第1話 高校1年、デビュー失敗
文字数 2,140文字
僕は東矢一人 。
これからするお話は、僕が新谷坂 高校に入学してからの、だいたい3年間の話だ。
僕は今から、僕が開いた怪異の扉の後始末をしようと思ってる。
だから最後の記念にこれまでの思い出を書き記す。
最初の話は・・・やっぱり扉を開いたところから始めよう。
入学当初の4月末。
末井來々緒 さんっていう同級生と深夜に新谷坂山に登ったのが全ての始まり。
僕らはそこで、小さな怪異と知り合い、新谷坂山の深奥にたどり着くことになった。
結局のところ、どうすればよかったのかはよくわからない。でも、何もしなければ僕はものすごく後悔したと思う。だから、選択に悔いはない。
この話みたいに、僕が扉を開いたことで助けられたことも、開いたからこそ出会えた友達もいる。けれどもこの数年間で想像のできないような恐ろしいことや悲しい事件もいっぱいあった。変わらないことも、変わりすぎたこともたくさんあった。
このお話がどんな結末になるかはまだわからないけど、僕の友達みたいに、前向きでいたいと思ってる。
誰かが僕のことを覚えてくれていることを願って。
◇
僕はもともとは、新谷坂町のある神津 市の東隣の三春夜 市に暮らしていたんだけど、春休みに僕だけ神津市に引っ越してきた。
僕の両親は転勤が多い。中学3年から高校1年に上がる春に、二人とも別々の場所への転勤が決まった。そのあとも転勤が続くようだ。これまでも転校人生だったので、せっかくだからひとところに落ち着きたいな、友達もほしいな、と思った。そう親に言うと、子どもっぽくないな、と笑われた。
両親と相談して神津市の寮制の高校の説明会にいった。自由な校風に寮での規律ある暮らし。忙しくて僕の面倒をみるのが大変だった両親を説得するには十分な条件。
受験して、合格した。新しい生活にはちょっとだけ希望があふれてた。
ところが新谷坂高校に入学してからも、結局僕の生活はぱっとしなかった。ようは、高校デビューに失敗したんだ。転校続きで継戦的コミュ力が低かったんだと思う。人間関係って、難しい。
新谷坂高校は寮制の高校だから地元の子は少ないと思っていたんだけど、独特な校風のためか半分くらいは地元の子だった。地元の子は地元の子ですでにグループができていて、転入組もなんとなく自然とグループができあがっていく。僕はというとその流れになんとなく乗り遅れ、気が付いた時は、すでにポツンと一人だった。
正直、自己紹介のときのアレも悪かったんだと思う。
あれは4月当初のクラスのざわざわした自己紹介の時間。校庭の桜もまだ鮮やかなピンク色をまとっていた頃。
「東矢一人です。東の矢に一人と書きます。隣の三春夜市から・・・」
「一人? ボッチ?」
静かな教室に響くナナオさんのつぶやきに、教室の空気が凍り付いた。
十秒ほど無音の世界が過ぎた後、ナナオさんはきょろきょろと周りを見回して、
「あ、ごめんごめん。悪気ない」
と手を軽く擦り合わせながら謝った。
ナナオさん自体は本当に悪気はなかったらしい。でも、出合頭の「ボッチ」発言は、同級生にとってもどう対処していいかわかない問題で、その結果、同級生には微妙な距離を取られてしまった。なんという不意打ち。
そんな中で僕に声をかけてきてくれたのは、そもそもの発端のナナオさん。ナナオさんは、地元出身の人で、なんていうか、いわゆるギャルっぽい人だ。明るい金色の髪を頭の上にくるりと結い上げて、制服も肩を出して着崩している人。新谷坂高校は制服はあるけど、服装規定はかなりゆるい。
クラスでは『ナナ』と呼ばれていて、パッと見はちょっと怖かったけど、とても面倒見がいい人だ。さっきの『ボッチ』みたいに何の気なしの発言がちょくちょく自由に人に刺さってるけど、周りを明るい雰囲気にさせる人。憎めない。
僕とナナオさんは怪談話が好きっていう共通点もあったので、時々ナナオさんが話しかけてくる、という関係に落ち着いた、気がする。それからナナオさんは『ボッチ』という発音が気に入ったらしく、僕が嫌がらないかを確かめてから、僕をボッチーと呼ぶことに決めたようで、今もナナオさんからはボッチーって呼ばれてる。当然ながら、他の人からは呼ばれていない。
最終的に同級生との関係も悪いって感じでもなくて、ちょっと距離を置かれたくらいで落ち着いた。話しかければ普通に会話するけど、わざわざ話しかけても来ないという、僕の希望とは少し違う結果。
さて、冒頭に戻って、僕が怪異の扉を開けたのは4月の終わり、ゴールデンウィーク直前で、その話はナナオさんが持ってきた。クラスがゴールデンウィークに沸きたって、なんとなくみんなそわそわしていたころだと思う。
でも、ナナオさんが持ってきたのは、怪奇現象の話だった。
「なーボッチー。新谷坂山の封印の話って知ってる?」
これが、僕が開くことになってしまった怪異の扉の始まり。
新谷坂山はこの学校が建っている山だ。
ナナオさんと同じく怪談話が大好きだった僕は、思わず答えてしまう。
「えっ何それ! どんな話?」
これからするお話は、僕が
僕は今から、僕が開いた怪異の扉の後始末をしようと思ってる。
だから最後の記念にこれまでの思い出を書き記す。
最初の話は・・・やっぱり扉を開いたところから始めよう。
入学当初の4月末。
僕らはそこで、小さな怪異と知り合い、新谷坂山の深奥にたどり着くことになった。
結局のところ、どうすればよかったのかはよくわからない。でも、何もしなければ僕はものすごく後悔したと思う。だから、選択に悔いはない。
この話みたいに、僕が扉を開いたことで助けられたことも、開いたからこそ出会えた友達もいる。けれどもこの数年間で想像のできないような恐ろしいことや悲しい事件もいっぱいあった。変わらないことも、変わりすぎたこともたくさんあった。
このお話がどんな結末になるかはまだわからないけど、僕の友達みたいに、前向きでいたいと思ってる。
誰かが僕のことを覚えてくれていることを願って。
◇
僕はもともとは、新谷坂町のある
僕の両親は転勤が多い。中学3年から高校1年に上がる春に、二人とも別々の場所への転勤が決まった。そのあとも転勤が続くようだ。これまでも転校人生だったので、せっかくだからひとところに落ち着きたいな、友達もほしいな、と思った。そう親に言うと、子どもっぽくないな、と笑われた。
両親と相談して神津市の寮制の高校の説明会にいった。自由な校風に寮での規律ある暮らし。忙しくて僕の面倒をみるのが大変だった両親を説得するには十分な条件。
受験して、合格した。新しい生活にはちょっとだけ希望があふれてた。
ところが新谷坂高校に入学してからも、結局僕の生活はぱっとしなかった。ようは、高校デビューに失敗したんだ。転校続きで継戦的コミュ力が低かったんだと思う。人間関係って、難しい。
新谷坂高校は寮制の高校だから地元の子は少ないと思っていたんだけど、独特な校風のためか半分くらいは地元の子だった。地元の子は地元の子ですでにグループができていて、転入組もなんとなく自然とグループができあがっていく。僕はというとその流れになんとなく乗り遅れ、気が付いた時は、すでにポツンと一人だった。
正直、自己紹介のときのアレも悪かったんだと思う。
あれは4月当初のクラスのざわざわした自己紹介の時間。校庭の桜もまだ鮮やかなピンク色をまとっていた頃。
「東矢一人です。東の矢に一人と書きます。隣の三春夜市から・・・」
「一人? ボッチ?」
静かな教室に響くナナオさんのつぶやきに、教室の空気が凍り付いた。
十秒ほど無音の世界が過ぎた後、ナナオさんはきょろきょろと周りを見回して、
「あ、ごめんごめん。悪気ない」
と手を軽く擦り合わせながら謝った。
ナナオさん自体は本当に悪気はなかったらしい。でも、出合頭の「ボッチ」発言は、同級生にとってもどう対処していいかわかない問題で、その結果、同級生には微妙な距離を取られてしまった。なんという不意打ち。
そんな中で僕に声をかけてきてくれたのは、そもそもの発端のナナオさん。ナナオさんは、地元出身の人で、なんていうか、いわゆるギャルっぽい人だ。明るい金色の髪を頭の上にくるりと結い上げて、制服も肩を出して着崩している人。新谷坂高校は制服はあるけど、服装規定はかなりゆるい。
クラスでは『ナナ』と呼ばれていて、パッと見はちょっと怖かったけど、とても面倒見がいい人だ。さっきの『ボッチ』みたいに何の気なしの発言がちょくちょく自由に人に刺さってるけど、周りを明るい雰囲気にさせる人。憎めない。
僕とナナオさんは怪談話が好きっていう共通点もあったので、時々ナナオさんが話しかけてくる、という関係に落ち着いた、気がする。それからナナオさんは『ボッチ』という発音が気に入ったらしく、僕が嫌がらないかを確かめてから、僕をボッチーと呼ぶことに決めたようで、今もナナオさんからはボッチーって呼ばれてる。当然ながら、他の人からは呼ばれていない。
最終的に同級生との関係も悪いって感じでもなくて、ちょっと距離を置かれたくらいで落ち着いた。話しかければ普通に会話するけど、わざわざ話しかけても来ないという、僕の希望とは少し違う結果。
さて、冒頭に戻って、僕が怪異の扉を開けたのは4月の終わり、ゴールデンウィーク直前で、その話はナナオさんが持ってきた。クラスがゴールデンウィークに沸きたって、なんとなくみんなそわそわしていたころだと思う。
でも、ナナオさんが持ってきたのは、怪奇現象の話だった。
「なーボッチー。新谷坂山の封印の話って知ってる?」
これが、僕が開くことになってしまった怪異の扉の始まり。
新谷坂山はこの学校が建っている山だ。
ナナオさんと同じく怪談話が大好きだった僕は、思わず答えてしまう。
「えっ何それ! どんな話?」