見る目でリレーネを見ている。
「本当ですの? 私が『鍵』だというのは。だからあなた方は私の事を?」
「『鍵』と言うのは、この場合、つまりね――」
 今度はコンスティア。
「創造主たちが放置していった、宙域に散らばる戦艦への鍵よ。いわば地球につながる鍵」
 リレーネはぼんやりコンスティアの顔を眺めた。
 まるで本当の事だとは思えない。
 何もかも。
 もはや十七年前に生まれてきた事さえ。
「戦艦には『言語の塔』から乗りこむんだ」
 パンジェニーが教えてくれる。
「『言語の塔』はかつて宇宙港の役目を果たしていた。しかし、たとえ神官将の地位にある者であっても、『鍵』でなければその役割を塔に果たさせることはできない。あるいは地球人でなければ。俺はそう聞いている」
 と、リージェスまでもが教えてくれた。
 言語の塔は五つの天領地の最果てにそれぞれ一か所ずつ存在する、各天領地の最大聖地だ。
 天を衝くほど高く聳えると言われるその塔は、神殿の一種でもありながら、神官将以上の地位の神官しか立ち入ることはできない。
 しかし、その神官将ですら神殿に祀られる聖遺物の封印を解除することができないと、銃士たちは言った。
 パンジェニーもコンスティアもリレーネも、リージェスを凝視する。
「何だ」
「いや、あんた、いつからいたんだよ」
「いたらおかしいか。様子を見に来たんじゃないか」
「はぁん」
 パンジェニーは片手を腰に当てた。
「あんた、この子が気になるんだ」
「ふざけるな、そいつに何かあっては俺のした事が無駄になるだろう。それだけだ」
「素直じゃないねぇ。堅物なんだからさ」
 リージェスは苛立ちもあらわに目を吊り上げたが、何も言わなかった。コンスティアが間に入った。
「リージェス、戻るのが遅くなってごめんなさい。する予定だったお話、あらかたここで話してしまったわ」
「別に構わないんじゃないか? とりあえず聞いてさえおいてもらえればそれでいい。今すぐ理解しろだの納得しろと言うつもりもないだろう」
 リージェスが自分と向き合い、反応や顔色を見ようとするのを待った。しかし彼は、仲間の銃士たちを見るだけで、自分には目もくれない。初めから存在しないような話し方をする。
 仲間たちへの態度を見るに、誰にでもというわけではなく、自分にだけ冷たいのだ。
 何故嫌われているのかわからず、泣きたくなった。
「俺はシンクルス様のもとに『鍵』をお届けできればそれでいい」
 リレーネは勇気を出してリージェスに尋ねてみた。
「誰ですの、その方は」
 しかしリージェスは振り向かない。凍りつくような沈黙の後、答えてくれたのはコンスティアだった。
「北方領に離反した私たちの今の指揮官よ。……あなたのお父様にとっては、国王陛下に背く反乱者の黒幕の一人という立場になるわ」
「その方は、いえ、あなた方は何故国王陛下に背くのです? 東方の一派が、冬眠をしたくないから王に背くという事は理解ができました。あなた方も同様ですの? ……だから船を目指しておりますの?」
「王は統治を放棄している」
 リージェスが答えた。
 独り言のように。
 独り言かもしれない。
「神官たちが王政府に非協力的なのは、王や家臣やその家族だけが助かろうとしているからだ。『鍵』を使ってな。……だから神官たちは王に地球技術の開示などしないだろう。腑抜けた王のために、千年受け継がれてきた神官の存在意義を手放すはずがない」
「それじゃあ、『鍵』も手渡さないし、『言語の塔』も戦艦も渡さない。神官たちの協力がない限り、冬眠計画は机上の空論という事ね」
「あたし、そこまでの話は聞いてないよ」
「王についての情報なら、断片的だがシンクルス様よりお預かりしている」
「そっか。リージェスと隊長はその人と話した事があるんだ。どんな人なの?」
 リージェスは動揺したように緑の瞳をさまよわせ、伏せた。
「俺も声しか知らない。名前だって本名かどうか」
「何か聞き出せたことは?」
「ない。ただ、古風な言葉遣いをする男だった。西方領か南西領の……高貴な生まれの人間だろう。神官かも知れない。その方面の話に詳しかったから」
 川の方から、装甲車を出た銃士たちの話声が聞こえてきた。
「……そろそろ戻ろう」
「そうね。パンジェニー、悪いけどその子を私たちの車に連れて行ってもらえるかしら」
「うん」
 コンスティアとリージェスが、森の中の道を並んで川へと下ってゆく。
「行こうか」
 リレーネはパンジェニーに連れられて、森の中に入って行った。
 その先に開けた空間があり、別の大きな道と繋がっている。
 そこにまた車があった。先ほどの二階建てのものほど大型ではないが、それでもリージェスが自分をさらった時の装甲車と同程度の大きさがある。
 それぞれがかなり高価であるはずだ。七人の銃士とリレーネのためだけに、三台もの軍事装甲車が用意されている。
 もう既に、逃れようもない大きな力に絡めとられてしまっている事実を、車の存在を介してリレーネは悟った。
 私の存在が、この人たちを〈日没〉から救うのに必要なんだわ。リレーネはその事に、自分の意義を見出そうと努める。そして、この人たちを助けるという道が、自分の身を助ける唯一の道に違いないのだろう。
 もし自分が都に残っていたら、王が自分たちが助かる事しか考えていないという話が本当なら、自分はそのまま生き延び得たか、リレーネは勘定する。
 父は、北方領総督は、国王陛下にとって最も信のおける臣下だ。置き去りにされるはずがない。
 父はその時リレーネを連れて行こうとするだろうか。
 しないかもしれない。
 すでに政治の世界で頭角を現し始めている兄たちだけを連れて行くかもしれない。
 そう考える事は、殺されてしまったマゴットについて何も庇う言葉を思いつけなかった事より、遥かに怖かった。
 鳩尾の奥に重い痛みが落ちてきて、リレーネは涙を流す。その涙をぽたぽたぽたと零しながら、装甲車に入っていった。
 車の奥に二段の寝床があった。その一段目に座らせて、パンジェニーが親指でリレーネの涙を拭う。
「よしよし、泣くんじゃないよ。元気をだしな」
 リレーネは無言で会話を拒んだ。パンジェニーも一言だけ、
「ここにいてあげるからさ」
 と言い残し、カーテンを閉めてしまった。
 枕もとで天籃石の結晶が、蓄えた太陽の光を優しく放っている。布団にくるまって背中を丸め、胎児の姿勢になって、リレーネは寝付くまで泣いた。
 この先に何か一つでも良い事があるような気は全くしなかった。かと言って、都に残ってもやはり良い事はなかっただろう。


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