第27話 『サニー』の胴体

文字数 5,547文字

「あら? ここに人は入れないんじゃないの?」

感情のこもらない、女の人の少し高い声がする。

「…………ぁあ、彼、は、僕の、お客さん、だ。とて、も、愚かで、喜ば、しい」

ひどくザラついた、聞きづらい音が笑う。

「その人を、離してあげてくれないかな?」

僕は陰に向かって言う。

「無理よ、もう、だいたい死んでるわ」

その時、路地は神津スカイオフィスの影の領域から外れ、陽の光がその光景を薄く照らした。

そこにいたのは、体から不釣り合いに大きな白い蛇をはやした女の人と、蛇に巻き付かれて変な角度に首を曲げた男の人。首だけじゃなく、体の全てが変な方向に曲がっていた。

蛇に巻き付かれた男、『よっち』さんの首は右肩よりも後ろを向いてねじ曲がり、びくびくと体中を痙攣させている。表情はすでになく、薄く開かれた口の端からは、すでに乾き始めた赤茶色の液体の上から、透明な唾液がこぼれていた。『よっち』さんの体に巻き付き締め上げるのは、胴回り1メートルほどの白磁のように滑らかな蛇の体。その胴体のすき間から、『よっち』さんの本来の人の形からはあり得ない配置で足や手がはみ出ていて、蛇の胴体によって隠された内側の『よっち』さんの断裂を思わせた。蛇の長い肢体を目で追うと、その起点はサニーさんの大きく広がった二つの肩甲骨の間に窮屈に収まっている。背中が開いた白いワンピースの影で、サニーさんの白い肩甲骨と白い蛇の小さな鱗が複雑に混じり合っていた。蛇がサニーさんのワンピースから脱皮している途中のように、蛇の終わりにサニーさんの頭と腕が生えているといったほうが、正しいのかもしれない。

蛇はあごを少し膨らませ、『よっち』さんを足元からゆっくりと呑み込んでいく。胴体が飲み込まれるにつれ、『よっち』さんのちぎれかけた両腕が自然と頭の上にあがり、頭がすっかり飲み込まれる時には、蛇の口からはちょうど両腕の肘から先だけが見え、ぶちりとかじり取られる音がして、その片方が女の人、サニーさんの前にぽとりと落ちた。
サニーさんはカバンから向日葵の柄の布を取り出し腕に巻きつけ、興味を失ったように路面に放り投げる。布はすぐに赤く染まり、柄は見えなくなった。

蛇はごきゅりごきゅりと『よっち』さんを飲み込んだまま、胴体をくゆらせてこちらを振り向く。蛇からは確かに、新谷坂の封印のつながりを感じた。そして、それよりも圧倒的な、僕を飲み込むような恐怖。全身の毛がそばだつ。

「さに、い。こちら、は、僕、のお客、だ。少し、時間を、もら、う」

蛇の目はうっすらと笑っているように思えて、染み出す濃い悪意に僕の歯がガチガチと鳴る。そこでようやく藤友君の言葉を思い出し、逃げ出そうとした時には遅かった。足を後ろに一歩引いた瞬間、左腕に痛みが走る。見ると、左腕に細い金属のブレスレットを巻いたような、輪のような白銀のアザができていた。アザ を通して左腕から恐怖が僕の体にねじ込まれ、背骨に至って体はすっかり強張って、小指一本動かすのも難しくなった。

「まぁ、そんな、に、急ぐ、ことは、あるまい、よ」

「蛇、私の前ではやめて。関係ない人が苦しむのは見たくないわ」

「ふ、ふ、もう、捕ま、え、た。すぐに、殺して、は、つまらぬ」

蛇の目が喜悦にゆがむ。

「僕、を、出して、くれたの、が、どんな、やつ、か、とは、思って、いた、が、こんな、に、うまそう、とは、喜ば、しい」

「あ、あ、澄んだ、いい、目を、して、い、る、なぁ。実に、いい、うまそう、な、魂、だ」

蛇の口からチロチロとした赤い舌がはみでている。

「そうだ、な。5日、後に、迎え、に、行こ、う。それま、で、最後、の、生活、を、楽しむ、が、いい。そのあと、は、たくさ、ん、楽し、もう」

「少し、ずつ、かじろう、か。少し、ずつ、溶かし、て、やろう、か。く、ひ、ひ、どん、な、声が、でる、か、なぁ……簡単、に、は、死なせぬ、よ」

蛇の首が伸びて、ゆっくりとなめ回すように僕の周りをまわる。その視線に、石のように固まっていた体がさらにこわばり縮こまる。すでに全身を蛇に絡めとられてしまっているように。

「勝手、に、死ぬ、こと、は、許さ、ない。その、腕に、僕の、呪いが、ある、うちは、僕以外、傷つける、ことは、でき、ない。どこ、に、逃げて、も、無駄、だ」

愛おしむように僕の頬を蛇のざらざらした赤い舌がなで、生臭い息が吹きかけられる。もう、視線も動かない。

「あ、は、あ、ぁ。こんな、に、美味そう、な、のは、久し、ぶり、だな、ぁ。あ、ぁ、あ、楽し、み、だ。さに、い、僕は、少し、休む、よ。次、が、最後、だ」

そういうと、蛇はしゅるしゅると身を縮め、サニーさんの肩甲骨の間に消えていき、サニーさんの柔らかい背中だけが残った。僕はその瞬間、呪縛から解放されたかのように全身の力が抜け、膝からその場に崩れ落ちた。今まで息をするのを忘れていたかのように、今更ながらハァハァと、荒い息がこぼれ、冷めた身体に血が巡る。

「あなた、ろくでもないのに好かれたわね、その分、私は助かったわ」

あまり感情のこもらない少し高めの声に、僕はここに来た理由を思い出す。せめて、そちらだけは。

「あの、キーロさんは無関係なんです。見逃してもらえませんか」

背中にショールを体に巻きながら、サニーさんは初めて人間らしい驚いた表情をして、そのあと心底あきれたように眉を大きく上げて言う。

「そんなことでここまで来たの? 馬鹿じゃないの?」

う……。

「……まあ、話だけなら聞いてあげるわ」

そう言って歩き出すサニーさんの後を、僕はすごすごとついて行った。





ついたのは、『よっち』さんと待ち合わせを予定していた喫茶店だった。
オフィス街にある昔ながらの喫茶店で、店内にコーヒーのふくいくたる香りが充満していた。ざわざわと何人かの大人が打ち合わせや休憩をしている。座った席の隣に置かれた観葉植物は少しほこりをかぶっていた。

「それで、あなたはなんなの? キーロの関係者?」

飲みかけのコーヒーを少し乱暴にソーサーに置いて、サニーさんは僕に尋ねる。
僕は改めて考えを話す。キーロさんは友人の友人で、キモオフメンバーが『腕だけ連続殺人事件』の被害者だと考えて助けてほしいと連絡があった。
でもいろいろ調べて、写真をアップしたのが犯人で、ひまわりの布のうわさを広めようとしているのも犯人で、LIMEを見るとサニーさんが誘導してたからサニーさんが犯人だってわかった。僕は怪異の存在がわかるからあの路地にサニーさん達がいるってわかって、話をしたいと思って来た。

「あなた、なんでそこまでわかってて来るのよ。どれだけ馬鹿なの?」

サニーさんは目をまん丸にして言う。信じられないという顔をして。
うう、反論の余地がない。

「でもそれでわかったわ。だから蛇が最後の一人が近づいてるって言ってたのね。」

「えっ居場所ってわかるんですか」

「キーロはストラップを持ち歩いてたんでしょ、すっかり蛇の呪いが体にうつっているわ。蛇が起きればすぐにでも捕まえにいくわよ。最後だし、もう正体を隠す必要もないもの」

サニーさんは、フゥ、と吐息をこぼしてコーヒーにできた波紋を眺める。

「あの、何があったかはわからないですけど、キーロさんに向日葵の布に心当たりはないんです」

「それがどうして信じられるのよ。まあ、高校生っぽいあなたが関係してるとは思わないけど」

そして、サニーさんは何があったか教えてくれた。
サニーさんの身内は妹さんだけで、サニーさんが行く予定だったキモオフに行って殺された。
サニーさんが神津アリーナに着いた時にはすでに人影はなく、絶望に暮れていたところ、大きな蛇が妹の死体をくわえて現れた。テトラポッドのところに3人の人間が投げ捨てて行ったらしい。テトラポッドの中に落ちれば、外に出るのは困難と聞いたことがある。それならこの蛇は妹の死体を探してきてくれたのか。

だが蛇は私にささやいた。聖書でイブにリンゴを勧めたように。

「仇をうちたいなら手伝ってやるよ」

妹は私のたった一人の身内だ。私は早くに両親を亡くし、施設で育った。突然放り込まれた見知らぬ場所におびえ、親切に差し出される手も恐怖にしか思えなかった。そんな私の目の前に現れたのは、私より小さく、私と同時期に施設に預けられた妹だった。妹も事故で両親を亡くし、私より不安に震えていて、そんな姿が気になってそっと話しかけた。
最初は拒否されたが、境遇の似た私たちは、いつのまにか寄り添うように生活するようになった。妹のことを理解できるのは私だけ、私のことを理解できるのは妹だけ。毎日が続く中で、いつしかそう思うようになった。共依存というやつだろう。

私はたまたま手先が器用で、早くからストラップを作る工房を手伝った。住み込みで働くようになって施設を出たが、毎日のように妹に会いにいった。妹が高校に行くようになった頃にはなんとか独り立ちできるようになり、妹と一緒に小さなアパートに移り住んだ。小さなアパートには本当になにもなかった。最低限の家具くらいしか。
生活は大変だったけど、妹もバイトをして、つつましいながらもそれなりに楽しく生活していた。
私は妹の一部であり、妹は私の一部である。妹の楽しみは私の楽しみ、妹の苦しみは私の苦しみ。歪な関係にあることは承知していたが、私には他になかった。

私の半身は無残に殺された。残りの半身が復讐を誓って何が悪い? 妹を殺した者には妹が感じた恐怖より数倍も多くの苦しみを与えよう。そう思って私は蛇の話に乗ることにした。蛇は私に条件を出した。妹の死体は蛇が食べること。復讐が終わった時は私も蛇に食べられること。1人殺すたびにその分の私の体を食わせること。私の体はもう6/7蛇に食われて蛇に乗っ取られている。
妹が味わった恐怖と絶望を味わわせたい。妹は向日葵が好きだった。だから私は殺された妹が着ていた向日葵の服を切り裂き、仇を取った証に切り取った腕に巻きつけた。加害者へのメッセージになればと思ってたし、1人には効果があったけど、他はわからなかったわ。妹の服なんて気にもしてなかったのかもしれないわね。

「そんな……でも、7人のうち何人かは無関係なんじゃないの?」

「無関係の人もいるわ。でも妹は理由もなく殺されたのよ。他の人だって理由もなく殺されてもおかしくないでしょう? 妹と同じように運が悪かったのね」

まるで他人ごとみたいだ。でも、サニーさんの世界には自分たちと他人の区別しかなかった。

「この7人以外にも加害者がいたら? その人たちも殺すの?」

「それは私も蛇に尋ねたわ。蛇は妹の血から宝石を作った。あなたも見たんでしょう? 珊瑚に似たストラップを。私は容疑者たちにそれを配り、宝石を通して蛇は匂いを調べる。蛇は妹についていた臭いから、あの夜の加害者を判別できるそうよ」

「どうして今回のキモオフだと思ったの?」

「妹を殺した3人のうち、ピクルスは妹が殺されたキモオフでは固定HNだった。今回直前に参加申し込みした人のIDがそのピクルスのIDと同じだった。もちろんIDは違う人が被ることだってあるわ。会って違う人なら、なにもせずに次の機会を待つ予定だった」

そこで、サニーさんは一度言葉を切る。

「蛇は、残念そうに、今回のキモオフに加害者の3人がそろっていると言ったわ。蛇はその3人が誰かは教えてくれなかった。あなたも今日話してわかったと思うけど、蛇は人の苦しむ姿がすきなのよ。この遊びが気に入っている。犠牲者をわざわざ7人から3人に減らしてあげたりはしないわ」

僕は恐る恐る尋ねる。

「蛇が本当のことをいってるかはわからないんじゃないかな」

「それはそうね。蛇にだまされているのかもしれない。でも、他に方法はなかった。さすがに全てのキモオフに出て、参加者を全員殺し尽くすわけにはいかないでしょう?」

サニーさんは恐ろしい言葉を吐きながら、困ったように微笑む。

「でも、キーロさんは違う。人を殺すような人に見えない」

「あら? 私は人を殺すように見える?」

……見えない。

「そもそも、私は違ったとしても、申し訳ないけどやめるつもりはないの。私は必ず、私の手でキーロを殺すわ。妹の復讐に区切りをつけるために。なんていうか、無関係なら他の無関係の人の死とバランスが取れないわ。だから、諦めて。本当にキーロが無関係だったらあの世で謝るわ」

サニーさんは澄み切った目で言い切った後、ふと申し訳なさそうな表情で僕を見つめる。

「それにしてもあなたは本当にお気の毒。あの蛇は人が苦しむのが大好きよ。今回ももっと長く苦しませようといっていたわ。私もたくさん苦しんでほしかったけど、あんまりゆっくりしてると人が来てしまうでしょうし」

『よっち』さんが苦しんでないとでもいうのだろうか。多分、もうサニーさんは感覚が違うんだろう。

「蛇は最後に私を随分苦しめて殺すつもりだったんでしょうね。それをあなたが肩代わりしてくれた。私はもうほとんど蛇だから、蛇が寝ているうちにお礼に殺してあげようかとおもったけど、そうすると私が恨まれるでしょうから、ごめんなさいね」

そんな……。

「逃げるのは無理なのかな」

サニーさんは細い指で僕の左手首をとって、アザをなでる。

「こんなにくっきり呪われてたら、無理じゃないかしら」
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登場人物紹介

東矢一人。

新谷坂の封印を解いた代わりに、自身の半分以上を封印される。再度封印を施すため、新谷坂の怪異を追っている。

不思議系男子。

末井來々緒。

「君と歩いた、ぼくらの怪談」唯一の良心。姉御肌の困った人は見過ごせない系怪談好きギャル。

坂崎安離。

狂乱の権化。ゆるふわ狂気。歩く世界征服。

圧倒的幸運の星のもとに生まれ、影響を受ける全てのものが彼女にかしづく。

藤友晴希。

8歳ごろに呪われ、それからは不運続きの人生。不運に抗うことを決めた。

坂崎安離の幸運値の影響によって多少Lackが上昇するため、だいたい坂崎安離に同行し、新たな不幸に見舞われる。

サバイバル系考察男子。

赤司れこ。

twitter民。たまにつぶやく。

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